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第伍幕:紙月、鳥奥にて探偵す 其ノ肆

 夕刻から夜半にかけて、八羽の訪問客があった。


 最初に訪れたのは、木の葉か瓜の実かと見まがう鮮やかな緑色の砂糖鳥の夫婦だった。


 雀程度の大きさで、好奇心の旺盛な様子も雀を思わせる。


 だが、葉に擬態するには尾の赤さが災いしており、この〈鳥奥〉から一歩でも外へ出れば、たちまち鷹の餌食になること間違いなかった。


 それにやたらと鄙稚ひち鄙稚と煩く騒ぐ。紙月は試しに尋ねてみた。


「つかぬことを尋ねるが、家康公は此処に……」


 紙月が問いかけた途端、すぐに羽をばたつかせ、白い斑点を扇のように大きく動かして「クワバラ!」と叫んで飛び立っていった。想像どおりの反応だった。


 次に現れたのは三羽の禍々しき赤い鳥だ。体は砂糖鳥と同じかさらに小さいが、そのぶん全身の赤さが血の如く映える。三羽は紙月に向かって「薄鈍うすのろ」と交互に罵声を浴びせては楽し気に踊っている。


「貴公たちに訪ねたい。此処に家や……」


 云い終わらぬうちに三方向にばらばらに散っていった。


 やはりそうか。


 どうやら、此処では家康の名を出すこと自体がひどく恐れられているようだ。


 その後、一羽の金鳩きんばとが紙月のすぐ足下にまで来て帆露ほろ帆露帆露と啼き、きょとんとした顔で紙月を見上げた。


 雉鳩が着物でも纏ったかのような風情があるが、歩き方からは知性が感じられないのが残念だった。


「青イ木、青イ木」


 紙月を青い木だと思い込んでいるらしかったが、いちいち弁明するほどのこととも思えなかった。紙月はしばらく目を閉じて眠ったふりを続けたのち、「家康」と呟いてみた。


 目を開けると、すでに金鳩の姿はなかった。ふむ、やはりやはり……と考えていると、また訪問客があった。


 全全獣威ちょんちょんじゅういと啼くいささか太い声に目を開けると、向日葵ひまわりを鳥にしたような生き物が此方を見ている。


 河原鶸かわらひわだ。彼らは二羽で交互に「あの羽、使えないか?」「使える、使える」と云い合っていた。どうやら、巣の材料として紙月の羽が使えるのではないか、と相談しているようだ。


 実際、彼らのごとき小さな鳥であれば、この木格子牢の中に入り込むのは造作もないだろう。


「羽なら差し上げよう。代わりに家康の……待て、おい……」


 やはり駄目だった。河原鶸は「要らぬ、羽は要らぬ!」と叫びながら飛んでいってしまったのだった。


 これが八羽の訪問客のすべてであった。


 面白いことに、いずれの鳥も〈家康〉と口にした途端に、理性を失って慌てふためき、格子牢から一歩でも遠ざかろうとしているのがわかった。


 どの鳥も、厄介ごとを避けているのである。何奴も此奴も鳥のくせに人間臭い。


「怪しい……此処の鳥たちは、何か隠している。其れをあの秀吉も感づいているのだろうが……はて、何を隠しているのやら」


 と、そんなことを考えていると、声がする。


 貴位宇きうい! 貴位宇!


 🐔


 猫に似た声だが、むろん、〈鳥奥〉に猫がいるはずはない。しばし闇に眼を凝らしていると、鮮やかな大きな目が無数に浮かび上がった。その目は扇状に配列を組み、ゆさゆさと揺れ動いている。


