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第17話

 一度目は、アースレイン侯爵家の屋敷にある地下へと続く階段を下る時、挑戦するための恐怖があった。


 薄暗い灯りが石壁に沿って並び、足音が響くたびに、静寂が破られる。


 この先にあるのは、アースレイン家の宝物庫。


 そして、僕が求める魔剣『冥哭』が眠る場所。


 未来の僕は、この剣を手にするために、ここで試練を受けた。


 ただ、その時は……恐怖に震えながらの挑戦だった。


 だが、今の僕は違う。


 暗闇に一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。


 異空間に放り込まれたかのような錯覚に陥るが、これは現実だ。


 僕はすでに、試練の領域へと引きずり込まれたのだ。


 心臓の鼓動が大きくなる。


 そして、周囲に“何か”が存在しているのを感じた。


 それは形を持たない黒い影、人の形をしているが、顔はない。

 そして、その手には一本の剣が握られていた。


 それは、かつて僕が仲間に殺された時の剣だった。


 この試練は、挑戦者の“最大の恐怖”を形にする。


「これが恐怖? そうか、自分では怖いと感じていないつもりだったが、死ぬというのは怖かったんだな。これが僕の恐怖か」


 顔のない黒騎士は無言で剣を構える。


 殺気が増し、圧迫感が全身を包む。


 次の瞬間、奴が一気に間合いを詰めた。


「そんなもので僕を倒せると思うな」


 僕は剣を振るい、黒騎士の一撃を受け止める。


 鋼がぶつかり合い、火花が散る。


 黒騎士の力は強い。


 僕の剣はそれを受け流し、確実にカウンターを叩き込む。


「――ッ!!」


 黒騎士の腕を斬り飛ばす。漆黒の霧が溢れ、奴の姿が揺らぐ。


 それでも、奴は剣を持ち直し、再び襲いかかってきた。


「黒騎士よ。貴様が、恐怖の象徴だったとしても僕は心を持たない。そして、恐怖など昔に乗り越えた」


 あの時は、愛する人のためだった。


 愛する人を守りたい。愛する人のために強くなりたい。


 だけど、その愛の答えは裏切りだった。


 今の僕に恐怖はない。だから、もう僕は迷わない。


 全身に闘気を巡らせ、一気に踏み込む。

 黒騎士が振るった剣を紙一重で避け、残された腕を吹き飛ばす。


「終わりだ」


 刃が影の核を貫いた瞬間、黒騎士の身体が霧散した。


 ……勝った。以前は命からがらの勝利だった。

 だが、今の僕にとっては、ただの一戦に過ぎない。


 試練を乗り越えたことで、目の前の景色が変わる。先ほどの闇が晴れ、そこには古びた石造りの部屋が広がっていた。


 その中央に、一本の剣が突き立てられている。


 漆黒の刃を持つ魔剣。


 周囲の空間すら歪めるかのような、異様な気配を放っていた。


 『冥哭』


 アースレイン家の宝剣にして、試練を乗り越えた者しか扱えぬ剣。


 かつての僕は、この剣を手にした時、その静寂に驚いた。


 だが、今の僕には、この力こそが必要だった。


 僕は剣の柄に手を伸ばし、力強く握りしめる。


 その瞬間、剣が震え、漆黒のオーラが爆発的に広がった。


 この剣が僕を試した。


 そして、“選ばれる者”かどうかを見定めるように今もためし続けている。


「……僕を拒むなら、力づくで従わせるまでだ」


 闘気を剣に送り込み、魔剣の暴走を抑え込む。


 意志のぶつかり合い。


 剣が僕を飲み込もうとするなら、それ以上の力でねじ伏せる。


 何秒……いや、何分が経っただろうか。


 やがて、『冥哭』は静かにその震えを止めた。


 僕を主として認めた証だった。


「これで、ヴォルフガングを倒す準備が整ったな」


 漆黒の剣を腰に収め、僕は静かに息を吐く。


 魔剣『冥哭』を手にしたとはいえ、それだけでは勝てるとは思っていない。

 ヴォルフガングに勝つためには、もっと強くなる必要がある。


「魔剣『冥哭』はヴィクターを選んだ。これより。その魔剣はヴィクターの物だ」


 アースレイン侯爵の宣言により、剣の主に選ばれた。



 だけど、これだけじゃ足りない。


 魔剣だけじゃヴォルフガングに勝てない。


 だからこそ、僕は“実戦形式”の修行を選んだ。


 戦場で戦いながら、闘気と魔力を極限まで高める。

 死線を潜り抜けることで、生命エネルギーを極限まで引き上げる。


 そうすることで、真の強さを手に入れる。


「ふふ、ご主人様ったら無茶するわねぇ♪」


 リュシアがくすくすと笑いながら、僕を見つめる。

