湯が肌に纏わり付きながら
天草は湯舟から上がり、身体の湿り気を丁寧に拭い去った。
僅かな胸の膨らみを確かめながら、昼間に火喰鳥についた嘘を思い出していた。「脱いだら凄い」はいささか誇張が過ぎたか。
だが、火喰鳥の前でサラシをとることもあるまい。ばれぬ嘘は真である。
「どうでもいいことだ」
手早くサラシを巻き直していると、外から声がかかる。
「まだか? 殿がお待ちである。急げ」
「急いでおりますが、時間はかかります。お見知りおきを」
然しまったく妙だ。家光公は天草を自分のものにしようと云う。
飛んで火に入る何とやらだ。こうもことがうまくいくと、いささか拍子抜けする。あとは喉元に短剣を突きつければ済む話ではないか。
紙月が家康をうまく殺せるかは分からぬが、一先ずこれから天草が家光を殺せば、それでもはや天下泰平は崩れる。
江戸城は混乱に陥るだろうが、〈金卵〉さえ掴めばすぐに新幕府のもと混乱は鎮まろう。
と云っても、天草は天下に興味はない。適当な切支丹大名を徳川の代わりに据えるつもりだ。基督教が守られさえすればそれで良いのだ。
いまは敵対関係にある有馬直純あたりに手紙を書くか。直純の父、晴信は熱心な切支丹大名であったがゆえに島流しに処され自害を果たしている。
直純もまた切支丹であった妻と離縁するなどの目に遭い、目下島原の乱においては、旧臣たちの鎮圧にあたっている。
表向きは改宗し徳川に忠誠を誓ったかたちだが、その腸が煮えくり返っているであろうことは想像に難くない。天下を獲る好機とあらば、喜んで応じるはずだ。
徳川家はこの十数年の間にすっかり平和癖がついた。管理には躍起だが、その実態は一揆一つ取り締まるのに四苦八苦している。
其処に有馬率いる日野江藩が切支丹たちと結託して戦を挑めば、江戸の世は一瞬で終わろう。〈金卵〉にはそれだけの力があるはずだ。
サラシを巻き終えると、鏡の中には性別不明ないつも通りの容姿が出来上がった。
もとの白書院に戻ると──家光は一人で酒を飲んでいた。
「ずいぶん遅かったじゃないか? 逃げたかと心配したぞ」
「余には逃げる理由がありませぬ。それとも余は逃げたほうがよかったでしょうか?」
「ふふふ。ああ、そうだな。或いはそうかもな」
不敵な意味を探る間もなく、両脇から男たちが天草に掴みかかった。あまりに瞬時のことゆえに、天草はそれをよけることが叶わなかった。
「何の真似だ……」
瞬く間に天草の体には二本の縄が巻き付き、さらに三本目の縄が両足に巻き付いてきた。
やがて、その三本目の縄がぐいと引かれると、体が均衡を崩して倒れざるを得なくなった。
両腕はいつの間にか背後で硬く縛られ、逆さ吊りにされている。
着物がはだけているが、今更どうすることも出来ぬ。
天草はただ家光を睨みつけた。
「どうだ? 逃げたほうがよかったと後悔しておるか?
だが、もう遅い。
おまえは、俺のものになることに同意した。
そう、今日よりおまえは俺のものだ。
夜ごとに一つずつおまえの羞恥心を奪い取ってゆく。
今宵は手始めに、そうだな、此処で用も足さずに縛られているというのは如何だ?
案ずるな、衣の替えならいくらでもある。もっと高貴で艶やかなる着物を進呈してやる。
但し──それにはまず犬猫同然に用を足せ。さすれば、今すぐにでもこの縄をほどいてやる」
謀られた──家光は此方の正体に気づいていたのか?
まさか……。
「家光公、余は貴公を見損ないました。頭は弱いが品性くらいはある御仁であろうと、そう思っておりましたが……違いましたか」
すぐさまに平手打ちが飛んできた。
天草は
「甘白とやら……笑っていられるのも今のうちだぞ」
家光はそう云いながら、天草の
悪寒が高速の
「おまえは、水も食糧も与えられず、明日も明後日も此処に縛られている。
衣を己で汚すまで、ずっとそのままだ。俺は見たいのだ。おまえのような美しい生き物が穢れ、涙しながら助けを乞う姿が──わかるか?
それこそが熱狂だ。
此の男は──ただの変態か。
呆れ返ったその刹那、思いもよらぬことが起こった。
「
地獄の扉が開く時の如き禍々しき轟音が、その場に轟いたのだった。