《side アリシア・ラヴェンデル》
月明かりが差し込む小さな窓辺に、私はぽつりと腰を下ろしていた。
今日、私はアースレイン家の三男、ヴィクター様に「婚約者」として選ばれた。
……だけど、それはまだ正式なものではない。
たった一ヶ月。
それが与えられた期限。
その間に、もっと彼を知って、彼にも私を知ってもらう。そういう猶予期間。
けれど、胸の奥に残るのは、どこか不安に似た感情だった。
(本当に……私は、必要とされているのかしら?)
ヴィクター様は、すでにアースレイン家の一員として認められていた。
妖精さんたちの話では、虐げられて、私の救いを待っていると言っていたのに、すでに自分の力で立ち上がり、兄であるウィルを倒し、他の方々に引けを取らぬ実力者となっていた。
「彼を救いたい」という想いは、もう必要ないのではないかと思えてしまう。
私は必要とされていない? 私が傍にいる意味は、本当にあるのだろうか?
その答えが欲しくて、私はそっと名前を呼んでしまう。
約束を破っていることはわかっているのに。
「……ルゥ、ミィ、ネィ……聞こえる?」
部屋には、誰の気配もない。けれど、すぐに小さな光の粒が、窓辺に浮かび上がった。
きらきらと輝きながら、三匹の妖精たちが姿を現す。
ルゥは翡翠色の髪を持つ、知恵を司る妖精。
ミィは紅色の羽を持つ、感情の流れを読む妖精。
ネィは透明に近い金髪を持ち、未来の断片を覗き見る力を持つ妖精。
本当は、アースレイン家では姿を現してはいけないと、ずっと言われていた。
でも、今夜だけは。
「……やっぱり、呼んじゃったね」
最初に声を上げたのはルゥだった。呆れたようにため息をつきながら、私の肩に降り立つ。
「アースレイン家では出てきちゃいけないって言ったのに」
「ごめんなさい。でも……どうしても、聞きたかったの」
私がそう言うと、ミィがくるくると舞いながら、ふわりと私の前に浮かんだ。
「わかってる。私たちも心配してたから」
「ヴィクター様は……もう、私がいなくても大丈夫なのかな?」
その言葉に、三匹の妖精たちは顔を見合わせた。
やがて、ネィが小さく頷いて、静かに口を開く。
「確かに、ヴィクターは立ち直っていたね」
「だけど、それがすべてじゃないよ」
ミィが続けるように言葉を紡ぐ。
「彼の心は、まだずっと傷ついたままだ。誰にも言えない、深い闇を抱えてる。たとえ強くなったように見えても、それは乗り越えたわけじゃない。むしろ、僕らが考えていたよりも、彼の心はボロボロだよ」
「うん。それに……」
ネィが言葉を継いだ。
「アリシアとヴィクターの運命は、繋がっているよ。彼の未来には、確かにアリシアがいる。それがどういう形になるかは、まだ分からないけれど……」
「アリシアが選ばれた。それが答えだよ」
その言葉に、私は胸を撫で下ろした。
「……選ばれたのは、私なのね」
「うん。猶予期間って言葉に惑わされちゃだめ。あれはお互いを知るための時間であって、選ばれなかったわけじゃない」
「むしろ、未来を選ぶ機会を与えられたんだよ」
ミィの声には、どこか誇らしげな響きがあった。
「ヴィクターを救いたいって思ったのは、アリシアの本心だったでしょ? だったら、自分の気持ちに嘘をつかないで」
「……ありがとう、みんな!」
そうだよね。私は聖女になりたい。だけど、それは一人の人を救うこともできないようじゃなれない。
私は妖精さんたちに励まされて、小さく笑った。
不安もある。でも、それでも私は、自分の想いを信じたい。
彼と向き合うことを、諦めたくない。
私は聖女の血を受け継ぐ、アリシア・ラヴェンデル。
この国で、未来の聖女になると決めた。
そして、彼の傍にいるって決めたんだから覚悟を決めればいい。
私はそっと窓を開け、夜の風に頬を撫でられながら、星空を見上げた。
明日から始まる、本当の一ヶ月。
それが、きっと運命を変えるのだと信じて。
「ふふふ、みーつけた」
「えっ?」
窓の向こうに、一人のメイドさんが立っていた。
「だれ?」
「初めまして、アリシア・ラヴェンデル様。私はヴィクター様の専属メイドをしております。リュシアと申します」
ヴィクター様の専属メイド? こんな人いたかしら?
「どうして窓の外にいるの?」
「それはたまたまです」
「たまたま?」
今は夜も遅い時間で、普通は外で仕事をしているはずがない。
警備の騎士ならともかくメイドなのに……。
「ええ、たまたまです。アリシア様。幼い体には、睡眠は天敵です。どうか、ゆっくりとおやすみください」
「ええ、そうするわ。おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
そう言ってリュシアと名乗ったメイドは、立ち去っていく。
不思議なほどに怪しいメイドを不審に思いながらも、窓を閉めた。
「なんだったのかしら?」
私はベッドに潜り込んで、妖精さんたちと話したい気持ちを抑えて、目を閉じた。
だけど、まぶたの裏に先ほどのメイドの怪しい顔が浮かんでくる。
それはとても恐ろしいものに思えて、不安が過った。