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第柒幕:紙月、とある転生軍鶏と決闘す 其ノ弐

「巨大な新参者よ、まずは歓迎しよう。大歓迎だ。此処がお主の地獄の入口だ。よくたどり着いたな」


〈尾長の舎〉のその先に進むと、すでに一羽の軍鶏しゃもが凛とした様子で佇んでいた。


「拙者は暹羅シャムより参った軍鶏であるが、歴とした名がある。信玄と呼べ」


「しんげん……それは、信玄餅の信玄で御座るか?」


「あれは旨いよな。拙者が生きていた頃はその名はなかったが。江戸の世では信玄餅として認知されていると聞いた。あいにく、軍鶏の姿になっては餅など興味を持てぬ体になった。それはまったく嘆かわしいことよ。この悲しさ、お主にわかるか?」


「まあ、俺も餅は好きで御座ったが……。貴公は武田信玄の転生鳥なのか?」


「……何故わかった……?」


「わりと転生鳥が其処彼処にいるようなので、確かめたまでのこと。そうか。そうで御座ったか。まあ、俺は信玄にさして興味はないのだが」


 慇懃にそう云ったのは、挑発の意を兼ねていた。


 鳥見役の時代より、多くの鳥には敬意をもつことを忘れなかった。だが、軍鶏はべつだ。軍鶏は戦闘的な鳥である。ゆえに軍鶏に対しては、真剣を抜く勢いが必要なことを紙月は理解している。


「あとで一筆書いてやろうか? 価値が出るぞ?」


「いや、本当に興味がないので、要らぬ」


「……ならば、地獄に行く準備はできたか?」


「貴公、さっきの声は聞こえなかったのか?」


「聞こえたぞ。ちょっと体がざわわっとしたな」


 音の振動には限界がある。ある程度近場でなければ、あの声が血の管を駆けめぐることはないのかもしれない。紙月はひとつの気づきを得る。新たな能力が目覚めたが、その能力もまた万能ではなさそうだ。


「まあ地獄も興味深いが、それより金卵の場所を教えてくれぬか?」


「拙者に勝ったら教えてやろうぞ」


「どうせ勝つから今教えてくれ」


「不遜な輩だな。その図体ゆえに慢心しておるようだ。この軍師と呼ばれた男を恐れぬとは、愚かなり。しからば……

ふう!」


 そう一声上げると──信玄は消えた。


 というか、闇に溶けた。


「なるほど、それが貴公の能力か。面白いな……」


 紙月には実際、その技が面白く感じられた。


 軍鶏が、闇に溶ける。


 それは速度によるものか、それとも真に擬態したのか。あるいはその両方か。


りん!」


 紙月の体に激痛が走る。


 見れば、胸部に深い切り傷ができているではないか。


 いつの間に?


 風の速さで移動し、信玄が蹄で裂いたものと思われた。


 然し、そんな痛みよりも、まだ紙月は頭のなかで、闇に溶けた原理を考えている。


「痛むか? だがこれは序の口。我の必殺奥儀〈風林火山〉の残りの二つ〈火〉と〈山〉の攻撃まで生きていた者はおらぬからな」


 信玄の台詞など、紙月は大して聞いていなかった。ただ考えていた。

 単に速さだけで出来る技か? 


それとも──いや、そうか、餅だ。


「見切ったぞ」


 信玄は、餅の如く己の存在を引き延ばしたのに違いなかった。


「何が見切っただ。強がりを申すな。拙者の術中に苦しんでおるくせに」


「そう思うか? だとしたら、だいぶお目出度いな。例えば──これはどうだ?」


 紙月は目を閉じた。


 想像するのは、己の体が無数の粒の集合体となり、それがゆっくりと伸びてゆく様であった。


 それはまさに闇に溶ける方法論。


 火喰鳥の胴体は黒い羽で覆われている。


 その黒が闇に溶け、一体となる。


 紙月は思う。俺は、闇だ、と。


!」


 小さき闇が迫り、傷口に火を放たんとしていた。


 だが──それを見切った紙月は、火を丸呑みにした。


 割合で云えば、軍鶏の何倍も闇を有しているのであり、それが点となって餅の如く引き延ばされれば、その闇は信玄の闇を飲み込むほど巨大になる。


 巨大な闇は、小さな闇が放った炎を難なく吞み干したのである。


「まさか……あり得ない……」


「いやいや、あり得たのだ」


 そう声をかけた紙月は、信玄の真後ろにいた。


「一突きで死ぬか? それとも……」


「参った……其方こそ天下鳥だ。徳川を滅亡させられるやもしれぬ」


 信玄はその場にしゃがみこんで、これ以上戦う意思がないことを示した。





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