一度目は、アースレイン侯爵家の屋敷にある地下へと続く階段を下る時、挑戦するための恐怖があった。
薄暗い灯りが石壁に沿って並び、足音が響くたびに、静寂が破られる。
この先にあるのは、アースレイン家の宝物庫。
そして、僕が求める魔剣『冥哭』が眠る場所。
未来の僕は、この剣を手にするために、ここで試練を受けた。
ただ、その時は……恐怖に震えながらの挑戦だった。
だが、今の僕は違う。
暗闇に一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
異空間に放り込まれたかのような錯覚に陥るが、これは現実だ。
僕はすでに、試練の領域へと引きずり込まれたのだ。
心臓の鼓動が大きくなる。
そして、周囲に“何か”が存在しているのを感じた。
それは形を持たない黒い影、人の形をしているが、顔はない。
そして、その手には一本の剣が握られていた。
それは、かつて僕が仲間に殺された時の剣だった。
この試練は、挑戦者の“最大の恐怖”を形にする。
「これが恐怖? そうか、自分では怖いと感じていないつもりだったが、死ぬというのは怖かったんだな。これが僕の恐怖か」
顔のない黒騎士は無言で剣を構える。
殺気が増し、圧迫感が全身を包む。
次の瞬間、奴が一気に間合いを詰めた。
「そんなもので僕を倒せると思うな」
僕は剣を振るい、黒騎士の一撃を受け止める。
鋼がぶつかり合い、火花が散る。
黒騎士の力は強い。
僕の剣はそれを受け流し、確実にカウンターを叩き込む。
「――ッ!!」
黒騎士の腕を斬り飛ばす。漆黒の霧が溢れ、奴の姿が揺らぐ。
それでも、奴は剣を持ち直し、再び襲いかかってきた。
「黒騎士よ。貴様が、恐怖の象徴だったとしても僕は心を持たない。そして、恐怖など昔に乗り越えた」
あの時は、愛する人のためだった。
愛する人を守りたい。愛する人のために強くなりたい。
だけど、その愛の答えは裏切りだった。
今の僕に恐怖はない。だから、もう僕は迷わない。
全身に闘気を巡らせ、一気に踏み込む。
黒騎士が振るった剣を紙一重で避け、残された腕を吹き飛ばす。
「終わりだ」
刃が影の核を貫いた瞬間、黒騎士の身体が霧散した。
……勝った。以前は命からがらの勝利だった。
だが、今の僕にとっては、ただの一戦に過ぎない。
試練を乗り越えたことで、目の前の景色が変わる。先ほどの闇が晴れ、そこには古びた石造りの部屋が広がっていた。
その中央に、一本の剣が突き立てられている。
漆黒の刃を持つ魔剣。
周囲の空間すら歪めるかのような、異様な気配を放っていた。
『冥哭』
アースレイン家の宝剣にして、試練を乗り越えた者しか扱えぬ剣。
かつての僕は、この剣を手にした時、その静寂に驚いた。
だが、今の僕には、この力こそが必要だった。
僕は剣の柄に手を伸ばし、力強く握りしめる。
その瞬間、剣が震え、漆黒のオーラが爆発的に広がった。
この剣が僕を試した。
そして、“選ばれる者”かどうかを見定めるように今もためし続けている。
「……僕を拒むなら、力づくで従わせるまでだ」
闘気を剣に送り込み、魔剣の暴走を抑え込む。
意志のぶつかり合い。
剣が僕を飲み込もうとするなら、それ以上の力でねじ伏せる。
何秒……いや、何分が経っただろうか。
やがて、『冥哭』は静かにその震えを止めた。
僕を主として認めた証だった。
「これで、ヴォルフガングを倒す準備が整ったな」
漆黒の剣を腰に収め、僕は静かに息を吐く。
魔剣『冥哭』を手にしたとはいえ、それだけでは勝てるとは思っていない。
ヴォルフガングに勝つためには、もっと強くなる必要がある。
「魔剣『冥哭』はヴィクターを選んだ。これより。その魔剣はヴィクターの物だ」
アースレイン侯爵の宣言により、剣の主に選ばれた。
♢
だけど、これだけじゃ足りない。
魔剣だけじゃヴォルフガングに勝てない。
だからこそ、僕は“実戦形式”の修行を選んだ。
戦場で戦いながら、闘気と魔力を極限まで高める。
死線を潜り抜けることで、生命エネルギーを極限まで引き上げる。
そうすることで、真の強さを手に入れる。
「ふふ、ご主人様ったら無茶するわねぇ♪」
リュシアがくすくすと笑いながら、僕を見つめる。
