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第弐幕:天草四郎、鳥獣使いを騙る 其ノ弐

「徳川の神とは何だ? それはつまり、今まさに大改築が検討されている日光東照宮に祀られておられるお方──初代将軍、徳川家康公のことではあるまいな?」


「鳥のわりに正解に辿り着くのが早かったな。まさにそうだ。徳川家光にとっての神、家康を殺す」


「鳥の分際でこういうことを言うのは気が引けるが、おまえもしかして頭が鶏か何かか? 家康というのはな、今から二十年近く前に、とっくに死んでいて……」


「惜しい、鶏は余ではない、まさにその家康のほうだ」


「だからぁ!」


 らちが明かない。此奴こいつ、わざと話を混乱させようとしているのか?


「家康はとうに死んでいるじゃないか」


 だが──天草は澄み渡った瞳でまっすぐに紙月を見据えて言った。


「転生しているかもしれぬのだ」


「……転生?」


「然様。先日、徳川方の侍を一人捕えた。その者が、命乞いをして江戸城の秘密を何でも話すからと勝手にしゃべり始めたのだ。それによれば、徳川家の鶏舎〈鳥奥ちょうおく〉の尾長鶏に転生している。家康は金卵の卵かけごはんを食べる前に鯛の骨が喉に刺さって死に、その刹那恐らくは目の前にあった金卵に転生し、孵化した──少なくとも、現将軍の家光はそう信じているらしい。以来、江戸城は尾長鶏の家康を匿うために〈鳥奥〉が作られ、家光はその家康の云いなり。風見鶏を失えば右も左もわからぬ」


 紙月は、天草の顔をじっと見る。此奴は正気か?


 だが、天草の表情は、戦意と企みで鋭く研ぎ澄まされてみえ、少しも狂気じみたところはなかった。此奴は、正気なのだ。正気で狂気じみたことを云っている。いや、狂気とはそういうものかも知れぬが……。


「〈鳥奥〉……」


 江戸城における将軍の正室や側室の住まう場所を〈大奥〉というのは知っているが、〈鳥奥〉は初めて聞く。


 音としては〈おおおく〉と〈ちょうおく〉は似ていて馴染みはよいが──。


「汝が今から向かう先の名前だ。将軍直属の正鳥や側鳥が住まう場所だ」


 正鳥や側鳥だと? 正室、側室なら理解の範疇だが、将軍ともなると鳥にもいちいちそんな「正」だの「側」だのの区分を設けるのか? 


 流石に初耳だ。もっとも江戸城はこの国の中枢神経であり、その要塞はからくり時計以上に複雑な内部構造をもつとされている。知らぬ部屋などごまんとあるだろう。


「ああ……いや、それは何となくわかるが」


 本当はまったく分からない。何だ? 正鳥って。


 だが、其処は今は問題の本丸ではない。


「……わからないのは其処じゃなくて……」


 転生だ。そう、今頭の中で〈転生〉とすぐに漢字が出てきたのは、それ以外の〈てんせい〉が〈天声〉しか思いつかなかったから消去法で〈転生〉と考えたのだ。


 だが──この世の万物は輪廻転生とはいうものの、実際に転生が起こっていることが分かっているかのように話されると、戸惑わざるを得ない。


 一体、何の確証があってそんなことを云っている?


「まあ突然、転生などと云われて混乱する気持ちはわかる。もともと汝は頭がよくないようだしな」


「そんなことはないが、混乱はしている。混乱しすぎて顔が青くなってきた。今のは戯言だが」


 天草は無言で戯言をやり過ごすと、次のように付け加えた。


「これも捕えた侍がしゃべった話だ。ちなみにその者自身は、家光の誇大妄想だと考えているようだった。それによれば、すべての始まりに天下布武を擬態した鳥がおり、それが産み落とした〈金卵〉がある。そして、その卵の一つに家康が転生し、尾長鶏となった──と家光は信じている。その結果、江戸幕府は世界中の鳥を〈鳥奥〉に集めて、家光が〈家康〉として慕う尾長鶏をうまく隠しているのだそうだ。すなわち家光は、単なる鳥好きと見せかけることで、天下布武の秘訣が一羽の尾長鶏と〈金卵〉にあることをうまく隠そうとしているのだ」


