目の前に広がるのは、きちんと整理された帳簿や書類が並ぶ典型的な会計部屋。だが、その普通を打ち砕く異質なものがあった。
箪笥の
普通ではありえない光景に二人は出鼻を挫かれ、襖に手をかけたまま一点を見つめていた。
「ひっ……な、なにこれ!? え、血? なんで!? まさか、誰か……」
ようやく声が出る
(ここは……手拭いを入れているのか。)
中身を確認し、なぜ血が付いているのかを考え始める。
「なんか引っかかるな……」
血が出ている状態で手拭いを取ろうとしたのか?だがここは会計部屋だ。大切な書類があり、汚してはいけないと子供でも分かるだろう。では、なぜ?
解せない凛樹。喉に何かが突っかえるような、そんな気持ち悪さを感じていた。
血痕が怖かったのだろう、入口から動こうとしない小竹を引っ張り、この部屋の捜査を無断で始める。最初こそ血痕の話しかしてこなかったが、段々と割り切り始め、小竹も何か手がかりになりそうなものを探していた。
「凛樹、これなに?」
辺りを遠目で見回していた小竹が床を指さす。そこには部屋に似合わない葉っぱのようなものが鉢に入れられ、箪笥横の影になる場所へ置かれていた。
「それは、植鉢?会計部屋に?」
小竹に鉢を渡してもらい、一先ずは匂いを嗅ぐ。葉からは清涼感の強い、爽やかな匂いがする。少し表情がヒクつく凛樹。
「凛樹!?大丈夫なのそれ!?」
小竹はあり得ない行動に驚き、心配のあまり思わず大きな声が出る。何かもわからない植物に齧り付くその凛樹の姿はまるで無邪気な子供のようであった。
「大丈夫、心配しないで」
真顔で生存報告をする凛樹。味と香りから成分を推測しながら、脳内で仮説を組み立てる。
薄らと情景が浮かび上がる。だがまだそこに確信を持つことはできなかった。
「もう少し……なにか情報が……」
次に、目についた机を調べ始める。そこには謎の木製四角形板、そして凛樹が普段会計時に使っている
(唐家は院体画などを西洋に売り込もうとしているのか……なるほど、なかなかに目の付け所が鋭い)
出納簿は各家の命綱とも言える機密書類。覗かれれば商売の心臓に刃を突き立てるのと同じだ。見つかれば、ただでは済まない。そこには取引の内容がこの様に事細かく書かれており、他家に流失すれば妨害や内容を被せることだってあり得る。普通見たことがバレてしまったらとてもまずい。が、
(こんなにザルな警備で置かれていたら、誰だって興味を惹かれてしまうだろう。商いと本が好きな私にとっては尚のことであるし、)
免罪符の代わりとして、凛樹はそんな言い訳を呟いていた。少しも悪気が無いとは言い切れなかった。
始めてみる他の家の出納簿、自分の運に感謝しつつ、確認に時間をかけられないため無念の流し読みで行う。ただ、怪しい取引などは少なくともここに記載されている所にはなかった。
「さて、こっちは何なんだ?」
手には黒い出納簿。
(二重出納簿制なのだろうか?)
様々な考察を始める凛樹。通常、現場が混乱するために出納簿は1つだけにまとめる。このように二重にするのは会計に精通している凛樹でも初めて見るものだった。
(あの老師だって見たことがないだろう。二重出納簿は)
私に会計のイロハを教えた鬼教官である、白髪の老師。幼少期をコテンパンにしてくれたあいつですらこんな異質な出納簿は見た事がないだろう。と凛樹は予想する。
中身を確認すると、うっすらと文字の様なシミのようなものがあるが、墨で書かれていないため解読ができない。
これは一体……?
「凛凛!なんで私たちには書類に触れちゃダメって言ってたのに自分は触ってるのさ!」
凛樹が考え込んでいると、小竹が少し不満げな顔をしながらムフーと腕を組み凛樹の前に立ち塞がる。凛樹の矛盾を指摘していた。
だが、それは単純な理由である。
(そりゃあそうだろう。お茶目属性付きの下女と何をしでかすかわからない狸の高官に誰が書類を触らせたいものか)
自分のこの考えが至極全うだと自負する凛樹。実際、過去に小竹は何度か陶器や書類を破壊している。小竹には弱いところを見せられるほど生活面で信頼しているし、好感度はあるのだが、仕事面となっては話は別であった。お茶目属性とは難儀なものである。
「小竹、
思い出してしまったのか、小竹はギクリと効果音が出そうな表情を浮かべる。自分がやってしまった事を思い出させられ、なぜ書類に触れられないのか納得するしかなくなってしまうような強い凛樹の脅し文句に恐怖の念すら抱いているようだった。
どうしても読むことができない黒い出納簿。凛樹はこれ以上の精査は無駄だとキリを付け、元あった場所に戻す。
凛樹は持ち前の脳をフル回転し考え始める。急がないといけないというプレッシャーのせいか、鳥肌が立ち寒気が――
「――ヘクチッ」
(……本当に寒いな。冬の朝のような冷気が、肌を刺すように忍び込んでくる。こんなに冷えるはずはないのに――どこかに、外気が直接入っている場所があるのか?)
少なくとも唐家に入った時には感じることのなかった寒さがこの部屋に立ち込めていた。
不審に思った凛樹は、部屋の“下”ではなく
そこには、明らかに特異な部分があった。
「……小竹、あれ、見てみろ」
凛樹は指を差し、小竹にその
「……穴空いてるッ!?」
そこには、人の腕より一回り程大きい穴が屋根に開けられていた。しかもご丁寧にその部分だけ雨の侵入を防ぐべく、外側に屋根が付けられていた。
もしやと思い、机の上にあった四角形板をもう一度見てみる。
「丁度収まりそうだ。この板があの穴に」
穴を塞ぐための板だったのかと溜息を漏らす凛樹。これは自然とできてしまった穴ではないのだろうと勘づいた。先程の予想がこの穴と繋がっていくのだと、直ぐに理解する。
しかし、小竹は違った。
「え?普通の家って、屋根に穴なんて空いてないよね……?」
凛樹程、勘は鋭くなかった。