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第34話

《side ロディス・アースレイン》



 こんなにも怒りを覚えたのは、久しぶりだ。


 何もかもが、腹立たしかった。


 広間を出てから、しばらく一人きりで回廊を歩きながら、俺は拳を握りしめていた。


 戦場から離れ、婚約があると言われて帰ってきてみれば、令嬢の誰からも選ばれなかった。それはまだいい。互いに相性があるのだ。


 だが、ヴィクター。


 あの雑魚が。


 ずっと落ちこぼれだった弟が、なぜ今、こうして女たちの視線を一身に集めている? 俺よりもモテるなど許されない。


 ラヴェンデル家の令嬢とカテリナ家の聖女。


 美しい二人の令嬢がヴィクターを選んだ。


 どちらからも望まれて、どちらを選ぶかで頭を悩ませるなど……ふざけるな。


 それは本来俺の役目だったはずだ。


 兄上の王女殿下の婚約は約束されていたようなもんだった。


 ウィルは正直、雑魚として価値もない存在だった。


 だが、ヴィクター。


 帰ってきて、成長しているのを感じる。


 だが、俺の方がまだ強い。


「お前のような雑魚が、何様のつもりだ……」


 殺気が漏れそうになるのを堪え、俺は天井を睨みつける。


 自分でも、自分の感情が理解できなかった。ただ、抑えきれない苛立ちが胸を焼いていた。


 俺は努力してきた。兄グレイスの背中を追いながらも、家を継ぐ覚悟で、己の剣を磨いてきた。


 実力も評価も、全てを積み重ねてきたはずだった。


 だというのに……俺を選ぶ婚約相手が、いないだと?


 選ばれなかった。


 それだけでも腹立たしい。


 周りの従者たちも、そのような印象じゃないか。


 事実、俺に向けられた熱はどこにもなかった。


 マリスティーナは兄を選び、フレミアはヴィクターの側を選んだ。


 そしてアリシアまでも、ヴィクターに手を伸ばす。


「……どこで、間違えた?」


 いや、違う。全部、あいつのせいだ。


 いつからだ? あいつが俺よりも話題に上るようになったのは?


 女たちの目が、あいつを追うようになったのは?


「……調子に乗りやがって」


 兄として見下してきた存在だった。惨めに生き、役に立たないと蔑まれていたはずの弟が……貴族令嬢の心を弄ぶほどに成り上がるとは。


 そんなもの、許されていいはずがない。


「いずれ思い知らせてやる。お前がどれほど身の程知らずかってことをな……!」


 あまりにも怒りが収まらなくて、俺は厨房でワインを一本飲み干した。


 それでも怒りが湧いてきて、グラスを壁に投げつける。


 その時だった。


 現れたのは父、アースレイン侯爵が、静かに俺に声をかけてきた。


「……ロディス」

「父上……」

「こんなところで一人でやけ酒か? 少しばかり話がある。歩きながらで構わん。ついてこい」


 無言で従う。


 こうして並んで歩くのは久々だったが、父は俺の表情をちらりと見ただけで、すぐに話題に入った。


「ヴィクターが、お前と戦いたいと言っていたぞ」

「……は?」


 思わず足を止めかけた。


「……あのガキが、俺と戦いたいと?」


 ありえない! 実力差がわからないのか? 俺とお前では雲泥の差がある。


「そうだ。自分の実力を、次に確かめる相手としてお前を選んだ。私はヴィクターでは実力不足であると突っぱねた。だが、ロディスお前が戦いたいと言うのであれば、戦わせても良いと私は思っているのだ」

「……本気、なんですか?」


 あり得ない。あのヴィクターが、俺に? この俺に、戦いを挑むというのか?


 あまりにも馬鹿馬鹿しい。


「貴様は、三段階まで闘気を超えたようだな。私もお前の実力を認めているぞ。だが、貴様も言いたいことはあろう。戦う理由は十分ある」


 父はそこで、意図的に言葉を切る。目は冷静だった。


 なるほど……俺を使ってヴィクターの実力を知るために、利用する気か?


 それが分かるほどには、俺もこの家で生きてきたつもりだ。


 だが、それでもいい。


 むしろ、好都合だ。


 俺の中に渦巻くこの苛立ち、そして誇りを、叩きつけるには相手として不足はない。


 実力の違いを思い知らせてやる。


「……なら、戦わせてください。兄としてヴィクターに稽古をつけてやりたいと思います」


 俺は静かに、しかし確かな口調でそう答えた。


 あいつに思い知らせてやる。


 女に好かれただけで、自分が何かになれたと勘違いした弟に。


 お前は、まだ俺の背中にすら届いていないんだと、身をもって教えてやる。


 歯を食いしばり、屈辱を味わって、そこで、またあのときの落ちこぼれの雑魚に戻ればいい。


「ふん、婚約者を巡る戦争が、まさか兄弟同士の私闘になるとはな」


 父の言葉に、俺は返さなかった。けれど、心の奥ではすでに剣を抜いていた。


 逃げるなよ、ヴィクター。


 今度は兄としてじゃなく、“戦士”としてお前を叩き潰してやる。


 俺は今からヴィクターが泣いて詫びを入れる光景を思い浮かべて、頬が上がってしまう。


「先に言っておく。ヴィクターは二段階に到達して、今は三段階を超える訓練中だ。間違いはないと思うが、抜かるなよ」

「父上、バカにしないでいただきたい。あいつと俺では戦場で戦った経験が違います」


 すでに俺は実戦の中で生きている。


 最近、訓練を覚えて鍛えた奴に負けるはずがない。


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