《side ロディス・アースレイン》
こんなにも怒りを覚えたのは、久しぶりだ。
何もかもが、腹立たしかった。
広間を出てから、しばらく一人きりで回廊を歩きながら、俺は拳を握りしめていた。
戦場から離れ、婚約があると言われて帰ってきてみれば、令嬢の誰からも選ばれなかった。それはまだいい。互いに相性があるのだ。
だが、ヴィクター。
あの雑魚が。
ずっと落ちこぼれだった弟が、なぜ今、こうして女たちの視線を一身に集めている? 俺よりもモテるなど許されない。
ラヴェンデル家の令嬢とカテリナ家の聖女。
美しい二人の令嬢がヴィクターを選んだ。
どちらからも望まれて、どちらを選ぶかで頭を悩ませるなど……ふざけるな。
それは本来俺の役目だったはずだ。
兄上の王女殿下の婚約は約束されていたようなもんだった。
ウィルは正直、雑魚として価値もない存在だった。
だが、ヴィクター。
帰ってきて、成長しているのを感じる。
だが、俺の方がまだ強い。
「お前のような雑魚が、何様のつもりだ……」
殺気が漏れそうになるのを堪え、俺は天井を睨みつける。
自分でも、自分の感情が理解できなかった。ただ、抑えきれない苛立ちが胸を焼いていた。
俺は努力してきた。兄グレイスの背中を追いながらも、家を継ぐ覚悟で、己の剣を磨いてきた。
実力も評価も、全てを積み重ねてきたはずだった。
だというのに……俺を選ぶ婚約相手が、いないだと?
選ばれなかった。
それだけでも腹立たしい。
周りの従者たちも、そのような印象じゃないか。
事実、俺に向けられた熱はどこにもなかった。
マリスティーナは兄を選び、フレミアはヴィクターの側を選んだ。
そしてアリシアまでも、ヴィクターに手を伸ばす。
「……どこで、間違えた?」
いや、違う。全部、あいつのせいだ。
いつからだ? あいつが俺よりも話題に上るようになったのは?
女たちの目が、あいつを追うようになったのは?
「……調子に乗りやがって」
兄として見下してきた存在だった。惨めに生き、役に立たないと蔑まれていたはずの弟が……貴族令嬢の心を弄ぶほどに成り上がるとは。
そんなもの、許されていいはずがない。
「いずれ思い知らせてやる。お前がどれほど身の程知らずかってことをな……!」
あまりにも怒りが収まらなくて、俺は厨房でワインを一本飲み干した。
それでも怒りが湧いてきて、グラスを壁に投げつける。
その時だった。
現れたのは父、アースレイン侯爵が、静かに俺に声をかけてきた。
「……ロディス」
「父上……」
「こんなところで一人でやけ酒か? 少しばかり話がある。歩きながらで構わん。ついてこい」
無言で従う。
こうして並んで歩くのは久々だったが、父は俺の表情をちらりと見ただけで、すぐに話題に入った。
「ヴィクターが、お前と戦いたいと言っていたぞ」
「……は?」
思わず足を止めかけた。
「……あのガキが、俺と戦いたいと?」
ありえない! 実力差がわからないのか? 俺とお前では雲泥の差がある。
「そうだ。自分の実力を、次に確かめる相手としてお前を選んだ。私はヴィクターでは実力不足であると突っぱねた。だが、ロディスお前が戦いたいと言うのであれば、戦わせても良いと私は思っているのだ」
「……本気、なんですか?」
あり得ない。あのヴィクターが、俺に? この俺に、戦いを挑むというのか?
あまりにも馬鹿馬鹿しい。
「貴様は、三段階まで闘気を超えたようだな。私もお前の実力を認めているぞ。だが、貴様も言いたいことはあろう。戦う理由は十分ある」
父はそこで、意図的に言葉を切る。目は冷静だった。
なるほど……俺を使ってヴィクターの実力を知るために、利用する気か?
それが分かるほどには、俺もこの家で生きてきたつもりだ。
だが、それでもいい。
むしろ、好都合だ。
俺の中に渦巻くこの苛立ち、そして誇りを、叩きつけるには相手として不足はない。
実力の違いを思い知らせてやる。
「……なら、戦わせてください。兄としてヴィクターに稽古をつけてやりたいと思います」
俺は静かに、しかし確かな口調でそう答えた。
あいつに思い知らせてやる。
女に好かれただけで、自分が何かになれたと勘違いした弟に。
お前は、まだ俺の背中にすら届いていないんだと、身をもって教えてやる。
歯を食いしばり、屈辱を味わって、そこで、またあのときの落ちこぼれの雑魚に戻ればいい。
「ふん、婚約者を巡る戦争が、まさか兄弟同士の私闘になるとはな」
父の言葉に、俺は返さなかった。けれど、心の奥ではすでに剣を抜いていた。
逃げるなよ、ヴィクター。
今度は兄としてじゃなく、“戦士”としてお前を叩き潰してやる。
俺は今からヴィクターが泣いて詫びを入れる光景を思い浮かべて、頬が上がってしまう。
「先に言っておく。ヴィクターは二段階に到達して、今は三段階を超える訓練中だ。間違いはないと思うが、抜かるなよ」
「父上、バカにしないでいただきたい。あいつと俺では戦場で戦った経験が違います」
すでに俺は実戦の中で生きている。
最近、訓練を覚えて鍛えた奴に負けるはずがない。