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第9話

 静かな夜だった。


 月は冷たい光を落とし、森の奥にある小さな湖面を淡く照らしていた。


 その静寂の中、僕とリュシアは向かい合っていた。


 僕は焚き火の前で剣を磨いていたが、リュシアはその向かい側で足を組み、頬杖をついて僕をじっと見ていた。


「ねぇ、ご主人様」


 彼女の金色の瞳が、月明かりの下で妖しく光る。


「……なんだ」

「あなたって、すごく良い絶望の匂いがするわよね」


 唐突にそんなことを言われ、手を止める。


「……は?」

「別に悪い意味じゃないわ。ただ、普通の人間が持ってる『悲しみ』や『怒り』とは違うのよね。もっと、深い……そう、『理解されるはずのない絶望』って感じかしら? それは絶望を超えて虚無の境地に達しているように感じるのよね」


 リュシアは微笑みながら、焚き火の明かりの向こうから僕を見つめる。


「何が言いたい」

「教えてよ、ご主人様。あなたがどんな絶望を抱えているのか」


 僕は自分が断罪されたあの日を思い出す。誰かに話すことじゃない。


「言っても信じないさ」

「アハっ! そういうこと言うってことは、きっとすごく面白い話なのよね?! とても興味があるわ!」


 リュシアがくすくすと笑いながら、僕の方へ身を乗り出してくる。


「信じないならいうだけ無駄だ」

「うーん、でも、どうせ信じないならいってみたら? それとも、いえない理由でもあるのかしら?」

「……ないな」


 口は誰かに話たところで意味がないと思うだけだ。


 そんな僕にリュシアはいたずらっぽく微笑む。


 不思議だ。全てを諦め、全てに絶望して、もうどうでもいいと思っていたのに、今の僕はリュシアに話しても良いと思っている。


 ドイルや、未来で会ったことがある者たちと語ろうとは思わない。


 だけど、新しい生を受けて、出会ったリュシア。

 魂で繋がりあったと感じる不思議な存在。


 魔術は反射した。だが、結局相手を従わせることで、僕は魔術の中にいる。


 これもリュシアの術中なのかもしれない。だが、今の僕は語ってもいいと思っている。


「じゃあ、言えばいいじゃない。あっ、そうだ!」


 彼女が指をパチンと鳴らし、ふわりと立ち上がる。


「ご主人様が口にしたことを、私が誰にも言えないように服従の魔術で強制すればいいのよ! そうすれば、誰にも漏れる心配はないでしょ?」

「……そんなことまでできるのか?」

「当然よ。私の魔術は一級品だもの。服従の魔術を通して命令すれば、それを裏切れない。『秘密保持』の効果を追加を与えればいい」


 リュシアは嬉しそうに手を差し出した。


「ほら、命令して! ご主人様」

「なら、今から話すことは二人だけで誰にも語るな」

「承知しました。どうぞ。これで言いたい放題よ、ご主人様♪」


 ふざけた奴だ、と僕は思う。


 でも、本当に誰にも漏れないのなら、誰かに聞いて欲しいと思っていたのかもしれない。


 未来で何があったのか? 僕がどんな人生を歩み、どんな最期を迎えたのか。


 何の価値もない人生なのか? 誰も知らないという虚しさが僕にも残っていたことに驚きを感じる。


 今さら口にしたところで、何も変わりはしない。


 ただの戯れのつもりで、僕は口を開いた。


「……僕は、未来から来たんだ」


 焚き火がパチリと音を立てる。


 リュシアは、目を細めながら僕を見つめている。


「未来?」

「ああ。僕は、一度死んだ。そして……この時代に戻ってきた」

「へぇ~」


 リュシアは腕を組みながら、興味深そうに僕の話を聞いている。


「未来の僕は落ちこぼれと言われ、婚約者によって見出され強くなった。平和な王国を作りたくて、悪政を行っていた王家を倒した。だが、王家を打倒した夜、僕は恋人に裏切られた。そして、背中を預けあって、もっとも信頼していると思っていた仲間たちに裏切られて断罪された」


 静かに、淡々と語る。


 仲間たちに対して、怒りはない。悲しみもない。


 復讐したいという気持ちもなくはないが、強くは感じない。


 ただ、誰も信じられない絶望と、どうして裏切られたのかという疑問だけが残った。


「最後に見た光景は、処刑台の上から見下ろす仲間たちの顔だったよ。信じ、支えてくれたはずの人たちが……僕の死を望んでいた」


 その光景が、頭の奥に焼きついている。


「僕は彼らを信じた。だから、彼らのために戦った。でも、最後は一人だった」


 言葉を紡ぎながら、胸の奥がじくじくと痛む。


 あの時、何が間違いだったのか? どこで、誰を信じるべきじゃなかったのか? そんなことを、考え続けている。


「へぇ~……」


 リュシアは僕の話を聞き終えると、くすくすと笑った。


「アハッ! 最高じゃない!」

「……何がだ」

「だって、ご主人様は希望を持ってたんでしょう? 仲間と共に未来を築こうって! それなのに、最後には全部裏切られて……それが全部無意味だったって思い知らされたのよね?」


 彼女の声は、妙に楽しげだった。


「絶望って、そういうものなのよ! だから私は、ご主人様のことが大好きなのよ!」


 僕は呆れたようにため息をつく。


「ふざけた奴だな」

「ふふっ、でもね、ご主人様」


 リュシアはにっこりと微笑んだ。


「それなら、今のご主人様は何のために生きてるの?」


 それは、あまりにも単純な問いかけだった。


 僕は、何のために生きている? 過去をやり直すため? 未来を変えるため?


「……そんなもの、決まっている」


 僕は静かに答えた。


「真実を知るためだ」


 焚き火の炎が揺れる。リュシアは、満足げに笑った。


「……ふふ、やっぱりご主人様は最高ね♪ 普通は復讐者になるはずなのに、心は完全に闇に染まっているのに、求めるのは光なのね」

「光?」

「そうよ。だって、誰かを恨むのではなく、誰かを疑うのではなく。ただ、起きた事象に対して答えを求めている。それが絶望に繋がるとしても、突き進むのでしょ?」

「ああ、そうだな」

「きっと、それは光を求めているってことなのよ。ふふ、本当に面白い。きっとその光が絶望であったとき、ご主人様は最高の終わりを迎えるのでしょうね。私は最後までそれを見届けるわ」


 月明かりの下、僕とリュシアは火を挟んで向かい合ったまま、しばし沈黙を楽しんだ。


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