その金色の瞳には、どこか期待するような光が宿っていた。
「無茶ではない。合理的な方法だ」
「合理的……ねぇ。強くなるために、死ぬかもしれない戦いに挑むなんて、普通の人間なら狂気の沙汰よ?」
「普通のやり方ではヴォルフガングには勝てない」
「それは確かに♪ 相手は戦闘の魔族だからね」
リュシアは満足そうに微笑んだ。
「ドイル、エリザベス。準備はいいか?」
僕は後ろを振り返り、二人に確認する。
「……問題ありません、ヴィクター様」
ドイルは真剣な表情で頷く。以前とは違い、その眼差しには迷いがない。
「ワン!」
エリザベスもやる気に満ちた瞳で僕を見つめている。
「よし、行くぞ」
僕たちは、死の森へと足を踏み入れた。
この森には、強力な魔物が潜んでいる。
熊のような巨大な魔物、オーガと呼ばれる鬼のような魔物。
どれも一撃で人間を殺せるほどの強敵ばかりだ。
だが、僕にはそれが必要だった。死線を越えることで、闘気と魔力の器を広げ、魔剣『冥哭』を自在に扱えるようになる。
森の奥へ進んでいくと、異様な殺気を感じた。
「ご主人様、来たみたいよ?」
リュシアが笑いながら、前方を指差す。
そこにいたのは、ブラッドベアと呼ばれる巨大な熊型魔獣だった。
全長三メートルを超える巨体に、鋭い鉤爪。赤黒い体毛は、これまでに狩った獲物の血を吸い込み、濡れたように輝いている。
「……これなら、十分な死線だな」
僕は剣を構え、ブラッドベアを見据える。
「ヴィクター様、援護します!」
ドイルが剣を抜き、エリザベスが低く唸りながら身構える。
だが、僕は彼らに命じた。
「お前たちは手を出すな。これは僕の修行だ」
「……っ!? しかし!」
「いいから、黙って見てろ」
僕はブラッドベアへ向かって、まっすぐに駆け出した。
「グルルァァァッ!!」
咆哮とともに、ブラッドベアが鉤爪を振るう。
その爪が、音を切り裂きながら僕の首を狙ってくる。
かすれば、肉を裂かれ、骨ごと砕かれるほどの威力。
だが、それこそが狙いだ。
死の危機にさらされることで、闘気が高まる。生命エネルギーが燃え上がり、全身に力が漲るのを感じた。
「……遅い」
最小限の動きで回避し、カウンターを放つ。漆黒の剣が閃き、ブラッドベアの肩口を斬り裂いた。
「グァァァァ!!」
獣が激痛に吼える。
だが、こいつはまだ終わらない。
怒りに任せて、さらに鋭い一撃を繰り出してくる。
僕は冷静にそれを受け流し、確実に急所へと攻撃を叩き込む。
「これで……終わりだ!」
最後の一撃を放ち、ブラッドベアの喉元を貫いた。
「グル……ッ」
巨体が崩れ落ちる。
その瞬間、僕の体に何かが流れ込むのを感じた。
闘気の上昇、生命エネルギーの増加。死の恐怖を乗り越えたことで、僕の闘気はさらに強く、洗練されていく。
「はぁ……はぁ……」
息を整えながら、僕は剣を納めた。
闘気を高めるために何度も死を体験する。
本来なら、戦場で学んだことだ。弱い僕は何度も死にかけた。
そうやって強くなった。
今の僕は弱い。だから、死んでも強くなる。
次に現れたのは、オーガだった。
角を持つ人型の化け物、全長二メートルを超える筋骨隆々の体躯。その巨体が持つ棍棒は、一撃で大木を粉砕するほどの威力を秘めている。
「ご主人様、また一人でやるのね♪」
「当然だ。ドイル、手を出すなよ」
「はっ、はい!」
僕は魔剣『冥哭』を構え、魔力を練り込む。
強力な魔物を討伐することで、魔力の器を広げる。
それが、今回の目的の一つだった。
「グオオオオッ!!」
オーガが咆哮し、棍棒を振り上げる。
その動きに合わせ、僕も剣を振るった。
「砕け散れ」
漆黒の刃が光を放ち、オーガの棍棒ごと両断する。
冥哭は魔力を吸収する剣だ。
敵を斬れば斬るほど、その魔力は増大していく。
「……悪くない」
僕は剣を握りしめ、確かな手応えを感じた
死線を越えながら、闘気・魔力・剣術の全てを磨き上げる。
ブラッドベアとの戦いで、生命エネルギーを極限まで引き上げた。
オーガとの戦いで、魔力を鍛え、魔剣を自在に操る術を学んだ。
一度では終わらない。
何度も何度も何度も、繰り返し死の森で、僕は死ぬ思いをする。
「……まだ足りない」
もっともっと強くなる。