処刑台の階段を登っていく自分の足を見つめるよりも、空を見ていたくて顔を上げた。
一羽の鳥が舞い、自由に空を飛んでいる。
その姿を呆然と見つめ、羨ましく思ってしまう。
重々しい鎖が手首に食い込み、冷たい鉄の感触が肌に痛いほど伝わってくる。
目の前に広がるのは、罵声を浴びせる民衆の群れ。波のようにうねりながら、揺らめいて見えた。
本来ならうるさいはずなのに、僕の耳には何一つ聞こえない。拷問によって鼓膜は破られ、耳は削がれ、聴く力を失ってしまった。
話すこともできない。舌を奪われ、唯一残されたのは空と民衆を見るための視界だけだ。
民衆一人一人の顔を眺める。僕に対して憎しみを込めた瞳で見つめていた。
石や泥が飛んできて、その目には怒り、恐怖、そしてほんの少しの安堵が宿っているように見えた。
彼らにとって、僕は「極悪で、傲慢で、最低な貴族」として語られる存在として、歴史に名前を刻む。
こんな形でなければ、誇らしいのだろう。
後世の歴史家たちは、こぞって僕を大罪人として語る。
民衆の中には、僕が耳が聞こえないことを知っている者がいるのか、わざわざ紙に文字を書いて見せていた。
そこに書かれているのは、獄中で何度も見せられた新聞記事と同じ内容。
もはやどうでもいいことだ。
「ヴィクター・アークレインに死を!」
「地獄に落ちろ!」
「お前の血で正義が蘇る!」
「信じていたのに、極悪最低貴族!」
大きな布に「極悪傲慢最低貴族」と掲げる者までいる。
ご苦労なことで、滑稽だね。
どんな言葉も、僕の心を傷つけることはない。すでに僕の心はボロボロに壊れて死んでしまったのだから。どうしてこんなことになったのかな?
心が壊れても、人間とは不思議なもので、疑問だけが残される。
今から行われる処刑は冤罪であり、僕に落ち度はなかった。
腐敗した王政を打倒し、民衆に新たな未来をもたらした。
だが、王家を打倒した僕は「極悪」と罵られ、処刑台で死を待つ運命にある。
牢屋では、「罪を思い知れ」と何度も言われ続けた。
不意に、過去を思い出す。
「随分と大物になったな」
子供の頃の僕は侯爵家の落ちこぼれと呼ばれ酷い仕打ちを受けていた。
それが、王国一の極悪傲慢最低貴族というレッテルを貼られ、断罪される。
処刑台の向こうに見えるのは、特等席に座る「かつての仲間たち」。
中央で、扇子で顔を隠している婚約者アリシア・バズレン伯爵。
陽光を浴びて輝く金髪、蒼い瞳に白い肌は、誰もが振り返るほどの美貌を持っている。
落ちこぼれの僕を救い出して、一番最初に僕に笑いかけてくれた。
その手を取ったからこそ、僕を英雄になれた。
彼女が導いてくれたからこそ、ここまで来れた。
人生の半分を共に生きて、誰よりも信頼していた。
そんな彼女が、僕が断罪される姿を見ながら、口元に浮かぶのは冷たい微笑みであった。婚約者として向けてくれていた陽だまりのような笑顔や、優しさなどはどこにもない。
僕を処刑するために、行われた一手目を指したのは、彼女だった。
二人で食事をしている際に飲まされた毒によって、僕は体の自由を奪われて、戦えなくなるまで拷問を受けた。
異常耐性が効かない僕を無効化させる特殊な毒。あれはなんだったんだろう。
「どうしてこんなことになったのか、分からないの?」
彼女が放った言葉が耳に蘇る。
将来を誓い合った相手だった。彼女のためにも平和な世の中を作りたいと思った。そのためにたくさん戦って、たくさん殺してきた。
その結果は、軽蔑と侮蔑が宿る瞳と、冷たい言葉で突き放すように見下す婚約者の姿だった。
そして、アリシアの隣には、親友レオ・シュバイツ侯爵が王座に座っている。
レオとは数多の戦場を駆け抜け、剣を交え、命を預け合った。僕が背中を預けられる唯一の人物だと思っていた。
それは全て幻で、二人は手を握って僕を嘲笑う裏切り者だった。
「お前の欲望がすべてを壊したんだ。どんな気分だ。ヴィクター」
僕の欲望? 僕が壊した? 本当にそうなのかい? 僕が何をしたのかハッキリと教えてくれよ。
背中を守るはずだった剣によって、背中から貫かれた気分だよ。
悪友のジェイ。
彼とは戦場で知り合い、王家打倒を指揮する軍師をしてくれた。
