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第陸幕:縛られし甘白、恐鳥の闖入を見ゆ 其ノ弐

 日が落ちかけた庭先に、巨大な影が立ち込める。


 天草は、その影をぼんやりと見つめた。


 あの火喰鳥の何倍もあろうかという、見たことのない巨鳥であった。


 あまりも巨大なその鳥が、襖の向こうから大きな目玉を覗かせ、嘴を大きく開いて奇声を発している。


 何だ……あれは?


 最初に思ったのは、カロンが妖術を用いて助けを寄越したのでは、ということだった。


 だが、考えてもみれば、彼女は別段鳥の使い手ではない。となると、この鳥は、一体誰の差し金で此処へやってきたのか。それとも、これは単なる偶然なのか?


「捕らえろ! 家光公をお守りしろ!」


 家臣がそう叫ぶと、何処からともなく現れた同心たちが一斉に巨鳥目がけて飛び掛かっていった。


 その駆け付ける迅速さには舌を巻かざるを得ない。


「刀は使うな! 生け捕りにせよ!」


 家光はと云えば、目をらんらんと輝かせて巨鳥を見ている。何やら食指が動いたようだ。


 だが──巨鳥は同心が何人掴みかかろうが、首を一振りして投げ倒してしまう。左右から首に縄が巻き付けられても、巨鳥は首を振り、家臣たちが床に倒れると、そのまま走って彼らを引きずり倒した。


