魔法陣が生成されて、リュシアの手から赤黒い光があふれ出した。
蛇のようのたうち、空間を漂いながら僕へと迫ってくる。
「……」
僕は目を閉じた。魔力を体中に巡らせ、闘気を高める。
そして、体の力を抜いた。
「抵抗しようとしても、無駄よ! 魔術は世界の理から逸脱しているんだもの!」
リュシアの楽しそうに声を上げる。
次の瞬間、赤黒い光が僕の体に触れた。
「ぐっ……?!」
全身に絡みつくような感覚。まとわりつく魔力が、僕の意識を侵食しようとする。
「ヴィクター様!」
「近づくな、ドイル!」
「しかし!」
鋭く睨むと、ドイルは歯を食いしばりながら動きを止めた。
忠誠心と言うものは凄いものだ。優先されるのは僕の言葉であり、ドイルは自分の意思を抑え込んだ。
「ふふ、抵抗しても無駄よ? あなたの濃厚な感情が強ければ強いほど、抗えないでしょうね」
「……っ! こっ、これはなんだ?!」
足が震え、膝を地面につく。
「ふふ、言葉が話せているのが凄い精神力ね。いいわ、侵食されるまでに教えてあげる」
リュシアが小首をかしげ、満足そうに微笑む。
「これは魔術よ」
「魔術……? なんだそれは?」
「ふふ、本当に無知ね。まぁ子供だから仕方ないのかしら? いい? あなたたちが使う魔法は、魔力や命を捧げることで契約を結ぶわよね。でも、魔術は魂に刻むの
「……魂に刻む?」
「そうよ。あなたが死んだとしても、魂に刻まれた魔術は、解除されないわ」
血の契約の上位互換じゃないか。
「魂に?! それをされたら、どうなるんだ?」
「ふふ、そうね。生まれ変わったとしても、時を越えたとしても、その契約は解除されないってことよ」
つまり、一度結ばれれば魂が消滅しない限り解除できない。
「いいじゃないか」
「えっ?!」
僕は口元を歪める。弾かれた魔力が反転して、リュシアの方へと向きを変えて彼女を襲う。
「キャーっ!?」
驚きの表情を浮かべるリュシアに対して、赤黒い光が彼女に触れると鎖のように彼女の体を縛り付けた。
不思議な感覚がする。彼女との間に、繋がりのような感覚を生まれた。
「どういうこと!? 服従の魔術が反射された!? ありえない!? これは魔法じゃないのよ! あなた本当に何をしたの!!」
僕は剣を抜き、その切っ先を彼女の喉元に突きつけた。
「僕は魔法が使えないんだ」
生まれつき魔法が使えない無属性の、無能者。
「魔法が使えないくせに、どうして魔術を反射できるのよ!」
リュシアの叫びに、僕は冷笑を浮かべる。
「僕には、魔法が使えない代わりに魔法も魔術も効かない体質でね」
「ハァ?! そんな人間いるわけがないじゃない!」
「『魔力無効化体質』というらしいぞ。ある賢者が名付けた」
魔術や魔法の影響を一切受けない。それが俺の体質だ。
「お前が使ったその服従の魔術は僕には通じない。魔術は成功しなければ、術者に跳ね返る。もしも、お前が僕の体質を超えるだけの強さを持っていれば違ったのかもしれないが、残念ながら僕の体質の方が強かったようだ」
「くっ……そんな……!」
リュシアは膝をつき、動揺を隠せない様子だった。
魔術師とは、何度か戦ったことがある。厄介な相手だったが、この体質のおかげで単独で倒すことができた。
「さて、話してもらおうか。お前は一体何者だ? そして、何の目的でここに現れた?」
剣の切っ先をリュシアの喉元に突きつける。
彼女は苦悶の表情を浮かべながらも、唇を吊り上げた。
「アハっ……あなた、面白いわね。でも、私を殺すのは得策じゃないわよ」
「ほう?」
「私は価値がある存在だもの!」
金色の瞳が怪しく光る。僕は誰も信用しない。
裏切られ続けた。だからこそ人を見て判断はしない。
「価値のある存在とはなんだ?」
「魔族だからよ!」
魔族? この世界に魔物なら存在する。だが、魔族なんてものは存在しない。
「いきなり
「ふふ……魔族は存在するわよ。本当は知りたいんじゃない? だって、あなたの体から魔族の香りがするもの!」
魔族の香り……? 何らかの魔術によって俺は過去に戻ったのか? 魔術が効かない僕が? それほどに強力な魔術をかけられるものが未来にいたと言うのか?