 闇夜にいれば枯れ尾花も幽霊となるのは江戸の常。冷静さこそが浮世を生き抜く秘訣でもある。紙月はしずかに闇夜を見つめた。


 嗚呼──此れは、昼間の孔雀か。印度孔雀の雄特有の鮮やかな青い首が真ん中にある。


 そして、広げられた幻色の羽は、相手の動きを封じる呪術めいた〈目〉に見える。


「先刻は醜い声に驚きとんだ無礼をした。それに、大きいことは良き事だ」


「それはどうも。俺のことなら、気にしてはいない」


 紙月としてはいいかげん体を休めたい頃合いだった。


 だが、相手は挨拶だけで去るつもりはないようだった。


「然れども、大きかりしより、小さかりしはなお良し。さらに良きは、美しきこと」


 莫迦にしているのではない、とはわかるが、かと云って好意的なわけでもなかろうこともわかった。


 孔雀については、長崎にいる頃から多くの文献で聞きかじり、一度はわが目で見てみたいものだと思っていた。印度孔雀の伝来は江戸より遥か昔であるという。


 然し、美しさという意味では江戸以降に葡萄牙ポルトガル阿蘭陀オランダを経由して入ってきた他の鳥たちと比しても群を抜いているのは間違いなかった。


 成る程、此れが──孔雀の羽。


 その華々しい外観は、戦乱の世の佐々木道誉のごときバサラの様を思い起こさせもした。


「貴公、俺に話しかけているのだよな?」


「ほかにいるか? 無論、貴公に申しておる。その巨大で尊大な化け物にな」


「では貴公に尋ねる。仮に小さいものが大きいものより良くて、美しいものがそれより良いのだとして、それを俺に云うのは、先ほど非礼を詫びたことと矛盾するのでは?」


「くっくっく。矛盾? 面白いことを云う。ただ思うたことを口にしているだけのこと」


「微妙に奥歯にものの挟まった云い方をするじゃないか。おっと、鳥に奥歯はなかったか」


「貴位宇! 貴位宇! 貴公はもと人間であるな? 少なくとも、単なる輸入された化け物鳥ではなさそうだ。さっきから様子が可笑しいとは思っていたのだ。やけに家康公の名を鳥たちに聞いて回っている。だが、個人的にその行動は慎んでもらいたい」


「……なぜだ?」


「嫌いだからだ、その名が。少なくとも、それがしの耳に入るところでは、謹んでいただきたいものだな。此処でその名を出すこと勿れ。心が乱れる」


「繊細なんだな」


「好き嫌いがはっきりしているだけだ」


「貴公も何かの転生鳥か?」


「貴公に応える筋合いはないな。某の名は光とでも云っておこうか。かつて三日だけ天下人となり、光を掴みかけた。この姿は、我の人間としての時間の輝きを凝縮したように照り映えている。それゆえ、我が名は光。覚えておけ」


「光……か。心得た」


 おまえの正体は、明智光秀だな、ともう少しで尋ねそうになるのを抑えた。それは問う必要のない問いだった。光は自らの正体を隠す気がない。おそらくは先の発言で正体が露呈したことにも気づいていよう。


「光とやら、復讐の心はまだ生きているのか?」


「復讐? そんなものは犬に喰わせて早何年であるよ」


「嘘は良くないな。わざわざ城内の鳥に転生したということは、家康の転生の噂を知ったがゆえに再度転生を試みたわけじゃないのか?」


「さにあらず。もとは某、江戸城内の旗本に生まれ変わったのである。というのも、光秀として生を終える時、次に転生する時は安泰の幕府の幕臣として生を全うしたい、と強く願っていたからだ。



 ところが、周りの旗本たちが某のふるまいがいちいち気取っている、とからかう」


 転生しても貧乏くじを引き当てるは、いかにも明智光秀らしい話だ、と内心で紙月は思ったが、そんなことはおくびにも出さずに、神妙な顔で相槌を打った。


「挙句、金卵を盗もうとしたという濡れ衣まで着せられ、切腹を命じられた」


 思わず吹き出しそうになる。何から何まで明智光秀らしさが満載すぎる。転生してもかくもその性質がついて回るものであろうか。


「その時に切腹の場に、妖術師が現れて〈次は何に生まれ変わりたいのか〉と尋ねた。それで、もう争いごとはたくさんだから、江戸城内の鳥にでもしてくれ、と。それで、此処にいるわけだ」