 思い出した……あれは慥か……恐鳥モアか。


 かつて切支丹の阿蘭陀人より伝え聞いたことがある。


 海の彼方の新西蘭ニュージーランドと云う国に、古代の姿のままで暮らす巨大な鳥がいる、と。


 其れが恐鳥だった。


 全長は駝鳥の二倍はあり、島の人々はその気性の粗い鳥を怒らせぬように動いている、とのことだったのではなかったか。


 まさに神の如く恐れられる鳥。恐鳥である。


 その時──一人の侍が現れた。片目のその男は、明らかにほかの侍たちとは雰囲気が違った。婆娑羅ばさらな雰囲気。まったく異質な出自を感じさせる。


「どけ。俺に任せておけ」


 そう一言云うと、男は一気に木刀を抜き恐鳥に対峙した。


「化け物が。この徳川の神聖なる舞台を穢せると思ったか?」


 どこが神聖なものか、と内心で天草は毒づいている。蛮族の塊の如き将軍の城が神聖なわけがなかろうが。


「かかってこい」


 だが、そう云った次の瞬間、その侍は頭部を失っていた。


 一突きだった。嘴で高速で突かれると、その衝撃で頭部が吹き飛んだのである。転がった頭部は、もはや顔面が原形を留めておらず、激しく落ち窪んだ血塗れの何かだった。


「あ……あわわ……」


 周囲の侍たちが一気に顔を青くし、後ずさりする。


 だが──その刹那天井から網が降ってきた。


「右回りに回転せよ!」


 声をかけたのは、松平信綱だった。その指示どおりに、家臣たちは右回りに回転し、恐鳥の自由を奪い取った。


 その上から、さらに鎖で嘴と両足を縛り、完全に自由を奪った。


「臥唖唖唖唖唖唖唖唖唖!」


 なおも恐鳥は奇声を上げる。


「化け物めが……まさかかの正盛を一撃で殺すとはな……」


 正盛、とは信綱の側近である中根正盛のことであろう。先ほどの片目の男が正盛であったようだ。


「殿。この化け物、この場で焼いて今宵の一品に致したく存じますが? これほどの大きさとなれば、盛大な宴が催せましょう」


「馬鹿を申すな。そんな見たこともない鳥の肉、もしも毒があったらどうする」


「こ……これは、軽率なことを。たいへん申し訳なく……然し、我が腹心の部下を殺した恨み、晴らさずにはおられませぬ」


 そのとき、家光の背後にある御簾の向こう側に、例の鶏の影が現れた。


 あれは──やはり家康か? 呼呼呼呼呼と何やら囁くと、家光の引きつっていた顔に余裕が戻り、爾矢利と薄気味悪い笑みが浮かんだ。


「なに、それよりいい考えがあるぞ」


 おまえの考えではあるまい、と天草は考える。その背後の尾長鶏の思考であるに決まっている。


「徳川家がなぜ代々天下人であり続けられるのか? それは凶を囲い込み利用してこそ。明日開かれる〈闘鳥の宴〉にて、あの火喰鳥と戦わせればよいではないか。


 負けたら、その場で煮るなり焼くなり好きにせよ。もしも此の鳥が勝ったら──そのほまれとして、生きたまま切り刻むのも良いな」


「……なるほど。これは妙案ですな……然しいささか危険では御座らんか?」


「鎖で首輪をつけておけば大丈夫だろ。それとも、また暴れさせるようなヘマを仕出かすつもりか? 二度めはおまえの責任だぞ?」


「……無論、そのようなことは……!」


 〈闘鳥の宴〉か……天草はその宴について噂で聞きかじっている。


 なんでも、全国津々浦々、力自慢の鳥が集まり、異種同士で戦わせ、それを肴に盛り上がる一種の催しである。


 だが──その時天草は慥かに何者かがこう囁くのを聞く。


「おのれ……これで終わる儂と思うなよ、糞餓鬼が……」


 その声は地響きの如くその場に響いているのに、ほかの誰にも聞こえていない。


 どうやらこれは〈鳥声〉である。


 鳥声は、鳥どもの世界において、音を伴わぬ音波を用いたある種の高等言語である。


 この音波は人間には聞こえぬ。天草のような特殊な人間以外には。


 つまり、喋っているのは──。


 恐鳥か。


「何者だ、貴様は……」


 天草が〈鳥声〉で尋ねると、恐鳥は答えた。


「儂の名が知りたいか? くっくっく、地獄の契約をする覚悟があるなら、教えてやらんでもないが? 嗚呼、だが貴様と契約は無理か。どうせ間もなく死ぬのであろう?」


「……まだ生きている」


「まだな。だが、時間の問題だぜ? いや、その表現さえ悠長かもしれんな。命はなぁ、尽きる時は一瞬よ。儂もそうじゃったわ。ほんの束の間、油断したら、城は火の海じゃった。あの糞餓鬼どもが……皆殺しにしたるわ。どいつも此奴も元は儂の駒にすぎんのだ」


 やがて恐鳥は「監獄に入れておけ」と家光に云われ、引きずられはじめた。最後まで恐鳥は何かを伝えていた。


「命尽きるは一瞬じゃ。遊べ。楽しめ。生き急げ」


 その言葉を残して、恐鳥は連れ去られた。


 だが、返事はなくとも、天草は先ほどの恐鳥が何らかの事情で転生した織田信長であろうことを察していた。城が火の海だとか、どいつも此奴も元は自分の駒だという発言がその根拠に思われた。


 然し、何につけ、あんな鳥に転生するとは哀れだ。人に生まれ変わるのと、果たしてどちらが復讐には向いていたであろうか?


 気になるのは、鳥への転生が妖術によるものか否か、ということだ。


 仮に妖術であるとして、信長を転生させたのは一体何者であろうか? 


 いずれにせよ──厄介なことになった。さっきの口ぶりでは、家光は明日の〈闘鳥の宴〉とやらで、紙月と恐鳥を対決させるつもりだろう。ほかに恐鳥の相手になる鳥がいるとも思われない。


 この事態を早く紙月に知らせねば──。


 だが、その使命は、ついぞ果たされることはなかった。


 天草の目の前には、家光が立っていた。家光は目を細めて、逆さ吊りにされている天草の頬を手の甲で乱雑に撫でた。


「やれやれ、とんだ邪魔が入ったわ。どうだ、糞尿をする気になったか?」


 天草は即座に家光の顔に唾を吐いた。家光は目を瞑り、その反撃に冷笑を浮かべつつ、その唾を袖で拭い去った。


「気の強いやつだ。気に入ったぞ。可愛がってやる。ただし、俺の可愛がり方は尋常ではない。何しろ、天下人だからな。後悔することになるぞ。糞尿を垂れておけばよかった、と」


 そう云うと、家光は天草の唇に──激しく嚙みついた。


「うぐ……っ……」


 激痛が走ったが、家光の歯は獣の罠の道具の如く硬く剥がれることがなかった。


 唇が──食い千切られようとしていた。


 血が溢れ、唇が赤い肉片となろうとするなか、天草は己の終わりを悟った。


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