情報を操り、裏社会に精通している経験に何度も助けられた。ある意味で、彼だけは変わっていない。合理的で計算高く。己の利益を求める人物。
軽口とふざけた態度に、何度も心が折れそうな場面を救ってくれた。
だけど、彼が僕を陥れる計画を考えた。
「どうだい、俺が考えた作戦は? 最愛の恋人に裏切られる気分は最高だろ?」
牢屋にやってきて、自分の成果を口にするのは彼にとって、気分が良いのだろう。
全てを話してくれた。
心が壊れる前の僕なら「ふざけるな!」と叫んでいたことだろう。
「その程度か? 落ちこぼれを見返すのではなかったのか?」
不意に叱責が聞こえたような気がして、視線を向ければ、僕に剣術を教えて、育ててくれた師匠の姿がある。
黒剣使いのヴォルフガング。
冒険者をしていた師匠に出会えたことで、僕は強くなる方法を知った。
そのことには感謝している。
多くの経験によって戦場での生き残り方を叩き込んでくれた。だが、今の師匠から向けられる視線は、何も感じられない無だけだった。
興味を失った。もしくは、すでに僕のことなど見ていないような態度だ。
師匠と同じく僕を導いてくれた賢者マーベ。
彼女は、魔法の師匠だ。
「あなたは無属性ですが、興味深い体質をしていますね」
彼女に出会わなければ、僕は自分の力を知ることはできなかっただろう。
マーベも、ヴォルフガング同様に僕の死に興味がない様子だ。
師と呼んだ二人にとって、僕は無価値な人間になってしまった。
そして、末端に座りながら俯いて、僕の処刑を見ようともしない魔法使いのエリナ。
彼女はいつも僕の隣に立ち、アリシアとは別の意味で僕を支えてくれた。
「あなたなら大丈夫です! 私はあなたを信じています!」
「ヴィクターさんならできますよ! 頑張りましょう」
戦場で、何度彼女に励まされたのかわからない。
もしも、アリシアに出会っていなければ、エリナと結ばれていたのかもしれない。
僕にとってかけがえのない人達だと思っていた。
だけど、恋人も、親友も、悪友も、師も、先生も、そして、心の支えをしてくれた女の子も全員が僕を裏切った。
……どうして彼らは僕に冤罪をかけて裏切ったのだろう?
これまで命を賭けて守り、戦場で共に戦い、信頼した者たちが、僕のことを「極悪傲慢最低貴族」と罵り、その死を望んでいる。
僕は何のために生きてきたんだろう……。
仲間たちと笑い合う未来を作りたかっただけなのに、どこで間違えたんだろう。
「ヴィクター・アークレイン、戦犯たる極悪傲慢貴族の断罪を執行する!」
処刑人が巨大な剣を振り上げる。
視界の端に、その刃が映った。
僕はゆっくりと瞼を閉じて、最期の瞬間を待つ。
脳裏に浮かぶのは、ただひとつ。
なぜ自分が断罪されなければいけなかったのか。その答えを知りたいという想いだけだった。
「ねぇ、どうして僕は断罪されるの?」
声が出ていたのかわからない。
胴体が離れ、視界がぐるりと回転する。
エリナの泣き顔が視界に映った。
(どうして君が泣いているの?)
視界がゆっくりと回転し、地面が近づいていく。
「アハっ! あなたとてもいいわ!」
♢
バチン! 体に痛みを感じ、目を開く。
暗い部屋、腕が鎖につながれ、見慣れた景色が広がっていた。
「ここは……?」
鞭を手にしたメイドが、僕の目覚めに気づき、声をかけてきた。
「あら、目を覚ましたのね」
アマンダ? アースレイン侯爵家でメイドをしながら、僕を拷問していたメイドだ。彼女は死んだはずでは?
ビシッ! 鞭が振るわれて、頬に痛みが走った。
「ずいぶんと生意気な顔をしているわね! どうやら、教育が足りなかったみたい。いつもみたいに泣きなさいよ!」
サディステックに俺に鞭を振るってくる。懐かしい光景だ。
「アマンダ、君に聞きたいことがある」
「……いいわ。いってみなさい」
「今は王国歴何年だろうか?」
処刑される前に受けた拷問に比べれば、遊びのような痛みに何も感じない。むしろ、多少の刺激のおかげで頭がすっきりとして心地よい。
「はっ! そんなことも知らないのね。本当にアースレイン侯爵家の落ちこぼれは、剣術だけじゃなくて勉強もできないのね! 今は王国歴124年よ!」
バシっ!
鞭の痛みで完全に意識を覚醒することができた。
処刑される十三年前の光景が、目の前に広がっていた。