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第10話

「何をしている?」

「おはよう、ご主人様。今日も絶望に満ちた素敵な朝ね♪」

「ワン!」


 目を開けると、リュシアはベッドの上に座り、僕を見下ろしていた。


 片手で頬杖をつき、長い白髪を指でくるくると巻きながら、妖艶な笑みを浮かべて。その金色の瞳は、何かを期待するように輝いている。


「……お前、毎朝ここにいるつもりか?」


 服従させてから、毎朝起こしに来るようになった。


「当たり前じゃない♪ だって、ご主人様の絶望は最高の糧なんですもの! こうして、あなたが目覚めて現実に引き戻される瞬間……ああっ、美味しい♡」

「ワンワン!」

「ほら、エリザベスも嬉しいと行っているわ」

「エリザベスって誰だ?!」

「もちろん、ダイワウルフのエリザベスよ」


 彼女はうっとりとした顔をして、僕の表情を眺めている。


 勝手にダイワウルフに名前をつけていることに、僕は大きくため息をついた。


「……変態か?」

「えぇ? そんなことないわよ?」

「いや、あるだろ」


 僕は布団を払いのけて立ち上がった。こんな魔族を相手にしていても仕方がない。


 だが、リュシアは満足そうにくすくすと笑っている。


「ご主人様、今日はどんな一日を過ごすの?」

「剣の鍛錬と闘気の訓練だ」

「ふぅん、それじゃあ私もついていくわ♪」

「お前は何もしなくていい」

「えぇ〜? でも私って貴重な情報源よ? 魔族のこと、もっと知りたいんじゃない? それにね、もしも魔族がいれば教えてあげられるわよ。他の魔族は、魔族のことがわからないけど、私はわかるの」


