《sideヴィクター・アースレイン》
夜の森は静寂に包まれ、冷たい風が木々の間を抜けていく。
死の森。
その名の通り、魔物が巣食い、昼夜を問わず強者たちが命を奪い合う戦場だった。
ここでの修行は過酷を極めた。
強靭な肉体を作り上げ、闘気を極限まで高める。魔力を制御し、魔剣と一体化するように鍛え続ける。すべては、ヴォルフガングを討つために。
熊のような巨大な魔獣と死闘を繰り広げ、闘気を膨らませる。
オーガの群れと渡り合い、魔力を高めていく。手足が砕かれようとも、己の限界を超えるために、ただひたすらに戦い続けた。
「ご主人様、良い知らせと悪い知らせがあるわ」
木陰から、リュシアがふわりと現れた。月明かりに照らされたその姿は、どこか楽しげで妖艶だ。
「どっちから聞く?」
「無駄話をしている暇はない。要点を言え」
「アハッ! 冷たいわね。でも、いいわ」
彼女の金色の瞳が妖しく輝く。
「ヴォルフガングが、お腹を空かせて動き出したわ」
「……っ!」
一瞬、胸がざわつく。だが、すぐに冷静さを取り戻す。
あの魔族が動くということは、奴の“食事”が始まるということだ。
リュシアから、魔族は一定数の時間が経てば、腹を空かせる。そして、それぞれの好みに合った食事をするという。
「どこだ」
「ここから東の街道沿い。ちょうど商隊が通る時間帯ね」
「ドイルには連絡しろ。屋敷で待機させる」
「了解♪ それで、ご主人様は?」
「決まっている」
僕は一度屋敷に戻って準備をした。
前回の冒険者ギルドで敗北してから、それほど時間は経っていない。
「闘気は二段階に到達したな。それに基礎の能力も自分が思う半分ぐらいは動ける」
今の体は全盛期の三分の一を取り戻した程度だ。
だが、これでいい。ヴォルフガングと戦うには。
漆黒のコートを羽織り、仮面をつける。
闇夜に紛れ、魔剣と共に戦うための装いだ。
「行くぞ」
共はリュシアだけ。
言葉と同時に、そのままヴォルフガングの元へ向かった。
月明かりの下、地を蹴り、風を切る。
今の僕は、過去の弱いヴィクターではない。鍛え抜かれた体、研ぎ澄まされた闘気、増大した魔力。すべてを駆使し、奴を討つための準備はできた。
そして、街道沿いに差し掛かったとき、血の匂いがした。
……遅かったか。
暗闇の中に広がる地獄絵図。
奴隷商隊が襲われ、馬車は横転し、地面には血と死体が転がっていた。切り裂かれた男、胸を貫かれた女、そして、震える子供たち。
そして、その中心に、ヴォルフガングがいた。
漆黒の剣を手にし、微笑を浮かべながら、まだ息のある子供の喉元へと刃を突きつけている。
「……助けて……!」
その言葉を聞いて、ヴォルフガングは口角を吊り上げた。
「助けてやるよ。永遠に楽になれる方法でな」
瞬間、ヴォルフガングの剣が振り下ろされた。
「……っ!」
その瞬間、僕は地面を蹴った。
風を切り裂き、ヴォルフガングの剣が振り下ろされる前に、僕の魔剣がそれを迎え撃つ。
ガキィィィンッ!!!
激しい衝撃音が響き、ヴォルフガングの剣が跳ね上がる。奴は驚いたように僕を見つめた。
「……ほう?」
返り血を浴びたヴォルフガングの金色の瞳が、興味を引かれた獲物を見つけたかのように光る。
「誰だ?」
答えるつもりはない。
僕はただ剣を構え、ヴォルフガングを見据えた。
「へぇ……いいねぇ、その目。殺す気マンマンじゃねぇか」
奴は楽しげに笑う。
「さっきの一撃、なかなかだったぜ。……お前、何者だ?」
「お前が知る必要はない」
低く告げると、ヴォルフガングは興味深げに首を傾げた。
「ま、いいさ。どうせすぐに喰らうんだからな」
その言葉と共に、ヴォルフガングが漆黒の剣を振るった。
速い。
奴の剣閃は、Aランク冒険者たちの比ではない。まさに戦場を生き抜いてきた猛者の動きだ。
「……甘い」
僕は一歩踏み込み、奴の剣を弾き飛ばす。
ガキィィィンッ!!
「なんだと!?」
ヴォルフガングの目が驚愕に見開かれる。
先日の戦いとは違う。僕は全てを鍛え直した。
闘気、魔力、剣技
すべてがかつての僕とは別次元の領域にある。
「貴様、その動き……っ!」
「もう遅い」
言葉と共に、魔剣を振り抜く。ヴォルフガングはギリギリで後退し、刃を交わしたが、その頬に一筋の切り傷が走る。
「……ほぉ? これはいい」
奴は笑みを浮かべ、舌で流れた血を舐めた。
「これは楽しくなりそうだぜ」
その瞬間、ヴォルフガングの全身から黒いオーラが溢れ出す。
血の匂いと共に、漆黒の剣が不気味な光を放つ。
「お前……まさか……」
「気づくのが遅ぇよ」
ヴォルフガングは笑う。
「そうだ、俺の剣はただの剣じゃない。魔族の力を宿す、“喰らう剣”よ」
奴の背後で、怯える子供たちの声が響いた。
「お前の相手をする前に……こいつらを片付けてからにするか?」
ヴォルフガングの剣が震える少年の首元へと向かう。
その瞬間、僕の体が無意識に動いた。
「好きにすればいい」
「えっ?」
「へっ?」
ヴォルフガングは、子供も僕の言葉が意外だったようだ。
「それでお前が強くなるならやってみろ。今のお前は雑魚だ。そして、お前程度の奴に僕は負けたのか? 雑魚すぎてつまらない」
僕は子供が殺されることに心など動かない。
人はちょっとしたことで心を変えて、僕を敵として判断する。
従う者以外に、興味などない。
「どうしたやらないのか?」
「こんなガキいらねぇよ!」
ドォンッ!!!! 地を蹴り、一瞬でヴォルフガングが間合い入り込んでくる。
「……」
奴が魔剣を振り抜く。
ガギィィンッ!! ヴォルフガングの剣と激突し、火花が散る。
「今のは不意をついたつもりか?」
ヴォルフガングの笑みが、少しだけ崩れる。
「……はっ、おもしれぇ」
再び剣を構えたヴォルフガングの瞳に、確かな殺意が宿った。
「やってみろよ、坊ちゃん」
闇夜に、再び剣戟が響き渡る。