「巨大な新参者よ、まずは歓迎しよう。大歓迎だ。此処がお主の地獄の入口だ。よくたどり着いたな」
〈尾長の舎〉のその先に進むと、すでに一羽の
「拙者は
「しんげん……それは、信玄餅の信玄で御座るか?」
「あれは旨いよな。拙者が生きていた頃はその名はなかったが。江戸の世では信玄餅として認知されていると聞いた。あいにく、軍鶏の姿になっては餅など興味を持てぬ体になった。それはまったく嘆かわしいことよ。この悲しさ、お主にわかるか?」
「まあ、俺も餅は好きで御座ったが……。貴公は武田信玄の転生鳥なのか?」
「……何故わかった……?」
「わりと転生鳥が其処彼処にいるようなので、確かめたまでのこと。そうか。そうで御座ったか。まあ、俺は信玄にさして興味はないのだが」
慇懃にそう云ったのは、挑発の意を兼ねていた。
鳥見役の時代より、多くの鳥には敬意をもつことを忘れなかった。だが、軍鶏はべつだ。軍鶏は戦闘的な鳥である。ゆえに軍鶏に対しては、真剣を抜く勢いが必要なことを紙月は理解している。
「あとで一筆書いてやろうか? 価値が出るぞ?」
「いや、本当に興味がないので、要らぬ」
「……ならば、地獄に行く準備はできたか?」
「貴公、さっきの声は聞こえなかったのか?」
「聞こえたぞ。ちょっと体がざわわっとしたな」
音の振動には限界がある。ある程度近場でなければ、あの声が血の管を駆けめぐることはないのかもしれない。紙月はひとつの気づきを得る。新たな能力が目覚めたが、その能力もまた万能ではなさそうだ。
「まあ地獄も興味深いが、それより金卵の場所を教えてくれぬか?」
「拙者に勝ったら教えてやろうぞ」
「どうせ勝つから今教えてくれ」
「不遜な輩だな。その図体ゆえに慢心しておるようだ。この軍師と呼ばれた男を恐れぬとは、愚かなり。しからば……
そう一声上げると──信玄は消えた。
というか、闇に溶けた。
「なるほど、それが貴公の能力か。面白いな……」
紙月には実際、その技が面白く感じられた。
軍鶏が、闇に溶ける。
それは速度によるものか、それとも真に擬態したのか。あるいはその両方か。
「
紙月の体に激痛が走る。
見れば、胸部に深い切り傷ができているではないか。
いつの間に?
風の速さで移動し、信玄が蹄で裂いたものと思われた。
然し、そんな痛みよりも、まだ紙月は頭のなかで、闇に溶けた原理を考えている。
「痛むか? だがこれは序の口。我の必殺奥儀〈風林火山〉の残りの二つ〈火〉と〈山〉の攻撃まで生きていた者はおらぬからな」
信玄の台詞など、紙月は大して聞いていなかった。ただ考えていた。
単に速さだけで出来る技か?
それとも──いや、そうか、餅だ。
「見切ったぞ」
信玄は、餅の如く己の存在を引き延ばしたのに違いなかった。
「何が見切っただ。強がりを申すな。拙者の術中に苦しんでおるくせに」
「そう思うか? だとしたら、だいぶお目出度いな。例えば──これはどうだ?」
紙月は目を閉じた。
想像するのは、己の体が無数の粒の集合体となり、それがゆっくりと伸びてゆく様であった。
それはまさに闇に溶ける方法論。
火喰鳥の胴体は黒い羽で覆われている。
その黒が闇に溶け、一体となる。
紙月は思う。俺は、闇だ、と。
「
小さき闇が迫り、傷口に火を放たんとしていた。
だが──それを見切った紙月は、火を丸呑みにした。
割合で云えば、軍鶏の何倍も闇を有しているのであり、それが点となって餅の如く引き延ばされれば、その闇は信玄の闇を飲み込むほど巨大になる。
巨大な闇は、小さな闇が放った炎を難なく吞み干したのである。
「まさか……あり得ない……」
「いやいや、あり得たのだ」
そう声をかけた紙月は、信玄の真後ろにいた。
「一突きで死ぬか? それとも……」
「参った……其方こそ天下鳥だ。徳川を滅亡させられるやもしれぬ」
信玄はその場にしゃがみこんで、これ以上戦う意思がないことを示した。