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第37話

 ロディス兄上との戦いから一夜が明けた。


 その日、兄を打ち倒したことで屋敷中の雰囲気は変わっていた。


 従者たちの間では、次の爵位が誰に継承されるのか騒ぎになっていた。


 ロディス兄上を倒したという事実は、アースレイン家の序列を揺るがすものだった。


 アースレイン家の序列は、長兄グレイス、次兄ロディスが盤石だった。


 そこに僕がウイルを倒して、ロディスまで倒してしまった。


 そして今、その序列は僕が第二位になった。


 長兄グレイスに次ぐ、後継者候補として、アースレイン家の代表に名を連ねることになる。


 貴族社会において、それは決定的な意味を持つ。


「おはようございます、ヴィクター様! 本日の朝食、お口に合いますよう精一杯仕上げております!」

「お部屋のシーツを、今朝一番で取り替えさせていただきました!」

「廊下をお通りの際は、どうぞお声かけください。ヴィクター様がお通りの間、他の者は全て遠ざけますので!」


 屋敷のメイドや執事たちの態度が、手のひらを返したように丁寧になった。


 すでに、ロディスは部屋から追い出されて、僕の部屋はロディスが使っていた部屋を与えられている。


 ウィルの部屋の三倍に広がった部屋は、クローゼットルームや訓練所まで部屋と繋がっていた。


 数ヶ月前まで、存在しないアースレイン家の息子だった。


 だが今は、グレイス兄上に次ぐ存在として大切に扱われ、視線には尊敬と畏れが入り混じっている。


 アースレイン家に務める者たちは強さにこそ敏感なのだ。


 その変化の中で、ひときわ誇らしげな表情を浮かべていたのが。


「……ご覧くださいませ、ヴィクター様!」


 執事服の襟を正し、背筋をぴんと伸ばしたドイルだ。


 僕のことを主君そのもののように振る舞っていた。


「このドイル、ついに報われました……! 他の者たちが、見てください、この私を! ヴィクター様の専属執事として、ようやく正当に評価される時が来たのです!」


 その鼻の高さは天井を突き抜けそうなほどだった。


「……お前、いつもそんな顔してたか?」

「いえ、誇りです! これは、誇りの表情でございます!」


 僕は思わず溜息をはいた。


 だが、一番最初に忠誠を誓い、血の契約をした相手だ。


 心を持たない僕の代わりに、ここまで喜ぶ姿に悪い気はしない。


 変わったのは、周囲の評価だけではない。


 自分自身が、家の中で何かを掴み取り始めているという実感があった。


「とはいえ……本当に、昨日のご決闘は痺れました! これぞ主従の誉れでございます! 令嬢たちの視線がヴィクター様に釘付けで……いやはや、鼻が高うございます!」


 令嬢たちと言われて、アリシアとフレミアが見ていたことを思い出す。


「鼻が高いのはいいが、調子に乗るなよ」

「はい、それも誇りでございますので!」


 どうやらこの執事には、今後もしばらく苦労させられそうだ。


 だが、今は少しだけ、この変化に身を任せてみるのも悪くないかもしれない。


 彼女たちが、昨日の戦いをどう見たのかは分からない。


 けれど確かなことは一つ。


 アースレイン家の中で、僕はもう地位を手に入れた。


 勝った。認められた。称賛を浴びた。


 そんな中、僕の元を最初に訪れたのは、フレミア・カテリナだった。


 場所は、屋敷の離れにある小さな温室。


「フレミア嬢……」


 僕が声をかけると、彼女はそっと振り返り、いつもの穏やかな微笑を浮かべた。


「……来てくれると思っていました」


 彼女はそう言って、白い花を撫でながら続けた。


「ロディス様に勝利おめでとうございます」

「いや、たいしたことではない」

「アースレイン家の序列第二位がたいしたことではないと……ふふ、さすがですね」


 僕は言葉を返さなかった。


「人は、何かを喪ってから強くなることもあります。でも、あなたの強さには悲しみがありました」


 図星だった。


 ロディスを倒したことで手にした地位。それでも、どこか虚しさが胸に残る。


 フレミアは静かに俺の目を見る。


 その瞳は澄んでいて、どこまでも優しく、けれど真っ直ぐだった。


「私はあなたをますます好きになりました。人は答えのない問いを抱えるとき、最も人間らしくなれるのだと、私は思っています」

「フレミア嬢……君は、どうして僕にそこまで興味を持つ?」


 彼女は少しだけ考える素振りを見せたあと、微笑みながら言った。


「それはきっと、あなたの闇が、私の光を求めていると感じたからです。そして……あなたが誰かを裁くより前に、自分自身を知ってほしいとも思っているのです」


 僕はしばらく黙って、温室の奥の陽だまりを見つめた。


 フレミアは何も言わず、ただ静かに待ってくれていた。


「……そうか」


 そして僕は、フレミアとの会話を終えて、アリシア・ラヴェンデルの元へ向かった。


 かつての初恋の相手であり、未来で俺を毒殺した女。


 今の彼女が見せる純粋さと優しさは、本物なのか?


 それとも妖精という存在が見せる虚飾なのか?


「アリシアに、会いに行く」


 僕のその一言に、フレミアは小さく目を閉じて頷いた。


「はい。それがきっと、あなたの未来を変える第一歩になると思います」


 僕は背を向け、温室を後にした。


 その背に、フレミアの祈るような声が静かに届いた。


「どうか……あなたが、闇に染まって、正しい絶望を選びませんように」


 その言葉の意味は、まだわからなかった。


 だが俺は、確かに一歩を踏み出したのだ。


 アリシア・ラヴェンデル。その真実に触れるために。


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