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第伍幕:紙月、鳥奥にて探偵す 其ノ伍

「この化け物鳥め、先ほどから気性の荒い声を上げているな」


 そう云われ、紙月は我ながらいささか声が大きすぎたか、と反省した。


 男は、背後にいるもう一人の人物に指示を出す。


「此奴の小舎を〈鶏舎〉の淵にある格子牢に移してやれ。殿のご命令だ」


「かしこまりました」


 家光公の命令? 


 何故自分の居場所が移されるのか?

「まったく、殿もどういう風の吹き回しか知らぬが……。概ねおおむ、あの少年だか少女だか判然とせぬ甘白とか云う客人の差し金であろう。殿は美しい生き物に騙されやすい」


 合点がいった。此れは天草が旨く立ち回ったのに違いない。


 渡りに船とはこのこと。紙月はじっと黙って事態を見守ることにした。


 やがて、男たちは牢の鍵を開けると、ぐいと紙月の首根っこを掴んだ。


 そうして〈雉舎〉と〈鶏舎〉の境目にある金網を潜り、その淵にある木格子牢へと移した。


 今度のそれは襤褸屋ではない。比較的最近作られたもののようで頑丈な作りをしている。


 ほかの鳥たちは自由に往来を許されているのに、紙月だけが斯様な牢に閉じ込められているのは、それだけ警戒されているということであろう。


「薄気味悪い鳥だ。こうして見ているだけで鳥肌が立つわい」


 云いながら顔を背ける男に、紙月は内心笑いをかみ殺していた。


 男の動きは隙だらけで、いつでも背後から蹴倒して嘴で頭蓋骨を突いて殺すことが可能だった。


 然し、いまは我慢が肝要だ。いてはことを仕損じる。


 男たちは牢に鍵をかけ、此れでよしとばかり意気揚々と、また何処かへ去っていった。それを待っていたかのように、騒がしい羽音を立てて何かが近づいてくる。


呼呼呼呼呼呼! 新入りか! 化け物鳥と皆が噂しているの聞こえてきたぞ! 化け物! 化け物めが! 結功けっこう、結功、呼結功こけっこう!」


 いささか威圧的な調子で話しかけてくるのは──〈鶏舎〉の中でも最大の面積を誇る〈尾長の舎〉に住まう一羽の尾長鶏であった。


「我が名は、ヤス。この〈鳥奥〉における二番目の権力者である! 二番目ということは三番目よりも権力がある! 四番目よりもだぞ!」


 あまり頭は良くないようだった。

「……二番目の権力者様であらせられるとは。では、ぜひ教えていただきたい。家康公は何処におられるのですか?」


 紙月は、必要以上にへりくだって尋ねてみた。


「家康……? おまえ、寝言を云っているのか? ん? 目は開いているようだが?」


 どういうことだ? 家康は肝心の〈尾長の舎〉ではその存在を知られていないのか。


 あるいは──見事に身分を偽って尾長鶏に扮しているのか。


「では、質問を変えましょう。尾長鶏の中でいちばん偉いのはどなたで御座るか?」


「タヌキ様のことか? タヌキ様はおまえごときに会ったりはしない。タヌキ様には一番奥深くの別郭〈御長みながの間〉で卵を温める、大事な大事なお役目があるのだ!」


「卵……ですと?」


 ヤスの口ぶりは、心なしか嬉しそうであった。


「ただの卵にあらず。金卵である。その絶大なる力によって、この江戸城は、我ら尾長鶏のおかげで保たれていると云っても過言ではない」


 やはり金卵の噂は本当なのか。保てば永世の天下布武、食べれば不老長寿。


 自分ならどっちを選ぶか? それについては紙月も考えてみないではなかった。だが、結局中途で思考は止まっている。天下布武も不老長寿も、火喰鳥の身のままでは、意味をもたぬからだ。

「なるほど……ではその絶大な権力をお借りして、とりあえず、此処から出してはいただけないだろうか」


「呼呼呼呼呼呼! 大きいけれど無理だ!」


「大きい〈から〉無理なのでは? だが、それは困るので御座います」


「おまえが大きすぎるのが問題だ。此処にいる鳥は、その多くは諸外国との取引によって手に入れた世にも珍しい鳥。それらをおまえが食べてしまったら、損害は鰻のぼりだ」


 鰻のぼりの用法がおかしい気が……まあ人のことは云えぬか、と紙月は思い直す。


「ふむ……。俺は慥かに肉食では御座るが、好物は蝸牛。安心安全な生き物で御座います」


「騙されるものか! 呼呼呼呼呼呼! だが──我々に対する絶対的服従を誓うのなら、牢から出してやるように口添えしてやらんでもないぞ」


「絶対服従……ですか」


 相手は鶏。騙すのは容易い。此処で此奴の要求を足蹴にする意味はないかもしれぬ。


「畏まりました。誓いましょう。それでタヌキ様とやらに会わせていただけるのなら」


「タヌキ様は誰にも会わぬ。我々とてその姿をしかと見たことはないのだ。ただ御簾越しに会話を交わしたことがあるだけ。おまえのような化け物など……呼呼呼呼呼呼呼!」


 紙月は、己が苛立っていることに戸惑っていた。人間であった頃には考えられない激しい感情が体の奥底から沸き起こってくる。


「ならば……絶対服従の意味がなくなってしまいます……然し突いて殺すには忍びない」


「な……! いまの発言、鳥見役に申し伝える! 其方の牢暮らしが長くなるであろうな!」


「鳥見役は鳥の言葉がわかるので御座りますか?」


「……考えたことがなかったな……あれ? どうだったかな……」


 此奴は鶏ゆえに鶏並みの知恵しかないようだった。


「ふふん、まあ牢から出ようが、体が大きいだけの化け物になど負けやしないがな!」


「本当で御座るか? 私見では──貴公などひと踏みで息絶えるかと」


 紙月は一歩格子の傍に歩み寄った。


「ぶ、無礼なうえに! 身の程を! 知らんな! 我々の恐ろしさを知らんとはな!」


 その刹那、木格子の中に何かが入り込んで紙月の脚をかすめた。


 ヤスがあしゆびで蹴り上げたのだ。


 その動きは、想像以上に早く、まるで閃光のようであった。


「惜しい! 今のが当たっていればおまえはもう死んでいただろうにな。呼呼呼呼呼! まあ、せいぜい眠れ。そのうち我らの恐ろしさを知ることになる」


 ヤスはそんなことを云いながら呼呼呼呼呼呼呼と啼きつつ寝床へと去っていった。


 なるほど、鶏の理解には限界があるということはよくわかった。問題は、タヌキに一刻も早く辿り着く方法だ。いかにしてタヌキを仕留め、〈金卵〉を盗み出すか──。


 だが、その前には此奴のような頭の出来が残念な尾長鶏どもが家臣として立ちはだかっている。


 殺すのは簡単だが、騒動になるのは好ましくない。


「まあとにかく寝るか……」


 うるさい鳥も去り、此れでようやく静かな夜を過ごせそうだ。問題は、天草がなぜ此処へ現れないのか。


 奴は〈鳥奥〉の鳥見役に任じられたのではないのか?


 その刹那──闇を揺蕩たゆたうように、そっとしわがれた声が流れてきた。


「其処のお方、命拾いされましたな。本当なら今頃もがき苦しんでいるところ」


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