過去に戻って、三年が経った。
あの処刑台で死を迎えた瞬間から数えてだが、カレンダーを見なくとも、肉体が覚えている。あの日の寒さも、鞭の痛みも、耳を削がれた感覚さえも。
そして今、僕は過去に戻って十五歳になった。
アースレイン家の私室の奥、修練場の中央に立ちながら、静かに深呼吸する。
「ふッ!」
一歩踏み込み、掌から練り上げた魔力を噴出させる。氷でも炎でもない。無属性。だがそれは“無”ではなく、全ての可能性に通じている力。
掌から広がる衝撃波が空気を震わせ、訓練用の魔力障壁を鈍く軋ませた。
第四段階。術式を外部展開する“練極”の到達点。
「ふぅ……」
魔力を収め、息を整えていると、パチパチと拍手の音が響いた。
「いやぁ、見事でございますね、ヴィクター様! お美しい魔力操作! まさに、御家の誇り!」
嬉しそうな声とともに現れたのは、専属執事ドイルだった。
今日も背筋をピンと伸ばし、鼻の高さは天井に届かんばかり伸びている。
三年の付き合いになるが、相変わらずの態度に呆れてしまう。
「その調子でございます。学園でもきっと、“我がご主人様”の名は轟きましょう!」
「……学園?」
その言葉に俺は眉をひそめた。
ドイルは胸に手を当てて、ふかぶかと頭を下げた。
「本日、侯爵様からのお達しがございました。ヴィクター様には、王都中央の“学園”に入学いただきたい、とのことです」
その言葉に、しばし沈黙した。
学園、王国が貴族や才ある平民たちを一堂に集め、互いの顔合わせを促す場。貴族社会における序列や交友を固める試金石。
過去の人生でも、僕はそこへ通った。
だが当時の俺は、力も地位も持たず、誰からも相手にされない弱者であり。
アリシアの後に続く腰巾着扱いだった。
だが、力をつけて次第に周りの連中に認められ、レオ・シュバイツと親友になった。
「……なるほど。そういうことか」
再び訪れる学園生活。ただし今回は違う。力も、魔力も、実績も手にしている。
ならば、これも一つの“舞台”だ。
僕が真実を知るために、そこで出会う者たちいる。
「アハっ! 学園生活か〜、素敵ね」
修練場の奥から、リュシアが姿を現した。
長く白銀に光る髪と紅の瞳。
その姿は、どこか神秘的で、見る者を魅了する妖艶さを纏っている。
少女だった体は、成長を遂げて美しく育っている。
ドイルなどは、リュシアの姿に見惚れてしまっているほどだ。
「リュシアさん!」
「ドイル君。おはよう。ご主人様、次の舞台が始まるのね」
「ああ、今日まで力をつけてきた意味がある」
三年で到達できたのは、四段階。もう少しで五段階に到達できる高みにきた。
僕が修練に足踏みしている間に、長男のグレイスは、六段階まで登ったと聞いた。
自分の不甲斐なさではあるが、悔しさも同時に味わっている。
「そうね。楽しみだわ」
リュシアは僕の“契約者”であり、力の媒介者だ。だが同時に、僕を観察している。
魔族であるリュシアが何を考えているのかわからないが、使い勝手がいい駒ではある。
「ねぇ、ヴィクター。フレミア様も来るのでしょ?」
「ああ」
フレミアとは婚約関係ではあるが、正式な結婚はもう少し先になる。
グレイスと王女の結婚は近々だと言われているから、そちらを先に迎えることになるだろう。
リュシアがそっと僕に近づいて耳元で囁く。
「未来では、貴族の子女や、魔法使いの娘、それから……裏切った仲間たちもいたわよね」
こいつは煽ることを忘れないやつだ。
過去の記憶の中に刻まれている名前。
レオ以外にも、戦場で散った仲間たち、そして共に歩んだ者たち。
魔法の師であり、賢者マーベ。
最後まで背中を預けたエリナ。
だが今回の俺は、あの頃の俺じゃない。
「この三年で俺は第四段階まで至った。目的も、力も、すでにある。あとはどう使うかだ」
「ふふっ……その冷たい瞳。たまらないわ。あなたが心を捨てて歩む姿は、本当に美しい」
リュシアが恍惚とした笑みを浮かべる。
彼女は髪をかきあげると、不意に見えたツノが前よりも大きくなっていた。
ドイルは気づいていないようだが、リュシアとの付き合いは全てを終えるまで続くだろう。
「ヴィクター様、アースレイン侯爵様がお呼びです」
ドイルの声に頷いて、俺は修練場を後にする。
アースレイン侯爵からの呼び出し。学園への入学は、単なる儀式ではない。そこには、同世代の貴族や平民が集まる。
フレミアがいるなら、孤立することはないが、僕は彼女に頼るつもりはない。
アリシアの影に隠れた過去とは違う。
裏切る前の彼らが、どんな人物なのか見極める。
「父上、お呼びでしょうか?」
「ドイルから、学園の話は聞いているな?」
「はい」
「あの学園では、武技、魔法、学科、神聖術、経営学の五つの部門において、主席が決められる。そこでヴィクターには武技で首席をとって卒業をしてこい」
「武技での首席ですか?」
「うむ。それが出来たなら、グレイスとの決闘を認めよう」
父上であるアースレイン侯爵の考えはわからない。
だがこれはチャンスだ。
「かしこまりました。必ず、武技で首席をとってきます」
「うむ。下がって良い」
「はっ!」
次なる舞台の幕が、静かに上がろうとしていた。