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第7話

 目の前で頭を下げ、忠誠を誓う魔族のリュシア。


 この女の言葉をすべて信じるつもりはない。だが、僕が求める真実に近づける手がかりになるなら、利用する価値はある。


「ドイル」

「はっ!」

「魔物だ」

「えっ?」


 ドイルが驚いたように僕を見る。


 この森を訓練場に選んだ理由の一つは、魔物が生息しているからだ。実戦形式の鍛錬をするにはうってつけの環境だと判断したからだ。


「グルルル!」


 唸り声とともに、影が木々の間から飛び出してくるのは、五匹のダイアウルフ。


「襲ってくるか……」


 こちらを取り囲むように、ダイワウルフたちがじりじりと距離を詰めてくる。


「ヴィクター様! ダイアウルフは討伐推奨ランクB級の魔物です! 我々では勝てないレベルの魔物ですよ!」

「なぜ、そう思う?」


 ドイルは愕然とした顔をしている。僕にとっては、たいした相手じゃない。何よりも、リュシアが慌てていない。


「リュシア。お前の力を見せろ」

「アハっ! それが最初の命令かしら?」

「そうだ。服従するのだろ?」

「お安い御用よ。ご主人様♪」


 僕は剣を納め、リュシアの戦闘を見つめることにした。


 ドイルは戸惑う顔をしていたが、どうでもいい。


「アハっ! ワンちゃんたち、ごめんなさい。ご主人様の命令なの!」


 リュシアが微笑んだ瞬間、ウルフたちが弾け飛んだ。風のような軌跡を描きながら、ダイワウルフたちの間を駆け抜ける。


「アハッ!」


 一匹目の喉が裂け、二匹目の心臓が貫かれた。鈍い音とともに、魔物の巨体が地面に倒れる。速い。今の僕では、目で追うのが精一杯だ。


「すごっ……」


 思わずドイルが呟く。


 四匹目まで、瞬く間に屠られ、残る一匹はまだ幼い個体が残される。


 最後のダイワウルフにトドメを刺そうとするリュシアの顔は、絶望を前にしたダイワウルフを美少女が残忍な笑みを浮かべ殺そうとする。


 僕はその腕を掴んだ。


「アハっ! どうしたのかしら? ご主人様? せっかく、親を殺して絶望に怯えるこの子を殺すところなのに」


 楽しみの邪魔をされたリュシアが、猟奇的な瞳で僕を見る。


「こいつにお前の魔術をかけろ」

「魔術? まさか、服従の魔術のことかしら?」

「そうだ。お前の魔術が、魔物にも効果があるのか試したい。服従の魔術によって、僕のしもべにしてみせろ」

「なるほど、わかったわ!」


 リュシアが赤黒い魔法陣が展開して、ダイワウルフの幼体に魔力を注ぐ。


 ダイワウルフの体に魔力がまとわりついて、青白い体毛は、黒く染まり、ところどころ赤い斑模様が浮かび上がる。


「アハっ! 完成よ。ただ……家族を殺された恨みを私に向けているから、色が変わってしまったけど、ご主人様に従うわ」


 リュシアが悪戯っぽく笑う。


 僕はダイワウルフに近づき、手を差し出した。


 明らかに獰猛な魔物にしか見えない、漆黒のダイアウルフが鼻先を寄せてくる。


 そして、匂いを嗅いだ後……ペロリと僕の指を舐めた。


「魔物が……人に従っている……!」


 ドイルの動揺した叫び声が森に響く。


 ダイワウルフがびくりなるが、逃げずに僕を守るようにドイルに唸り声をあげ始めた。


「うっ!」


 ドイルは肩を震わせて、一歩後ずさる。


 魔物が人間に敵意を向けるのは当然のことだ。だが、今のこいつは明確に僕を守るために唸っている。


 魔物が人に懐くなど、特定の訓練を積んで生まれた瞬間から手懐けた存在でしか聞いたことがない。


「リュシア、貴様の力は使える」

「アハっ! やっと信じてくれたのね? 嬉しいわ、ご主人様。もしかして、魔物の軍団でも作るつもりなのかしら?」

「さぁな」


 リュシアの力は本物だ。真実を突き止めるために、服従の魔術を利用する。


 その力は僕の役に立つ。


(……僕が断罪されたことに、魔族は関与していたのか?)