「つまり、俺がこんな化け物鳥にされたのも、発端は一羽の鳥にある、というわけか。然し、少々常軌を逸してはいないか?」


「慥かにな。天下人の単なる血迷いかもしれぬ。だが──汝が鳥に変身させられる妖術のまかり通る世界で、転生を疑う理由がどこにある?」


「そんなことを云えば何でもありになってしまう」


「何でもありじゃない。起こったことは起こり得るというだけだ」


「では、空から火が降ってきたら?」


「降ってきたのなら、無論それは起こり得るってことだろう。汝やはり頭がわるい。とにかく、すべてが家光の頭が生んだ妄想であれ、その妄想でこの国のまつりごとが進んでいるのは、歴然たる事実なのである」


「……尾長鶏だろうと烏骨鶏うこっけいだろうと、家康公を殺すなんてごめんこうむるぜ。そんなことをしたら即刻打首だ。いまのこの姿で打首に遭ってみろ。ただの鳥の死骸だ」


「汝には家族がいない。ちがうか?」


「……誰から聞いた?」


「忘れたな。日本中に知れ渡った情報ではないのか?」


 天草は白々しくとぼけた。


「家族がいなかったら何だというんだ?」


「たとえただの鳥の首無し死体になったとて、悲しむ者などいない」


「断る。なんで俺がそんな危険な目に遭わなければならんのだ?」


「すでに危険な任務に就いている。ことのついでだ」


「ふざけるな。財宝を奪うのと、人を殺すのでは全然重みが違う。そもそも財宝を奪うのは藩の命令。対して人を殺せと云ったのは、男とも女とも判然としない自称・天草四郎ときている。その命令を聞く聞かないはこっちで決める。当然のことだろう」


「聞いたほうがいいと思うがな」


「俺に何の利益がある? 幕府から命を狙われる天草四郎の云うことを聞く利益は何だ?」


「ないな」


 あっさりと天草は認め、しばらく月を眺めていた。その横顔は思慮深くもあり、独特の美しさが漂ってもいる。だが、その月にうっすらと黒雲がかかった時、おもむろに天草がこう云ったのだった。


「利益はない、だが、いま麺麭パンに変えられずに済む」


「……またパンか。だから、俺はそのパンとやらを知らぬから……」


 天草は小石を一つ拾いあげると、それをそっと握りしめた。


 その刹那、異変が起こった。天草の掌の小石が、まるで掌をどけようとでもしているようにむずむずとうごめいている。あたかもそれ自体が生き物であるかの如く──。


 そして──むくり、むくり……小石が膨らみだし、香ばしい匂いすら漂い始めたのだ。あっという間に小石は、川辺の亀ほどの大きさになり、程よい小麦色の柔らかそうな代物になった。本能から、食べ物であることは分かった。


 紙月は咄嗟にそれを突ついて天草の手から奪い取ると、啄んで貪り食べた。火喰鳥の本能としては十分ではないが、いまだ微かに残る人間の五感が、それを美味なものだと認識していた。人間であれば、さぞ旨かっただろう、と。


「これは何だ? 何という食べ物だ?」


「だから、それが麺麭だ。余は万物を麺麭に変えることができる。いまこの場で汝を麺麭に変えることも、一瞬で出来るのだ。『イエスは云われた。皆これをとって食べなさい。これは私の身体』」


