訓練場の中央に立ち、目の前のヴォルフガングを見据えた。
奴は腰の剣に手をかけ、まるで獲物を狙う獣のような眼差しを僕に向けてくる。
「……お前、相当鍛えてるな。だが、まだ甘いぜ」
ヴォルフガングの目が鋭く光った瞬間、全身の肌が粟立つ。空気が変わった。Cランクのフラル、Bランクのクレイとは次元が違う。
殺し慣れた戦士の気迫。
単なる剣技ではなく、戦場で磨かれた殺意。
それが僕に向けられている。
「……ほう、随分と凶暴な気配を出してくるじゃないか」
無意識のうちに、剣を握る手に力がこもる。
「今のでも怖気付かないか、いいねぇ。坊ちゃんがそんな顔できるってことは、少しは楽しめそうだな」
ヴォルフガングの足が地面を踏み鳴らした。
「始めるぞ!」
言葉と同時に、奴が一気に間合いを詰める。その速さに、周囲の冒険者たちが息を呑む。
「……っ!」
僕はギリギリで剣を振るい、奴の一撃を受け止めた。衝撃が腕に走る。重い。想像以上だ。
「チッ……ッ」
後方へ跳び、体勢を立て直す。しかし、ヴォルフガングは一瞬の隙も見せず、すでに次の一撃を繰り出していた。
「……ッ!」
反射的に剣を動かし、奴の斬撃を弾く。
「ははっ、いいねぇ! それだよ、それ!」
ヴォルフガングは笑いながら、さらに剣を振るう。踊るような剣裁き。攻撃の流れに一切の淀みがない。
「お前、どこでそこまでの経験を積んだ?」
ヴォルフガングが、僕の経験に気づいた。
最後まで仲間として戦っただけのことはある。
強い。
「いいねぇ……」
僕は僅かに口元を歪めた。そう、これこそが僕の求めていた戦いだ。
全盛期のヴォルフガングはどこまで強かった? 奴は何を失って弱くなった?
「行くぞ……!」
剣に闘気を纏わせ、全身の筋肉を一瞬で活性化させる。体が軽くなり、ヴォルフガングの動きが遅く見えた。
「――――」
地を蹴り、一気に間合いへ飛び込む。
「おっと!」
ヴォルフガングが僅かに驚きの表情を見せるが、すぐに剣を振るい僕の斬撃を弾く。
「悪くねぇ。だが……!」
ヴォルフガングが笑い、全身の力を込めて剣を振り下ろした。
「チッ!」
僕も全力で剣を振り上げ、受け止める。
ガキィィィンッ!! 激しい衝撃が訓練場全体に響き渡り、その衝撃で互いに大きく後退した。
「はぁ……はぁ……」
息を整えながら、ヴォルフガングを睨む。
「ふぅ……今の一撃、なかなかだったぜ。だが……まだ終わりじゃねぇ」
ヴォルフガングは腰の剣をもう一本抜いた。それは異様な漆黒の輝きを放つ剣だった。
「……なんだ、それは?」
無意識に一歩後ずさる。
何かがおかしい。この剣……ただの武器じゃない。いや、未来でも見たことがあるような気がする。
「お前に見せるつもりはなかったが……ご褒美だ。これが、俺の本気ってやつだ」
ヴォルフガングの笑みが狂気を孕んだものに変わる。
その瞬間、肌が総毛立った。
「……ッ!」
ヴォルフガングの漆黒の剣が空気を切る。ただの斬撃ではない。
――何か、“異質なもの”が剣に宿っている。
「さあ、来いよ。俺の”闇”を受け止められるならな」
訓練場が静まり返る。周囲の冒険者たちは、一様に息を呑み、後ずさった。
誰もが感じ取っていた。これは、普通の戦いじゃない。
直感的に理解する。この剣はただの武器じゃない。
ふと、相棒だった剣のことを思い出す。
魔剣! そう呼ばれる剣を僕も持っていた。
ヴォルフガングの漆黒の剣が、闇を纏いながら音もなく振るわれる。
その一閃を、本能的に回避した。
「……ぐっ!」
胸元を掠めるようにして、闇の剣が通り過ぎる。
触れていないのに、そこからじわりと痛みと冷気が広がっていく。
「ククク……どうした? さっきまでの勢いは?」
ヴォルフガングの口元に、薄く笑みが浮かぶ。
何かがおかしい。斬撃を受けたわけではないのに、体が鉛のように重くなる。
まるで、力が吸い取られていくかのような――。
「おいおい、もう終わりか?」
ヴォルフガングが不敵な笑みを浮かべる。
「この剣はな、生命力を削るんだよ」
「生命力を……削る?」
驚きに目を見開く。
「そうさ。触れただけでな……お前の生命力、つまり闘気を喰らうんだ」
ヴォルフガングが剣を振るい、僕の体を狙う。
避けられない。いや、体が動かない。
「ははっ、やっぱりな」
ヴォルフガングの剣が右肩を掠めた。
「……ッ!」
視界が暗くなり、意識が深い水底へと沈んでいくような感覚が広がった。
僕は、負けたのか?