「あなた、魔族に会ったことがあるんじゃない? それも凄く強くて、強力な魔族に」
その言葉に思わず動きを止める。だが、心当たりはない。
「魔族は滅んだんじゃないのか?」
リュシアは薄く笑い、金色の瞳を輝かせた。
「アハっ! 滅ぶはずがないじゃない?! 魔族は、人間の中に紛れ込んで、人を操りながら世界を支配しているのよ」
「何っ……?」
王家を打倒した僕が魔族に操られていた? もしも、魔族の掌の上で踊らされていただけだとしたら……?
裏切り者は僕なのか?
「アハッ! あなたが従っている王家だってそうよ。魔族の掌の上で踊らされているだけ。そう、私たち魔族は表には出ず、影でずっと人族たちを操ってきたの。ふふ、今は誰が王国を操っているのか、私は知らないけどね」
魔族が王家を操っている? なら、腐敗した王族だと思っていたのは、魔族の影響を受けたからだというのか? いや、何を馬鹿な。あいつらは害悪だった。
あの傲慢な態度や悪政は、魔族に操られてしていたことなのか?
「……信じろと言うのか?」
「信じるかどうかはあなた次第。でも、今のこの世界で何が真実なのか知りたければ、魔族を知る私を利用するのも悪くないじゃない?」
彼女の言葉は、甘い蜜のように僕の耳に反芻して聞こえてくる。
こいつは使えるかもしれない。
「だが、お前はどうしてウイルのようになっていない?」
「アハッ! 簡単なことよ。私は強いから理性を保っているだけ、そして彼は弱いから服従させられて、暴走したのよ」
確かに命令を出来る権利を感じる。
「私が縛られた鎖は服従の証。私の体も、心も、言葉も、全てがあなたに服従しているのよ」
怪しく僕を惑わそうとしているように感じて、剣をさらに喉元に近づける。
リュシアは両手を上げて降参のポーズを取った。
「魔族は簡単に殺せない! だけど、服従の契約をしていれば殺せるわ。私はあなたの命令に逆らえない。だから命だけは助けてちょうだい!」
僕は彼女の表情をじっと見つめた。
「命乞いか、どうして僕がそれに従わなければらない?」
やっぱり僕の心は壊れたままだ。彼女から向けられる命乞いに対して、何も感じない。むしろ、煩わしい。
「あああああぁッッッッッッッッッッ!!!! いい!」
突然、体を震わせて身悶えるリュシア。
その奇行に距離をとって観察する。
「ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ! こんなの初めてよ! 私を虫けらのように見下ろすなんて初めて!! 良いわ! すごく良い! もっと、もっとくださいご主人様!」
リュシアの口調は常軌を逸している。
自分が正常かと言われれば、そうではない。
だが、こいつが普通ではないことは理解できた。
「いいだろう。殺してやる」
剣を振り上げて、俺が斬りかかろうとすれば必死に抵抗すると思った。
「あなたがそれを望むのであれば、私は従います!」
だが、彼女に巻き付いた鎖が、光を放って彼女に僕の命令を遂行させる。
僕は咄嗟に剣を首の皮一枚で止めた。
白い肌から紫色の血が流れた。
フードが落ちて彼女の頭が露わになると二本のツノが生えている。
「紫? ツノ!」
「ふふ、そう。私は魔族。そして、ご主人様に絶対の服従を誓う者です」
そう告げると、リュシアは肩を鎖に縛られながらも、自ら剣に首を当てる。
「ふふ、裏切りたくても、ご主人様が死ねといえば死にます。殺しますか?」
なぜそんなに自信満々なのかわからないが、リュシアは堂々と僕に服従することを宣言した。
「裏切りは許さない。服従の魔術が本物であることは、僕も感じる」
そう、リュシアが自分に従っていることが伝わってくる。
「ありがたき幸せ。これよりリュシア・セデュクタリア・エヴェルナクス=オブリガリウム・ナクタリス=ヴェルメリア・ドミナス=ラミナは、ご主人様に従います!」
奇妙な出会いから、奇妙な少女を従えることになってしまった。