過去に戻ってから、三ヶ月が経とうとしていた。
体は次第に基礎トレーニングの成果を見せ始め、闘気が循環する速度をまして、体の中で増えているのを感じる。
屋敷の中では、アマンダとドリル以外に話すことはない。
これまでの落ちこぼれとして接していた、僕に対してどういう風に接すればいいのか、戸惑っている雰囲気を感じる。
食事は自由に食堂で摂ることができる。
これまではカビたパンや、味のないスープがメインだった。
今は肉や野菜、果物まで揃った食事をとることができる。
「ヴィクター様、よろしいでしょうか?」
「なんだ。ドイル」
「少し、お付き合いいただきたいと思います!」
この三ヶ月、ドイルがこうして僕を呼び出すことは一度もなかった。
「いいだろう」
「ありがとうございます」
たとえ、僕を嵌めようとしていても、今なら大抵のことは跳ね除ける力を取り戻してきている。
ドイルとの態度は礼儀を忘れず、僕を案内している姿を追いかけて、屋敷の中庭に出た。
冷たい風が吹き抜け、日は傾き始め、空は赤く染まっていた。
目の前に立つドイルは、剣を構え、鋭い視線を僕に向けくる。
その表情には、覚悟が滲んでいた。
「何の用だ?」
「ヴィクター様……私は、あなたと剣を交えたいと思っています」
罠か? 僕は周囲を警戒するが、ドイル以外の気配は感じない。
「すでに、貴様のことは倒したはずだが?」
「あんな不意打ちで納得できるはずがありません!」
「ほう!」
つまり、正式に戦えば僕に勝てるとでも? 面白い。
ドイルの言葉がおかしくて仕方ない。
「くくく、道化師の才能があるんじゃないか?」
「……私は、あなたの強さを確かめたいのです!」
ドイルの声には、迷いがなかった。真剣に僕に挑みたいと言っているのが伝わってきた。
「ヴィクター様は以前とは別人のように強くなられました。一時的なものかと思い、三ヶ月間観察しておりました。ですが、あなたはどんどん強くなっていく。それを認めるため、これは私のけじめであり、心からヴィクター様に従う覚悟を決める試練をいただきたいのです!」
つまり、自分を捩じ伏せて従わせろと? ずいぶんと傲慢な話だ。
だが、僕は剣を軽く振りながら、ドイルを見つめる。
「つまり、勝てば僕に忠誠を誓うということか?」
「はい!」
ドイルの返答には一切の迷いがない。しかし、僕は鼻で笑った。
「そんな軽い覚悟なら、話にならないな」
ドイルの目が揺れる。
「軽い……覚悟、ですか?」
「お前の言葉には重みがない。お前はただ、僕の力を試したいだけだろ? それなら、負けても本気で従うつもりはないはずだ」
「そんなことは……!」
ドイルが反論しようとするが、僕は手を上げて遮る。
「ならば、血の契約を交わせ」
「なっ……! 血の契約、ですか?」
「僕は口約束は信じない。貴様の心臓に楔を打つならば信じてやる」
ドイルが息を呑む。血の契約を知っている者ならば当然の反応だろう。
血の契約とは、魔法陣に互いの血を流し、誓いを交わすことで成立する古代の契約だ。
契約を違えた者には激痛が走り、最終的には命を失う、絶対的な誓約で従わせる。
「覚悟があるなら、契約しろ。それができないなら、貴様の忠誠など口先だけのものだ」
「……!」
一瞬の躊躇。しかし、ドイルは剣を握り直し、深く頷いた。
「……わかりました。覚悟はできています」
僕は微笑を浮かべ、剣を構えた。軽はずみな覚悟だとバカにすることもできる。だが、その時には契約を結んで殺せばいい。
「ならば、始めよう」
ドイルは、一歩踏み込む。
低く構え、一気に間合いを詰めてきた。
無駄のない動きだ。訓練された騎士の剣筋。全身に闘気を纏い、真面目に訓練を積んできた者の剣であることは伝わってくる。
真剣な眼差しで僕を狙ってくる。
「――」
剣が鋭く横薙ぎに振るわれる。僕は後方へ一歩引き、紙一重で避ける。
すかさず、ドイルがさらに一撃を放つが、それは余裕を持って躱した。
「……ッ!」
剣筋は鋭く、力強い。しかし、まだ甘い。
僕はドイルの剣を最小限の動きで受け流し、逆に懐へと踏み込んだ。
「遅い」
僕は冷静に告げながら、ドイルの腹部に拳を叩き込んだ。
「ぐはっ……!」
ドイルの体が弧を描いて吹き飛ぶ。地面に転がりながらも、彼は必死に立ち上がろうとする。しかし、身体が震えているのがわかる。
「……この程度か」
剣を肩に担ぎ、ドイルを見下ろす。しかし、彼は唇を噛み締めながら、再び剣を構えた。
「まだ……終わっていません……!」
強い意志。だが、それだけでは勝てない。
「そうか」
僕は倒れるドイルの背中を踏みつけた。容赦するつもりはない。弱いことは悪だ。
「ぐっ……!」
ドイルの剣が地面を滑り、意識が刈り取られる。
「これで終わりだ」
僕は剣の切っ先でドイルを叩いて気付けを行う。
「……どうする?」
しばしの沈黙。だが、ドイルは悔しげに唇を噛み、ゆっくりと跪いた。
「……完敗です。誓います!」
僕は地面に魔法陣を描く。古代の文字が円を描き、そこに自らの指を傷つけ、血を垂らした。
「ここに血の契約を結ぶ。契約者ヴィクター・アークレインに、ドイルが絶対服従を誓うものとする。もしも裏切った場合には、この誓約を破ったものとして、最大の激痛を与えて命を失うこととする」
ドイルは、一瞬の躊躇いを見せたが、すぐに自身の手を傷つけ、血を魔法陣へと流し込んだ。
「……私、ドイルは、ヴィクター・アークレイン様に忠誠を誓います。もしもこの誓約を破ったなら、命をもって償います」
魔法陣が赤く光り、二人の体に契約の証が刻まれる。
契約は成立した。
ドイルは、静かに顔を上げ、僕を真っ直ぐに見つめる。
「……私は、命に代えても、あなたに従います」
僕は満足げに頷いた。
「いいだろう。今日からお前は僕の忠実な従者だ」
ドイルは深く頭を垂れた。
「……ありがとうございます」
これで、忠誠は本物になった。
ここまでしなければ、僕は誰も信じられない。