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第38話

 温室を出て、アリシア・ラヴェンデルの部屋へ向かう道すがら、心の奥に微かなざわつきがあった。


 リュシアの言葉が、何度も頭の中で反芻されていた。


 妖精は夢を与え、幸福の絶頂でそれを破壊する。


 彼女が語った「妖精」は、決して優しさだけの存在ではなかった。


 そして、アリシアの純粋さと優しさ。その根源に、もし妖精の力があるのなら。


 僕は、それを確かめなければならない。


 ノックの音に続いて、優しい声が返ってきた。


「どうぞ、お入りください」


 ドアを開けると、アリシアは窓際の椅子に座っていた。差し込む陽光を浴びて、その琥珀色の髪が淡く輝いている。


 彼女は微笑み、立ち上がった。


「ヴィクター様……来てくださって、嬉しいです」

「少し、話をしたい」


 僕は正面の椅子に腰掛け、視線をまっすぐ彼女に向けた。


「アリシア……君は、妖精が見えるのか?」


 その瞬間、彼女の瞳がわずかに揺れた。


 表情はすぐに整ったが、その一瞬の動揺は見逃さなかった。


「……どうして、そんなことを?」

「答えてほしい。見えるのか、見えないのか」


 彼女はしばらくの沈黙のあと、そっと視線を落とした。


「……はい。見えます。子供の頃から、ずっと。私には、妖精が話しかけてくれるんです。私は特別な存在だと思っています。家族に話したことはありますが、誰も信じてはくれませんでした」


 妖精と話ができることを誇らしげに語るアリシア。


 そして、これまで誰も認めてくれなかったことを僕が問いかけたことで、戸惑いと喜びを同時に感じているような表情。


「それは、君にしか見えない存在か?」

「ええ。きっと、他の人には……見えないと思います」


 その言葉に、胸の奥がざわついた。やはり、リュシアの言葉は真実だった。


「アリシア……君は、妖精と契約しているのか?」


 すると、部屋の空気がふわりと揺れた。


 その瞬間、空中に小さな光の粒が現れ、三つの色とりどりの光がふわふわと浮かび上がった。


 見える。確かに、俺にも見えていた。一体の妖精が、俺に向かって言った。


『……やっぱり、この人にも見えちゃうんだね』


 淡い翡翠色の髪をした、小さな少女の姿をした妖精が、アリシアの肩に降り立つ。


 俺は、思わず立ち上がっていた。


「これが……妖精か」


『うん。初めまして、アースレイン家の落ちこぼれさん。私はルゥ。彼女の運命の管理者だよ』


「運命……?」


『彼女とあなたの未来は繋がってるの。だから私たちはここにいる』


 アリシアは困ったように笑みを浮かべ、僕に視線を向けた。


「……驚かないでください。彼らは悪い存在じゃないんです。ただ、私の願いをずっと見守ってくれているだけで……」


「願い、だと?」


『アリシアは、大勢の人々を救う聖女になりたいと願ったんだ。だから、私たちは彼女に力を貸しているの。彼女が聖女になるための導きを与えているんだよ』


 それが、破滅の始まりだったのか。


 未来の彼女が、僕を裏切ったその動機に、妖精が関係しているのなら……。


「アリシア。君が僕に近づいたのは……彼らの導きか?」


 彼女は目を伏せた。そして、静かに言葉を紡いだ。


「いいえ。それは……私の意思です。妖精さんたちは、あくまで見守ってくれる存在です。でも、ヴィクター様に惹かれたのは、私自身の心です」


 嘘か。本当か。僕には見極められない。


 だが一つだけ、確かなことはある。


 彼女と出会った時から、彼女の周囲には妖精が存在していた。


(……彼女の願いの果てに、僕が処刑されたのか? だが、何かがおかしい。彼女の願いは聖女になることだ。どうして僕一人を断罪するだけで、破壊したことになるん? もっと根本的な違いがあるように感じる)


「君の心……」

「はい! 誓って、妖精さんたちに言われたからではありません。妖精さんは、言いました。アースレイン家で私の力を待っている人がいると。そして、ヴィクター様に出会ったのです」


『僕らは教えるだけ、選ぶのはアリシア自身だ』


 妖精が横から口を挟んだ。


『けれど、僕らは彼女が望む未来を実現するために最善の導きをする。アリシアの心次第で、未来はいくらでも変わっていくのだから』


「……」


 アリシアは震える手で胸元を押さえながら、強く頷いた。


「……どんなに未来が来ようとも、ヴィクター様と歩めるのなら恐ろしくはありません。今の私は、あなたを救いたい。それが偽りだと思われるなら、私の全部を見てください」


 全部を見るか……だが、アリシアは未来で俺を裏切ったことを知らない。


 君が、夢を叶えるだけの純粋な少女なのは今だけだ。


 幸福の絶頂で妖精に全てを破壊される。それを知らない。


 妖精の操り人形ではないとどうして言える? アリシアを見据えたまま、ゆっくりと一歩、彼女の方へ踏み出した。


「……僕は真実を暴くためにここに来た」


 その言葉に、アリシアはわずかに微笑み、瞳を潤ませながら囁いた。


「はい……私も、あなたを知りたいです!」


 小さな妖精たちが、静かにその場を舞いながら、何も言わずに俺たちを見つめていた。


 だが、果たして願いを叶え破壊する存在だと、アリシアは知っているのか? 

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