妖精たちの囁きは、空間に柔らかな微笑みを纏わせながらも、確かな“死”の香りを含んでいた。
三匹の妖精が、ふわりとアリシアの周囲を漂いながら語りかける。
『さあ、アリシア。君の選択の時だよ』
『契約通り、僕らと共に聖女を目指す? それとも……ここで契約を解除して、すべてを失うか』
『どっちでもいいんだよ? 僕たちにとっては、願いが叶ったあとの“破壊”こそが、ご褒美だからね』
三匹の妖精が楽しげにくるりと宙を回転し、翡翠の髪を揺らす。
『破壊の瞬間って、本当に綺麗なんだよ? たとえば信頼していた人に裏切られて、世界が崩れていく瞬間。心がきしむ音が聞こえるんだ。最高に甘美な響きさ』
『ああ、そうだね。君の民が絶望し、名誉が剥がれ落ちる時――そのときが、僕たちのごちそうなんだ』
『今のままじゃ少し物足りないけど、仕方ないね。次に僕らは言ってもいい』
アリシアは唇を震わせながら、後ずさった。
「……そんな、契約なんて。そんなの、聞いてない……!」
『ううん、違うよ。アリシアが願ったんだ。君が“聖女になりたい”とね? だったら、その願いを叶えるために必要なことを、僕たちは全部してきた。君が知らなかったのは、選んだ代償を“見ようとしなかった”からだ』
言葉の刃が、容赦なく彼女の胸を抉る。
彼女は目を見開き、必死に僕に視線を向けてきた。
「ヴィクター様……どうして、何も言ってくれないのですか? あなたは、私を助けてくれるんじゃないんですか?」
彼女の声は震え、張り裂けそうな感情が溢れていた。
それでも、俺は立ち上がらなかった。
静かに、椅子に腰を掛けたまま、ただ妖精たちのやり取りを眺めていた。
「助ける理由がない」
そう、俺は答えた。言葉に感情は込められなかった。
「君は願った。その代償を背負うのは君自身だ。俺はその結末が知りたいだけだ。アリシア、お前の心が、どんな形で終わるのか。それを、この目で見届けたい」
「……っ!」
アリシアの表情が一変した。
そこにあったのは、困惑でも悲しみでもない。
怒りだった。
「……最低。あなた、私のことを見てくれていると思ってた。あんなに優しくしてくれたのは、全部……嘘だったんですか?」
「優しさ?」
俺は首を傾げて、冷たい声で応える。
「それは、君の幻想だ。君が勝手に俺の行動に意味を見出し、勝手に救われた気になっただけだ」
アリシアの手が震えた。彼女の足元で、ミィがくすくすと笑い声を漏らす。
『ほらね、ね? これが“裏切り”ってやつだよ。アリシアの理想が崩れていく音……うふふ、きれいだね』
『さあ、どうする? 契約は続行して聖女になる? それとも、今ここで契約を解除して、破壊されるかい?』
『どっちでもいいよ。ほんとに、どっちでも。どちらにしても、僕たちは美しい終わりを見届けられるから』
妖精たちの視線が揃ってアリシアに向けられる。
舞台の幕が上がるのを待つ観客のように。
アリシアは、ぎゅっと唇を噛みしめた。潤んだ瞳が、俺を睨みつける。
「ヴィクター様……本当に、それでいいんですか……? あなたは、それでも人間なんですか……!」
「人間……?」
俺はその言葉を静かに反芻した。
この国で、アースレイン家で、何も持たなかった俺にとって、“人間らしさ”など何の意味もなかった。
「それは、君が決めればいいさ。君が聖女になるために、誰かを踏みにじるのなら、俺は“君”という人間の終わりを見届ける。それだけだ」
「……っ、あなたは、もう……優しくなんかない……っ」
アリシアの声が震える。
その怒り、悲しみ、絶望が渦を巻き、部屋の空気を震わせていた。
妖精たちが、ますます楽しそうに笑っていた。
『さあ、決めて。アリシア。聖女になるか、今ここで終わるか。選ぶのは君自身だよ。どんなに泣いても、どんなに縋っても、僕らは待ってあげない』
ルゥの声が、不気味なほど明るく響く。
空間が歪み始める。空気が乾き、時間すら凍りついたかのような感覚が辺りに広がる。
アリシアは、ふらりと膝をついた。
だが、その瞳は、まだ折れていなかった。
その決断の瞬間を、俺はただ、静かに見つめていた。
静寂の中、アリシアは膝をついたまま、微かに震えていた。
瞳は涙に濡れながらも、どこか決意の色を宿していた。
そして彼女は、ゆっくりと、妖精たちへと手を伸ばした。
「……私は、聖女になります」
その声は、震えながらも確かだった。
妖精たちは歓喜のように舞い上がり、煌めく光を弾けさせる。
『ふふっ、そうこなくちゃ。やっぱり君は素晴らしい』
『その選択、最高だよアリシア。破壊の美しさは、君のような輝きがあってこそなんだ』
『さあ、願いを叶えよう。光を纏い、民に希望を与える“聖女”として、君は今、この瞬間から……始まるんだよ』
妖精の手と、アリシアの手が重なった。
次の瞬間、彼女の身体を眩い光が包み込む。衣が変化し、黄金の聖印がその額に浮かび上がる。
“聖女”という象徴が、彼女に降ろされたのだ。
だが、その光景を、俺は一歩も動かず、無表情で見つめていた。
「……お前はそれを選んだか」
立ち上がると同時に、俺は《冥哭》を抜いた。