「ぐっ!」
一瞬、意識が飛んでいた。
「……ヴィクター様? ヴィクター様!」
ドイルの声が遠くで聞こえる。ゆっくりとまばたきを繰り返しながら、頭を振る。
「ドイル?」
「はい!」
「ワン!」
僕の目の前にドイルと、エリザベスがヴォルフガングに対峙していた。
「お前たち」
「はは、どうやら味方に助けられたようだな。まぁ、テストは終わりだ。俺の一撃を耐えたことは褒めてやる。Bランクを倒した。だが、仲間がいなければ命を落とすバカな野郎だ。Cランクから始めやがれ」
そう言ってヴォルフガングは剣を納めて、立ち去っていく。
どうやらドイルとエリザベスに助けられたようだ。
「ぐっ!」
魔力を奪われたことで、一気に体が重くなる。
ドイルに肩を借りて休憩室で眠りについた。
次に目を覚ますと見知らぬ天井に戸惑いを覚えるが、受付嬢が隣にいる。
状況を思い出す。そうだ、僕はあの剣にやられたんだった。
「……ヴィクター様はCランクの認定として正式に認められました。あのまま戦っていたら、本当に危険でした。でも、ヴィクター様の実力はギルドでも高く評価されます」
受付嬢は微笑みながら、一枚のギルドカードを差し出した。
「正式に冒険者として登録され、ランクはCですが、Bランクに近い評価です」
ギルドカードを受け取り、静かに頷く。
「……そうか」
「ですが、無茶はなさらないでください。あのような戦いを続けていては、命がいくつあっても足りません」
受付嬢の言葉には純粋な心配が滲んでいた。
「僕の勝手だ」
「ドイル様はフライ様に勝利して、テイマーのリュシアさんはエリザベスちゃんと共にCランクです。ですからパーティー全員がCランクで、チームとしてBランク認定を受けられることになりました」
受付嬢の説明を聞いて、僕はギルドカードをポケットにしまった。
ギルドの外へ出る。沈みかけた夕日が、空を赤く染めていた。
「負けちゃったね〜、ご主人様♪」
どこにいたのか、リュシアが楽しげに笑いながら現れた。
「うるさい」
苛立ちを隠せずに歩き続ける僕の横で、リュシアはくすくすと笑い続けている。
「でも仕方ないわよね。あの剣……ご主人様じゃまだ勝てないわ」
足を止め、リュシアを睨みつけた。
「どういう意味だ」
「教えてほしい? 教えてほしいんだ?」
リュシアは悪戯っぽく笑う。
「お前の役目だろ」
「アハッ! あの剣はね……」
リュシアの笑みが消え、金色の瞳が妖しく輝く。
「“魔族”よ」
「……なんだと?」
一瞬、言葉が出なかった。
「あの剣に宿っているのは、魔族の魂よ。ヴォルフガングは人間だけど……彼は気づかないうちに、魔族に取り憑かれているの」
「取り憑かれている……?」
すでにヴォルフガングは魔族に操られていた?
「ふふ、つまりね、ご主人様。ヴォルフガングは人間の皮を被ったまま、魔族の武器を使い続けているの」
「そんなことが……」
信じがたい話だ。未来でも、ヴォルフガングは剣術の師だった。
それが満足だったなんて……。
「簡単なことよ。魔族は消えたんじゃない。人間の中に紛れ込んで、じわじわと支配を広げているの」
リュシアの言葉が、脳内で反響する。
「ふふ、どうするの? 今のご主人様じゃ勝てないよ?」
「……決まっている」
ギルドカードを握りしめる。
「もっと強くなる。次こそ、あの剣を叩き折る」
リュシアの口元が、満足そうに歪む。
「アハッ! いいわね、ご主人様♪」
僕は絶対に、負けたままで終わらない。
ヴォルフガングを、倒す。いい目標ができた。