「戯言を……」


「戯言と思うか?」


 天草は手をかざした。


「や、やめろ……わかった。信じる」


 ほとんど反射的に、紙月はそう言っていた。恐ろしかったのだ。先刻天草の掌にあった小石が、いまは己の胃袋に収まっている事実を考えれば当然の恐怖であった。


「一つだけいいことを教えてやろう」


「いや、断る。これ以上、おまえの戯言に騙されたくない。明日も早い。もう俺は寝る」


「聞かぬと後悔するぞ?」


「後悔だと……? 何故俺が後悔なんかするというのだ?」


 それはな──と言葉を溜め、天草は一度フランソワ・カロンの小屋の近くに行って耳をそばだて、また戻ってきた。


「あの女は寝息が大きいな。寝息というのは胸の大きさに比例するのか」


「そうなると、おまえは寝息をほとんど立てないのだな」


「ふっふっふ、莫迦め。余は必死でサラシで巻いているのだ。とったらさぞや驚くであろう」


 無駄な嘘をつくな、と思ったが、それは黙っていることにした。紙月は次なる言葉を待っていた。だが、天草はまだ寝息に耳を澄ましている。


「焦らすな、早く云え! 何を俺が後悔するっていうんだ?」


 すると、天草は口元に人差し指を立て、静かに、と合図してみせた。


 どうやら、カロンが起きることを警戒しているようだ。それから、天草は声を落として云ったのだった。


「此処だけの話だ。汝の両親と妹を殺せと命じたのは──その尾長鶏の家康ぞ」


 紙月は絶句し、ただ天草の顔を見つめていた。だが、すぐにこれは罠ではないか、と考えた。天草ははじめからこちらがどんな動機で動くかを知っているのだ。家族の死を持ち出せば、俺が家康殺しに乗ると思っているのだ──紙月はそう考えた。


「わるいが、そのような嘘には乗れないな」


「なぜ嘘と断じる? 何を根拠に嘘と断じる?」


「本当だという根拠がないからだ」


 すると、懐から天草は何かを取り出した。


 それは長い文書だった。


「これは家康公が松浦重信に宛てた文だ」


「妖術だろ。いま作り上げたまがい物だ」


「あいにく余にできるのは万物を麺麭に変えることだけだ」


「……これをどこから盗んできたのだ?」


「そんなことは鳥ごときが知らなくてもいいから、早く読め」


 紙月は苛立ちながらも文を読んだ。其処には、次の如く認められていた。


〈松浦藩主に告ぐ。藩に於ける切支丹の家々、一人残らず皆改宗を勧告すべし。勧告に従はぬ者は是即ち磔拷問に処し、抗はば即刻打ち首に処す由 徳川家光🐔〉


「表向きは家光からの勅令。だが、その後ろの判や、紙につけられたあしゆびの跡を見れば尾長鶏の──すなわち、転生した後の徳川家康の勅令だと分かる。無論、その鶏を家康と信じる家光の悪ふざけである可能性は否定できぬが、もはや同じことであろう?」


 家光が鶏の印など用いるわけがない。それに、趾の跡は家光の背後に鶏の存在があることをいやがうえにも感じさせる。人間の家康ではなく、鶏の、家康を。


 無論、家光の妄想かもしれぬが、此処まで公に存在がまかり通れば、嘘も真だ。


 切支丹に幕府が厳しい態度をとるようになったのは、家光公の時代になってからゆえ、生きた人間の家康公の時代ではない。


 だがそうなると──たかが鶏の命で俺の家族は死んだのか……?


「……嘘だ。なぜこんな……なぜこんな……陰謀だ。これはおまえの陰謀であろう!」


「汝の心はわかる。松浦重信の仕業と思っていたほうが、復讐として手の届くところにあるからな。天下の家康であっては天に唾を吐くも同然──だが、よく考えてみるのだ。藩主に弓を引くのも、直接幕府に弓を引くのも同じこと。しかも、転生すら将軍の思い込みであれば、単なる尾長鶏だ。許せるのか? 自分の家族が、鶏の命令ひとつで死に至ったなどという屈辱を」


 紙月は目を閉じた。いや、正確に云えば、目は開いたままだった。だが、その視界は怒りのあまり真っ暗だった。それが真っ黒な殺意に変わるのはほんの数秒のことだった。


「教えてくれ。俺の任務について。できるかぎり詳しく」


「無論であるよ。そうこなくてはな。案ずるな。基督の名に誓って汝を守る」


「あいにく俺は基督に何も期待してないんだ。家族は基督を信じた結果死んだからな」


「その運命の歪みを、汝が正すのさ。それを、基督はお守りくださる」


 紙月はそんなことはどうでもよかった。ただ、胸の中がはっきりとした指向性を持ち始めていた。


 脳内でビースティーボーイズの「サボタージュ」が流れると、全身の血がごぼごぼと沸騰するかのごとく熱く滾ってきた。


 紙月は月に向けて一声啼いた。


 愚ぇ恵恵恵恵恵恵恵恵!


 その声は、どこまでも鋭く、禍々しく闇さえも貫きそうに響いた。


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