 僕は顔をしかめた。確かに、リュシアの存在は奇妙だが、彼女が持っている情報や能力は価値がある。


「……好きにしろ」

「うふふ、了解♪」


 服を着替えて扉を開けると……。


「ヴィクター様! おはようございます!」

「お前もか……」


 どんどん騒がしくなる状況に頭が痛くなってくる。


 ゾロゾロと食堂に向かっている間に、屋敷の使用人たちから視線を感じる。


 だが、リュシアの存在に気づいてはいる者も、彼女が何者なのか尋ねる者はいない。


 侯爵家の嫡男として認められた今では、使用人が僕に口を出すことはない。


「ヴィクター様、お食事の準備が整っております」


 食堂に到着すると、メイドのアマンダが恭しく頭を下げる。


「ああ」


 食堂に入ると、贅沢な料理が並んでいた。無言で食事を始めたが、対面の席に座ったリュシアは興味深そうに料理を眺めていた。


 エリザベスと名付けられた、ダイワウルフはお皿に肉を用意されて美味しそうに食べている。


「へぇ~、人間の食事って意外と美味しそうね」

「お前は食べないのか?」

「私は負の感情が主食だから、食事は必要ないわね……たまには味見したくなるわよ」


 そう言って、彼女はフォークを手に取り、肉を一口食べた。


「ん~、まぁまぁね。でも、ご主人様の絶望には敵わないわ♪」

「……もう喋るな」


 僕はため息をついて食事を続けた。リュシアが屋敷に住み着いてから、こういう調子でまとわりついてくることが増えた。


 彼女は常に僕をからかって楽しんでいる。


 食後、僕は庭に出て、剣の鍛錬を始める。


 全身に闘気を巡らせ、基礎の型を何度も繰り返す。


「へぇ、ご主人様って本当に剣が好きなのね」


 リュシアが木陰に座りながら、こちらを眺めていた。

 ドイルは俺と同じように剣を振るって、闘気を巡らせる。


「黙れ」

「ふふ、でもご主人様って、戦うためだけに生きているわけじゃないでしょ?」


 あの夜に話たことをリュシアは言っているのだろう。


「……お前が何を言いたいのか知らんが、無駄口を叩くな」

「アハっ、ごめんなさい♪ でもね、私が言いたいのは……それに今でも人間の中では強いのに、まだ強さを求めるのね」


 リュシアは頬に手を当て、妖艶な笑みを浮かべた。


「人間って、憎しみに囚われたまま生きるのが一番美しいから、今のご主人様は大好きよ。人の絶望の向こう側を知っているんだもの」


 僕は剣を振り下ろし、リュシアを睨んだ。


「黙れと言った」

「は〜い」


 リュシアは満足げに微笑んだ。彼女は僕をからかい、僕の負の感情を味わいたいのだろう。


 彼女が言う負の感情とは、過去に味わった絶望であり、裏切った者たちへの怒りや復讐心のことなのだろう。


 だが、それを糧にしていると言うなら食ってみればいい。


 この何も感じない気持ちを食べられて感情がなくなるなら、最後の一滴まで全てを食らえばいい。


 どちらにせよ、彼女は今、僕の「従者」として存在している。


「さぁ、ご主人様。今日も楽しい一日にしましょう?」


 リュシアの金色の瞳が妖しく輝く。僕は無言で剣を握りしめた。


 ♢


 さらに三ヶ月が過ぎて、半年を過ごしたことで、幼い体に筋肉がついて、闘気も正常に扱えるようになってきた。


 アースレイン侯爵家の中で、挑戦する前に、僕は次の強さを手に入れたい。


 過去に戻る前の歴史では、剣術を磨くために、僕が頼ったのは当時、冒険者をしていたヴォルフガングという男だった。


 王国でも屈指の剣術使いであり、強くなりたいと願って絶望する僕を鍛えた恩人だと思っていた。


 だが、奴は僕を裏切り殺した仲間の一人だ。


 過去に戻る前の僕は、最底辺の生活をしている僕に対して優しくしてくれたアリシアのために強くなりたいという一心で強くなる努力をしていた。


「おい、ガキ。死にたいのか?」


 ガムシャラに剣を振い魔物に挑んでいた僕は、魔物に敗北して死にかけた。


「誰?」

「ふん、冒険者のヴォルフガングだ。見ていろ」


 そう言って僕が敗北した魔物を瞬殺した。僕はその姿に憧れて、ヴォルフガングの剣を真似るようにして、背中を追いかけた。


 いつしか戦場で背中を預け、僕はヴォルフガングを超えた。


「全盛期の俺なら、お前に負けることはなかった」


 僕に敗北した時、ヴォルフガングが言った言葉。


 当時の僕は心のどこかで違和感を覚えた。


 憧れた背中が、とても小さく見えた。


 だが、十三年前に戻った今、この領地に滞在している全盛期のヴォルフガングがいるはずだ。


 なら、今の奴に勝つことで強さを手に入れられる。


「ヴィクター様、こちらに滞在している冒険者の方を見つけました」


 執事のドイルに探させていた冒険者ヴォルフガング。


「間違いないか?」

「はい! Aランク冒険者のヴォルフガング様だと伺っています」


 その名前を聞いた瞬間、胸がざわついた。


 過去に戻る前の記憶が鮮やかに蘇り、僕の人生にどれだけ深く関わった人物なのかを思い出させる。


「……分かった」

「はっ!」


 ドイルが下がると、リュシアが近寄ってきた。


「ご主人様、とても良い顔をしているわよ」

「黙れ!」


 リュシアに自分の心が悟られたような気がした。


「つれないことをいうのね。ご主人様は今から目的を果たすために動くのでしょ?」


 リュシアは金色の瞳を細めながら微笑んだ。


「誰かを殺しに行くのね」

「!!」


 リュシアの言葉に心が読まれたような嫌な汗が流れる。


「たくさんの人を殺したのでしょう? そして、また誰かを殺すのね! ふふ、いいわ。やっぱりご主人様は凄く良いわ!」


 恍惚とした表情をして、潤んだ瞳で僕を見る。


「ねぇ、ご主人様。もし殺す相手が魔族に憑かれていたとしたらどうするのかしら?」


 囁くように、僕へと語りかけるリュシア。


 もしも、ヴォルフガングが魔族に憑かれていたなら……。


 魔族に唆されて、僕を裏切った? それとも最初は良き師だったのか?


「真実を聞くだけだ」

「すぐに向かうの?」

「いいや、今の僕では勝てない」


 強くなる決意を、僕は一層強くした。


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