 王家の腐敗、仲間たちの裏切り。それらが、全て魔族の仕業だったとしたら……。


 最初から、僕の運命は仕組まれていたのか? 記憶では、仲間たちとの信頼に彩られていた。だが、訪れたのは断罪されるという結末だ。


 それがすべて魔族の策略に過ぎなかったとしたら、僕は道化でしかない。


「リュシア」

「アハっ! 何かしら? ご主人様」


 無駄に妖艶な笑みを浮かべていたリュシア。


 もしも、自分が何も知らないウブな少年だったなら、リュシアを見て頬を染めて惚れていただろう。


 だが、今の僕にそんな感情は存在しない。


「やめろ」

「む〜! どうして魅了も効かないのよ! これは魔術じゃないのに!」

「異常効果も無意味だ。僕には効かない」


 病魔に侵されていた体は、異常態勢を無効化するという副産物を生み出した。


 どれほど強力な病だったのか、知らないがオーラによって病魔を克服したときに異常耐性を手に入れた。


「そんな人間がいるなんてズルい!」


 ぷりぷりと頬を膨らませるリュシアは、魅力的な見た目をしているが、今の僕にはどうでもいいことだ。


「それで魔族とはなんだ?」

「随分とアバウトな質問ね。でも、いいわ。ご主人様に教えてあげる、魔族という存在についてね」


 リュシアの金色の瞳が月明かりに照らされてわずかに光を帯びた。


「魔族とは、人の負の感情を糧として生きる種族よ」

「負の感情……?」

「そう、憎しみ、嫉妬、怒り、絶望……人間が抱える暗い感情は、私たちの力の源になるの。私たちは、その感情を引き出すために、人を貶め、利用し、破滅へと追い込む」


 リュシアは魔族について語りながら恍惚の表情を浮かべる。


「破滅だと……?」

「アハっ! そう、破滅。それが人間の負の感情が最高潮に高まり、最も激しく燃え上がらせるのよ。人間が破滅する直前、その魂から溢れ出す感情は、とても甘美で……たまらないの!」


 リュシアは両手を広げて月の光を一身に受けながら恍惚とした表情を浮かていた。


「つまり、魔族にとって人間は餌に過ぎないってことか?」

「まぁ、そうね。魔族にとって、人間は糧にするために存在しているといっても過言じゃないわ」

「……そんなくだらない理屈があるか?」


 リュシアの言葉に怒りを覚えながらも、その冷酷な論理に戦慄する。

 人間は魔族に良いように操られているだけなのか? 僕は魔族の策にハマって死んだのか?


「でもね、ご主人様。魔族がいなければ、人間は自分たちの暗い感情を持て余すのよ。それをコントロールして、利用してあげている私たちは、人間にとって必要な存在でもあるのよ」


 リュシアの言葉にはどこか歪んだ正当性があった。

 それがまた、僕の思考を混乱させる。


「アハっ! 人は欲深い生き物なの! それを増幅させて、幸福に導き、一気に絶望に叩き落とす! ふふ、最高ね」

「……僕を断罪したあいつらも、魔族に利用されていたのか?」


 リュシアには聞こえない声で、僕は呟いてしまう。

 考え事をしていると、リュシアが顔を近づけてきた。


「なんだ?」

「人間は魔族に操られているだけじゃないよ。自分の意思で魔族のように生きる人族だっているよ」


 その言葉は、胸を抉るように突き刺さった。つまりは、あいつら自身が魔族と同じ思考をしているのかもしれないということだ。


 リュシアとの会話を終えた俺の中には、いまだ整理のつかない思いが渦巻いていた。


 魔族の存在、そしてかつての仲間たち。そのすべてが曖昧で、確信には程遠い。


 だが、一つだけ分かっていることがある。


「結局、僕の目的は変わらないな」


 仲間たちが何者であったのか、そして僕を裏切った理由が何だったのか? そして、どうして僕は過去に戻ったのか? 


 それを確かめるために、僕は剣を握り直した。


 もしも、僕を裏切った理由次第では、復讐を果たす。


「どうして、ついてくる?」

「アハっ! 何を言っているの、ご主人様。私はあなたに絶対服従なのよ。あなたから離れることはないわ。この体も、この心も全てあなたのモノよ」


 クネクネとイチイチ愛想を振り撒く、リュシアに舌打ちする「チッ!」。


「えええ! 私って可愛いよね? 傷ついちゃうな?!」

「そうやって心のスキマに入り込むのか?」

「アハっ! ご主人様に心のスキマがあるならね」


 その言葉を聞いてリュシアのことは無視することにした。


 僕の思考は深い闇に沈んでいった。


「もしも、あいつらの中に魔族がいたとしたら……?」


 最初に思い浮かぶのはアリシアだ。


 僕を断罪し、毒を盛り、最も深く裏切ったあの女。


 もしも魔族に操られていたのだとしたら許せるのか? いや、そんなはずはない。


「操られる以前に、あいつはレオと最初から……」


 剣を交え、命を預け合った戦友であるレオ。


 奴は、いつからアリシアと恋人になっていた? 信頼していたのに、最終的に裏切った。


「お前も魔族に操られていたのか? それとも、自分の意志で僕を貶めたのか……?」


 悪友だったジェイ、師匠、賢者、そして魔女のエリナ……。


 彼ら全員が僕を裏切り、「極悪傲慢貴族」として断罪した。


 その裏に魔族の存在があったとしたら……。


「全員が魔族だったのか? それとも誰か一人だけが……?」


 思考が渦を巻く。もしも魔族の介入がなければ、未来は変わっていたのだろうか? 僕が信じていた絆も、仲間たちも、すべて虚偽ではなかったのかもしれない。


 そんな希望にすがりつきたくなる。


 だが、もう一つの可能性が胸の奥が冷たい炎を灯す。


「もし、全員が自分の意志で僕を裏切ったのだとしたら……?」


 その可能性を考えるたび、胸の奥で冷たい怒りが燃え上がる。


 リュシアはそんな僕を見上げて、くすくすと笑った。


「ふふ、思考の波に飲まれているわね。ねえ、ご主人様。そんなに考えてばかりじゃ、頭がおかしくなっちゃうわよ?」

「……うるさい、黙れ!」


 喉元に剣を突きつける。


 リュシアはニヤリと笑い、両手を広げて降参のポーズを取る。


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