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七、いざゆかん唐家へ


「ごめんください」


 地面につきそうな暖簾のれんを先に凛樹リンキがくぐると、きれいな装飾や彫り物が施された吹き抜けの玄関が最初に目に入ってくる。下男たちがせっせと紙を運び、何かの箱を移動させている。紙や箱が乱雑に置かれている所を見ると、唐家の忙しさがひしひしと伝わってくるようであった。

 呼びかけが小さかったのか、男たちは一切こちらに見向きもせず、自分の仕事を進めている。


 (尋ね人が来ているのに誰も来ないのは、欠陥すぎないか……?)


 至極全うな感想が出てくる。だがこんな小さなことでへこたれる訳にはいかない。


 スゥー


「こ゛め゛ん゛く゛た゛さ゛い゛」


 自分史上最大の声を上げると、いきなりのことで全員の体が無意識に強張る。そしてようやく気だるそうに丸眼鏡の男がこちらにやってきた。


「すみません、今はとても忙しいので要件は後日にしていただけませんか」


 ぶっきらぼうな丸眼鏡の言葉が冷たく玄関に響く。相手の様子が冷たく、話を取り合ってもらえないのではないかという危機感を感じた。


 (まずい、追い返される)


「いきなりで申し訳ない。急を要することなのだ」


 そんな凛樹の考えを察したのか、凛樹の知らぬ間に暖簾をくぐり、さわやかな笑顔で下男に話しかける修徳シュウトク

 丸眼鏡の顔は高官の登場により、一瞬にして緊張の色が浮び手元をいじり始めた。凛樹はそれを見逃さなかった。動揺していることは明らかであった。


「こ、これは失礼しました。ですが、今は本当に忙しくて、何とか簡潔にお話いただけませんか?」


 目を丸くして態度を一瞬で変えた丸眼鏡。言葉の端々にどこかぎこちなさを感じるような反射的な言い方をする。

 さわやかな笑顔に合わせてこの威圧感を放てる修徳に凛樹は心の中で感謝をした。宮廷ではきっとこの程度は日常茶飯事なのだろう。慣れた様子で圧をかけ始める。

 凛樹はこの機会を逃すものかと流れに乗り、話し始めた。


 「商談ではありません。単刀直入に話しますと、うちの下女が一人行方不明なんです。唐家さんの方に遣いとして送っていた小葵シャオクイという子でして…何か知っている事はありませんか?」


 凛樹の口角は辛うじて上がっているが、目は無意識に鋭くなる。焦りから来るのかは本人でも与り知らぬ所だった。

 そうして丸眼鏡は考える間もなく、こちらの語り口に乗せられてしまった。


「杉家の下女ですよね?あの青い髪の子ですか?」

「そうです、大体昨日あたりからうちに戻ってないんです」


 考え込む丸眼鏡。凛樹はさらに話題を振り続ける。


「大体昨日くらいからわからなくなっているんです。唐家に来ていたりはしませんか?」

「私は普段あまり表に出ないんです。今日はこんなですが、昨日は裏で仕事をしていたので下女が来ていたかどうかはわかりません。」


 いぶかしむ凛樹。だがこの男が嘘をついているようには見えない。


「では昨日表にいらっしゃった方はわかりませんか。どうしても必要な事なんです」

「そうですか…。」


 後ろに振り返った丸眼鏡は他の下男を呼び止める。かすかに聞こえた内容は応接係の話。どうやら昨日の応接係を聞いているようだ。


「嘘を言っているようには見えないな」


 修徳が小声で凛樹に言う。


「ええ、私もそう思います。もし何かあるならこんなに時間をかけないかと」


 もっと簡単に門前払いすることはできただろう。と凛樹は感じた。やはり高官の存在が大きいのかもしれない。下手な事をすれば対応した者に限らず家の名前にも泥を塗ってしまうこととなるからである。

 私もそうだったから気持ちが痛いほどわかる。許してくれ、名も知らぬ丸眼鏡よ。と凛樹は思ってもいない謝罪を心中で呟く。


 しばらく下男同士で話した後、こちらに戻ってきた。


「申し訳ありません。昨日の応接係は今いないようでして、」


 まず謝罪から入ってきた。どうやら丸眼鏡の話では昨日の応接係は、今丁度外回りに出たようだった。

 逃げようとしているのかと感じた凛樹。真相は読み取れないが、なにやら話を終わらせたいような雰囲気を丸眼鏡は口調と表情から醸し出していた。


「お力になれず申し訳ありません。その係が戻ってきましたら改めて杉家の方に遣いを出しますので、本日の所はお引き取り願えませんか」

「……そうですか。貴重なお時間を取ってしまい申し訳ありません。」


 少しだけ悲しそうな表情をわかりやすく浮かべる凛樹。だが心中では違った。


 (ここで引き下がれば、もう二度と真相に辿り着けない。少し汚い手を使うか)


 このまま手ぶらで帰るわけにはいかない。小竹の笑顔のためにも。


「お客様、お茶でもいかがでs」

 気を使った下男がお茶を持ってこようとしていた。凛樹は周囲の動きを見て瞬時に計算し、そしてさり気なく足を後ろに伸ばす。それに気づかなかった下男は躓き、手元が狂ってしまう。

 成すすべもなく床に倒れ、さらに悪いことに修徳の服に熱い茶が飛び散った。


「…これは困ったな。せっかくの制服が台無しだ。すぐに乾かせる場所を――お借りしてもよろしいかな?」


 わざとらしくしおらしい表情で濡れた服を強調した。そして丸眼鏡の方を見る。


 (こいつは…役者だな。犬の評価は正しくないな)


 修徳の演技は見ものだった。演劇をした方が良い位に自然と嘘をつくことにもはや面白さを感じてしまった凛樹は、抑えられず少しだけはにかんでしまった。

 周りを見ると下男たちが慌てふためいている。それもそのはず、やらかしてしまったのだから。彼らの顔が心なしか青ざめ、おろおろしているように見える。


「も、もちろんです。すっ、すぐに用意いたしますので、先ずはこちらにどうぞ!」


 尋ねられた丸眼鏡はすぐに高官を部屋へ案内する手筈を整え始める。

 こちらに合図を送り、丸眼鏡についていく修徳。強引に潜入するなら今しかない、と凛樹は悟った。


小竹シャオズ、行くぞ」

「う、うん。ついてく」


 二人はそそくさと玄関から上がり、まごついている下男たちを尻目に正面の廊下を足早に歩いて行った。あまりの素早さに、落ちていた紙が舞い上がるほどであった。


 廊下の突き当りで光が差し込む。儚く舞う埃の粒が、先に待つ何かを暗示しているかのようだった。


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