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第伍幕:紙月、鳥奥にて探偵す 其ノ陸

 牢の前に二本足の影が現れた。

  同じあしゆび。尾長鶏のそれだ。

  然し、ヤスのそれとは異なり、いささか弱弱しい、いまにも倒れそうな歩き方だ。


「いまのは忠告で御座るか? それとも脅しで?」


「どちらでも御座らんよ。ヤスは慥かに頭は悪い。だが、奴の言葉を軽んじれば、命を落としますぞ。事実、多くの巨鳥が此処で命を落としてきたので御座る。いずれも、尾長鶏たちに殺られて」


「……俺は脅しと鰯はあまり好きではありませぬ。お見知りおきを」


 紙月は、ひとまず尾長鶏たちに対しては、ほかの鳥たち以上の敬意をもって接しておくのが得策と判断した。


「脅しでは御座らん。無駄な死骸は見たくないだけのこと。鳥だろうと人だろうと、死骸はもう沢山で御座るからな……」


「……貴公の名をお聞きしても?」


「儂はテルと申すが、尾長鶏の他の奴らからは老いぼれ老いぼれと蔑まれておりましてな。じゃが、老いぼれゆえに見えることも御座る。それを其方に教えて進ぜよう」


「尾長鶏のお仲間を裏切るというのですか?」


「裏切りでは御座らん。なに、簡単な種明かしでしてな。彼らの趾には──毒が塗られておるのですじゃ」


「毒が……?」


「然様。其処のお方はタヌキ様に辿り着きたいのでしょう? じゃが、そのためにはあの五羽を倒さねばなりませぬ。それは想像以上に難儀なこと。覚悟なされよ」


 その時──何者かが背後からやってくる。


 さっきのヤスとも違う、べつの尾長鶏だった。


「おい、テル、貴様この新参者に口をきいているのか?」


「……いえ、音羽様……その、此処のしきたりを教えようかと」


「余計な真似はするな。しきたりなんぞ、覚える奴は自分で覚える。だいたい、貴様ごときが何故此処のしきたりを語る? 烏滸おこがましいにも程がある。


貴様は尾長鶏の中でも最下層の老いぼれ。この毒爪で傷をつけてやれば、お主なぞ今にも殺せるのだぞ?」


「も……申し訳ありません! 出過ぎた真似を……」


「フン、分かればいい。そうだ、昼の豆が少し足らなかったのだ。お主のものを貰うぞ」


「勿論で御座います!!すべて、お召し上がりくだされ!」


 その対応に満足したのか、フンと鼻を鳴らしながら音羽は去っていった。


 すかさず、テルは声を落としてこう囁いた。


「音羽様は、食欲が旺盛なだけで頭が空っぽだから扱いやすいが、尾長鶏の中には厄介な者たちもおるのです。ご想像されているより、五羽の尾長鶏を倒すのは厄介ですのじゃ」


「ふむ……貴公の仰ることを信じましょう」


 紙月は、然しどうにも納得がいかなかった。たとえ毒爪が恐ろしいとして、この俺が負けるだろうか? 


 この、世にも奇怪にして、最強の鉤爪をもつ火喰鳥が?


 だが、これ以上の云い合いは意味を為さぬ。鳥であれ何であれ、年寄りと口論するほど莫迦げたことはない。理屈が違うのだ。


「ご忠告どおり、趾には気を付けます。然し、とにかく、その五羽を倒せば、金卵に辿りつけるのですね?」


 紙月は、このテルだけは信頼が置けそうだ、と判断した。


「……やはり狙いは金卵で御座いましたか」


「ご内密に。できることなら、今夜のうちにも盗み出したいところです」


「それは感心しませぬな。それに、盗み出すにはまず鳥見役がいなくなる瞬間を狙わねばなりませぬ。鳥見役は寝ずの番が基本。この時間に盗み出すなど、鼠小僧とて難しいことで御座るよ」


「俺の体をよくご覧いただきたい。人だって殺せる力が御座います」


「慥かに其方は大きい。じゃが、それが命取りやもしれませぬぞ」


「ご忠告はありがたいが、鳥の目で見れば、人の動きは何とも遅く、恐れるに足りません」


「慥かにその通り。然れども、江戸城内で一人を殺すは、百人を一挙に敵に回すに等しい。然様なご覚悟がおありか? しかも、どうも見たところ、飛ぶのには適さぬようじゃが?」


 それを一瞬で見抜かれるとは思わなかった。慥かに、紙月は己が飛べぬことにいささかの歯痒さを感じていた。折角鳥に転生するなら、飛んでみたかった。


「焼き鳥にされるご覚悟はおありか?」


「焼き鳥は好きです。己がなる覚悟はありませんが。そのような覚悟をした者こそ、敗者では御座りませぬか? 百文鳥は一鶏に如かずと申します」


 面白い哲学ですな、とテルは笑った。それから、こういった。


「気に入りましたぞ。金卵を盗み出せる好機を教えて進ぜよう。それは、明日訪れるでありましょうな」


「明日? 明日のいつです? 細かく教えていただきたい」


「そう急いてはなりませぬ。好機は──明日の〈闘鳥の宴〉のみで御座る」


「闘鳥……? 何ですか、それは……」


 闘鶏なら知っている。遥か海を越えた暹羅や唐で軍鶏たちが日々そのような格闘に使われているという話だった。


 だが、闘鳥となると聞いたことがない。


「鳥の異種格闘技戦のようなもので御座る。家光公は鳥同士が突き合って血を流す姿をご覧になるのが好きでしてな。


最初は、同種の鳥を戦わせておったのじゃが、それに飽きると今度は異種同士の格闘をご覧になりたい、と。


〈闘鳥の宴〉は、その最も栄えある儀で御座る。何しろ江戸じゅうから、鳥自慢のヤカラが集まり、その強さを競い合うのですからな。面白い試合に十両が支払われる」


「十両……犬に羽を付けてでも参加させたくなる莫迦げた宴ですね。なぜその宴が好機となるので?」


「江戸城の家臣の大半がその宴を取り囲み、とりわけ鳥見役は、万が一に備え、宴の最前席で鳥の警護に当たるのが習わし。すなわち、この〈鳥奥〉から鳥見役の役人が姿を消す唯一の日なので御座る」


 紙月はその話を呻吟する。


 実際にテルの云うとおり明日が好機なのか否か。この老いぼれの戯言を鵜呑みにする気はさらさらなかった。鵜ではなく火喰鳥であるから。


「いろいろ教えていただきかたじけないが……ふぁああ……俺は眠くなってきました。また明日、続きを聞かせていただきたく……。覚えていたらで構いませぬが……」


 紙月は眠そうに眼を閉じながらそう云った。


「よくお考えくだされ。好機は明日ですぞ。呼呼呼呼呼呼呼呼呼」


 テルは弱弱しく羽音を立てて去っていった。


 其処には幾つかの小さな糞が残されていた。立つ鳥跡を濁しまくりではないか、と呆れつつ、完全に足音がしなくなるのを待った。


 静寂を確めてから、紙月はむくりと起き上がった。まったく眠れそうにはなかった。


 理由は──この時間になってもまだ天草四郎が現れないことにあった。


 彼奴、何をしている? まさか、何かしくじりでもしたか。


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