 また──妖術師か。今度は、本人に復讐心はないにも拘らず。


 秀吉の件でもそうだが、この〈鳥奥〉なる場に向け、得体の知れぬ力学が働いているのは疑いようがない。


「復讐など、餌の足しにもなりはしない。某はもう人の世に興味はないのだ。だいたい、孔雀の姿で戦ができると思うか? 孔雀はただ美しくあれば良い。今は心静かに此の暮らしを極楽と信じて過ごしている。貴公も三日くらい経てばわかる。此処は極楽に等しい。此処で我は、むしろ己を取り戻したと云ってもよいくらいであるよ」


「〈己〉とは何だ?」


「美しさ、それ自体よ」


「では美しさとは何だ? 俺にはそれ自体皆目わからない」


 もともと紙月には、美という観点がない。


 生まれてこの方、生きるのに必要かそうでないか、それ以外の区別などまったくもたずにきた。


「美しさとはな、あるものを見て、嗚呼美しい、心が洗われたようだ、と、それが美しさだ」


「何の説明にもなっていないな。貴公はただ言葉を繰り返しただけだ。三日とはいえ天下を獲った御仁のお言葉とも思えぬが?」


「三日天下とは云っても、べつに本当に三日だったわけではない! 本当はもう少し長かったのだ!」


「五十歩百歩だ」


「五十歩と百歩では大違いではないか!」


 この反論を聞くだけでも、此奴が三日天下に終わった理由はよくわかるというものだった。


 紙月は呆れつつも、光秀が今は孔雀として平穏に暮らしているというのは、ある意味で幸せなのかもしれない、とも思った。


 それにしても──妙な話ではないか。


 秀吉の転生鳥がいるのならば、明智光秀の転生鳥がいるのも道理だとはいえ──よりにもよって何奴も此奴も、何らかの妖術を頼って、鳥に転生することを選ぶとは。


 それも、すべてのはじまりは、やはり尾長鶏に転生した家康と、それが保管するという金卵にあり、か。


「ところで、先ほどあのお喋りな高麗雉が、なにやら貴公にがなり立てておったな」と光秀、こと光が云う。


「ああ、聴いていたのか」と紙月は答えた。


「聞く気がなくても、あの大声なら聞こえる。ついでに云えば、奴は己のことを豊臣秀吉の転生鳥だと主張していた、そうであろう? そして、尾長鶏の中に家康公がいると信じている」


「出鱈目だ、と思っているのか?」と紙月は尋ねた。


「さあな。某は人の話は信じぬ。鳥の話なら余計にな」


「裏切られた御仁らしい真理だな。だが、俺は家康には会ってみたい」


「何故そう思う?」


「転生云々はまだ半信半疑だが、家康というのは、この莫迦げた巨大な要塞を作り上げた男だ。どういう頭をしてるのか、出来ることなら、一度近くで見てみたいじゃないか」


 無論、口から出まかせである。光秀が家康について何かを知っているかどうか。果たして、美に現を抜かして生きているというのが本気なのか。それとも三日天下の明智らしく、しぶとく家康を意識しているのか──それを確かめる必要があった。


「ならば、いいことを教えてやろう。尾長鶏のなかに家康は慥かにいる」


 やはり──此奴はまだ完全に孔雀としてこの楽園を楽しむ心づもりはないのだ。


 家康の居所をそれとなく気にしているのがその証左ではないか。


 此奴も所詮は腹の底では復讐に飢えているのかもしれぬ。


「それは慥かなのか?」


「無論だ。〈鳥奥〉に尾長鶏は七羽。その中でタヌキと呼ばれているのが恐らく家康だ」


 いとも容易く重要な情報を口にするとは、とんだ間抜けだ、と紙月は思った。


 が、同時にこれ以上は何も知らぬであろうことも察せられた。此奴は出し惜しみが苦手だろう。


「恩に着るぞ、光殿」


「……貴公、一体何者だ?」


 紙月はふふっと笑うと、威嚇のつもりで愚ぇ恵恵恵恵恵恵恵恵、と啼いた。


 案の定、光秀はその声に驚き慄いてその場から退いた。


 その刹那──足音が近づいてきた。


 人の足音であった。


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