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第33話

《side アリシア・ラヴェンデル》


 月明かりが差し込む小さな窓辺に、私はぽつりと腰を下ろしていた。


 今日、私はアースレイン家の三男、ヴィクター様に「婚約者」として選ばれた。


 ……だけど、それはまだ正式なものではない。


 たった一ヶ月。


 それが与えられた期限。


 その間に、もっと彼を知って、彼にも私を知ってもらう。そういう猶予期間。


 けれど、胸の奥に残るのは、どこか不安に似た感情だった。


(本当に……私は、必要とされているのかしら?)


 ヴィクター様は、すでにアースレイン家の一員として認められていた。


 妖精さんたちの話では、虐げられて、私の救いを待っていると言っていたのに、すでに自分の力で立ち上がり、兄であるウィルを倒し、他の方々に引けを取らぬ実力者となっていた。


「彼を救いたい」という想いは、もう必要ないのではないかと思えてしまう。


 私は必要とされていない? 私が傍にいる意味は、本当にあるのだろうか?


 その答えが欲しくて、私はそっと名前を呼んでしまう。


 約束を破っていることはわかっているのに。


「……ルゥ、ミィ、ネィ……聞こえる?」


 部屋には、誰の気配もない。けれど、すぐに小さな光の粒が、窓辺に浮かび上がった。


 きらきらと輝きながら、三匹の妖精たちが姿を現す。


 ルゥは翡翠色の髪を持つ、知恵を司る妖精。

 ミィは紅色の羽を持つ、感情の流れを読む妖精。

 ネィは透明に近い金髪を持ち、未来の断片を覗き見る力を持つ妖精。


 本当は、アースレイン家では姿を現してはいけないと、ずっと言われていた。


 でも、今夜だけは。


「……やっぱり、呼んじゃったね」


 最初に声を上げたのはルゥだった。呆れたようにため息をつきながら、私の肩に降り立つ。


「アースレイン家では出てきちゃいけないって言ったのに」

「ごめんなさい。でも……どうしても、聞きたかったの」


 私がそう言うと、ミィがくるくると舞いながら、ふわりと私の前に浮かんだ。


「わかってる。私たちも心配してたから」

「ヴィクター様は……もう、私がいなくても大丈夫なのかな?」


 その言葉に、三匹の妖精たちは顔を見合わせた。


 やがて、ネィが小さく頷いて、静かに口を開く。


「確かに、ヴィクターは立ち直っていたね」

「だけど、それがすべてじゃないよ」


 ミィが続けるように言葉を紡ぐ。


「彼の心は、まだずっと傷ついたままだ。誰にも言えない、深い闇を抱えてる。たとえ強くなったように見えても、それは乗り越えたわけじゃない。むしろ、僕らが考えていたよりも、彼の心はボロボロだよ」

「うん。それに……」


 ネィが言葉を継いだ。


「アリシアとヴィクターの運命は、繋がっているよ。彼の未来には、確かにアリシアがいる。それがどういう形になるかは、まだ分からないけれど……」

「アリシアが選ばれた。それが答えだよ」


 その言葉に、私は胸を撫で下ろした。


「……選ばれたのは、私なのね」

「うん。猶予期間って言葉に惑わされちゃだめ。あれはお互いを知るための時間であって、選ばれなかったわけじゃない」

「むしろ、未来を選ぶ機会を与えられたんだよ」


 ミィの声には、どこか誇らしげな響きがあった。


「ヴィクターを救いたいって思ったのは、アリシアの本心だったでしょ? だったら、自分の気持ちに嘘をつかないで」

「……ありがとう、みんな!」


 そうだよね。私は聖女になりたい。だけど、それは一人の人を救うこともできないようじゃなれない。


 私は妖精さんたちに励まされて、小さく笑った。


 不安もある。でも、それでも私は、自分の想いを信じたい。


 彼と向き合うことを、諦めたくない。


 私は聖女の血を受け継ぐ、アリシア・ラヴェンデル。


 この国で、未来の聖女になると決めた。


 そして、彼の傍にいるって決めたんだから覚悟を決めればいい。


 私はそっと窓を開け、夜の風に頬を撫でられながら、星空を見上げた。


 明日から始まる、本当の一ヶ月。


 それが、きっと運命を変えるのだと信じて。


「ふふふ、みーつけた」

「えっ?」


 窓の向こうに、一人のメイドさんが立っていた。


「だれ?」

「初めまして、アリシア・ラヴェンデル様。私はヴィクター様の専属メイドをしております。リュシアと申します」


 ヴィクター様の専属メイド? こんな人いたかしら?


「どうして窓の外にいるの?」

「それはたまたまです」

「たまたま?」


 今は夜も遅い時間で、普通は外で仕事をしているはずがない。


 警備の騎士ならともかくメイドなのに……。


「ええ、たまたまです。アリシア様。幼い体には、睡眠は天敵です。どうか、ゆっくりとおやすみください」

「ええ、そうするわ。おやすみなさい」

「はい。おやすみなさい」


 そう言ってリュシアと名乗ったメイドは、立ち去っていく。


 不思議なほどに怪しいメイドを不審に思いながらも、窓を閉めた。


「なんだったのかしら?」


 私はベッドに潜り込んで、妖精さんたちと話したい気持ちを抑えて、目を閉じた。


 だけど、まぶたの裏に先ほどのメイドの怪しい顔が浮かんでくる。


 それはとても恐ろしいものに思えて、不安が過った。


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