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第27話

 食事会が終わった後も、令嬢たちはしばらくアースレイン家に留まり、交流を深めることになった。


 王家、聖女家、そして伯爵家。


 それぞれの令嬢が婚約の可能性を探りながら、アースレイン家の者たちと時間を共にする。


 この期間、貴族としての交流を深めるのは当然のことなのだが、僕にとってはどうでもいいことだった。


 特に、アリシアの視線が常にこちらを追い続けていることが鬱陶しい。


 会話の機会を作ろうとする気配を感じるたびに、逃げるように距離を取っていたが、彼女は諦めるつもりはないようだ。


(……ならば、いっそ離れるしかないか)


 屋敷で彼女の視線を受け続けるくらいなら、鍛錬に励んだ方が遥かに有意義だ。


 そう思い、僕はリュシアを伴って《死の森》へと足を運ぶことにした。


 屋敷の喧騒を抜け出し、ひんやりとした空気に包まれた森の奥へと進む。


 辺りに漂う魔素は濃く、夜になると強力な魔物たちが蠢き出す。


 しかし、それこそが僕が求めている環境だった。


 静寂の中、木々の間を縫うように進みながら、リュシアが退屈そうに言う。


「ふーん、やっぱりご主人様ってば、逃げてきたのね?」

「何のことだ?」

「アリシアちゃんのことよ。彼女、ずっとご主人様のこと見てたわよ? あれは完全に恋する乙女の目ね」


 リュシアはくすくすと笑いながら、僕をからかうような視線を向けてくる。


「くだらない」

「ええ? そんなこと言っちゃう? もしかして、ご主人様ってば女心がわからない男なの?」


 リュシアは木の上に飛び乗り、面白がるように僕を見下ろす。


「アリシアちゃん、相当ご主人様に夢中みたいなのに」

「興味がない」

「でも、未来では婚約してたんでしょう?」


 リュシアの言葉に、一瞬だけ思考が止まる。


 そう、確かに過去では、アリシアは僕の婚約者だった。


 そして未来では、僕を裏切った。


「……未来の彼女とは違う」

「でもさ、今の彼女って、どう見ても悪意を持ってるようには見えないわよね?」


 リュシアは木から飛び降り、僕の前に立つ。


「未来でご主人様を裏切ったのがアリシアちゃんだったっていうのは、確かなんでしょ?」

「ああ、間違いない」

「ふ〜ん」


 彼女はわざと間を置いて、いたずらっぽく笑った。


「ご主人様が、彼女をそういう風に変えちゃったんじゃない?」

「……」


 僕は何も答えなかった。


 過去が変わったことで、彼女の未来も変わるのか? だが、それはわからない。


「それとも、もともと彼女は裏切るつもりで、ただ演技してるだけだったのかしら? まあ、魔族じゃないってことは確かだけど」


 そう言って、リュシアは肩をすくめる。


 その時、突然、周囲の空気が変わった。


 濃密な魔力が漂い、木々の間から赤い瞳が覗く。


「来たか」


 僕はゆっくりと魔剣冥哭を抜いた。


 茂みの奥から姿を現したのは、黒い毛並みを持つ巨大な狼――《デス・ウルフ》。


 この森に生息する上位魔物の一種だ。


「おお、結構強そうじゃない? やっちゃう?」

「当然だ」


 デス・ウルフは牙を剥き、低く唸り声を上げた。


 その動きを見た瞬間、僕は地を蹴った。


 鋭い爪が空を切り、僕の頭上を掠める。


 だが、その隙を突いて、僕の剣が閃いた。


「冥哭、《影葬》」


 魔剣が闇の波動を纏い、黒い斬撃が狼の胴体を貫いた。


 刹那、デス・ウルフは苦痛の叫びを上げながら、その身を闇に呑まれていく。


「うわぁ……相変わらず、えげつないわねぇ」


 リュシアは興味深そうに僕の剣を見つめる。


「魔力を喰らう剣……ねぇ、ご主人様? その剣の力、どこまで扱えてるの?」

「まだ一割程度だ」


 実際、《冥哭》の力は底が知れない。


 僕がまだ完全に制御できていないことは、戦うたびに実感していた。


「でもさ、ご主人様。そろそろ気づいてるでしょ?」

「何がだ?」

「未来のご主人様と、今のご主人様。もう別人みたいになってるってこと」


 リュシアは意味深な笑みを浮かべる。


「未来のご主人様は、アリシアちゃんに裏切られて処刑された。でも今のご主人様は、アリシアちゃんを拒否している。そうなると、未来はどんどん変わっていくわよ」

「……」


 彼女の言葉に、僕は無言で剣を収めた。


 未来は、変わる。変えられる。


 だが、それが良い結果を生むとは限らない。


「アリシアちゃんを遠ざけてるけど、本当にそれでいいの? ご主人様が知りたい未来のためには、アリシアちゃんを選んだ方がいいんじゃないの?」


 リュシアは軽い口調で言いながら、僕の横に並んだ。


「もし、ご主人様が彼女の未来を変えちゃってたら、もしかしたら裏切られることもなくなってたかもしれないのにね?」

「……それなら、それでいい」


 僕は淡々と答えた。


「僕は、誰も信じない」


 未来がどうなろうと、僕は僕の力で生きる。


 そして、どんな敵が現れようとも、すべてを斬り伏せるだけだ。


「ふふ、そういうところがご主人様らしいわね」


 リュシアは満足げに笑いながら、再び歩き出した。


 僕は彼女の背中を見つめながら、一瞬だけ、記憶が脳裏をよぎる。


 昔の僕は、仲間を信じていた。


 それが、どれほど愚かなことだったのかを思い知った。


 だから、僕はもう誰も信じない。


 己の力のみで、未来を切り開く。


 そう決意しながら、僕は再び、死の森の奥へと足を踏み入れた。

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