 その金色の瞳には、どこか期待するような光が宿っていた。


「無茶ではない。合理的な方法だ」

「合理的……ねぇ。強くなるために、死ぬかもしれない戦いに挑むなんて、普通の人間なら狂気の沙汰よ?」

「普通のやり方ではヴォルフガングには勝てない」

「それは確かに♪ 相手は戦闘の魔族だからね」


 リュシアは満足そうに微笑んだ。


「ドイル、エリザベス。準備はいいか?」


 僕は後ろを振り返り、二人に確認する。


「……問題ありません、ヴィクター様」


 ドイルは真剣な表情で頷く。以前とは違い、その眼差しには迷いがない。


「ワン!」


 エリザベスもやる気に満ちた瞳で僕を見つめている。


「よし、行くぞ」


 僕たちは、死の森へと足を踏み入れた。


 この森には、強力な魔物が潜んでいる。


 熊のような巨大な魔物、オーガと呼ばれる鬼のような魔物。


 どれも一撃で人間を殺せるほどの強敵ばかりだ。


 だが、僕にはそれが必要だった。死線を越えることで、闘気と魔力の器を広げ、魔剣『冥哭』を自在に扱えるようになる。


 森の奥へ進んでいくと、異様な殺気を感じた。


「ご主人様、来たみたいよ?」


 リュシアが笑いながら、前方を指差す。


 そこにいたのは、ブラッドベアと呼ばれる巨大な熊型魔獣だった。


 全長三メートルを超える巨体に、鋭い鉤爪。赤黒い体毛は、これまでに狩った獲物の血を吸い込み、濡れたように輝いている。


「……これなら、十分な死線だな」


 僕は剣を構え、ブラッドベアを見据える。


「ヴィクター様、援護します!」


 ドイルが剣を抜き、エリザベスが低く唸りながら身構える。


 だが、僕は彼らに命じた。


「お前たちは手を出すな。これは僕の修行だ」

「……っ!? しかし!」

「いいから、黙って見てろ」


 僕はブラッドベアへ向かって、まっすぐに駆け出した。


「グルルァァァッ!!」


 咆哮とともに、ブラッドベアが鉤爪を振るう。


 その爪が、音を切り裂きながら僕の首を狙ってくる。

 かすれば、肉を裂かれ、骨ごと砕かれるほどの威力。


 だが、それこそが狙いだ。


 死の危機にさらされることで、闘気が高まる。生命エネルギーが燃え上がり、全身に力が漲るのを感じた。


「……遅い」


 最小限の動きで回避し、カウンターを放つ。漆黒の剣が閃き、ブラッドベアの肩口を斬り裂いた。


「グァァァァ!!」


 獣が激痛に吼える。


 だが、こいつはまだ終わらない。

 怒りに任せて、さらに鋭い一撃を繰り出してくる。


 僕は冷静にそれを受け流し、確実に急所へと攻撃を叩き込む。


「これで……終わりだ!」


 最後の一撃を放ち、ブラッドベアの喉元を貫いた。


「グル……ッ」


 巨体が崩れ落ちる。


 その瞬間、僕の体に何かが流れ込むのを感じた。


 闘気の上昇、生命エネルギーの増加。死の恐怖を乗り越えたことで、僕の闘気はさらに強く、洗練されていく。


「はぁ……はぁ……」


 息を整えながら、僕は剣を納めた。


 闘気を高めるために何度も死を体験する。


 本来なら、戦場で学んだことだ。弱い僕は何度も死にかけた。


 そうやって強くなった。


 今の僕は弱い。だから、死んでも強くなる。


 次に現れたのは、オーガだった。


 角を持つ人型の化け物、全長二メートルを超える筋骨隆々の体躯。その巨体が持つ棍棒は、一撃で大木を粉砕するほどの威力を秘めている。


「ご主人様、また一人でやるのね♪」

「当然だ。ドイル、手を出すなよ」

「はっ、はい!」


 僕は魔剣『冥哭』を構え、魔力を練り込む。


 強力な魔物を討伐することで、魔力の器を広げる。

 それが、今回の目的の一つだった。


「グオオオオッ!!」


 オーガが咆哮し、棍棒を振り上げる。


 その動きに合わせ、僕も剣を振るった。


「砕け散れ」


 漆黒の刃が光を放ち、オーガの棍棒ごと両断する。


 冥哭は魔力を吸収する剣だ。


 敵を斬れば斬るほど、その魔力は増大していく。


「……悪くない」


 僕は剣を握りしめ、確かな手応えを感じた


 死線を越えながら、闘気・魔力・剣術の全てを磨き上げる。


 ブラッドベアとの戦いで、生命エネルギーを極限まで引き上げた。

 オーガとの戦いで、魔力を鍛え、魔剣を自在に操る術を学んだ。


 一度では終わらない。


 何度も何度も何度も、繰り返し死の森で、僕は死ぬ思いをする。


「……まだ足りない」


 もっともっと強くなる。

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