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第壱幕:鳥めづる少年、火喰鳥に転生す 其ノ参

 何やらおかしな話になってきた。自分が火喰鳥であることもうまく呑み込めないのに、今度は阿蘭陀人の美女と行動をともにせよ、しかも江戸城へ入れと云う。飲み込めない。飲み込めたのは蝸牛だけだ。


「俺は、阿蘭陀語は話せません」


「安心せよ、彼女はこの国の言葉が堪能じゃ」


 すると、それを証明するように、フランソワ・カロンは微笑み、紙月の前にやってきて、頭をそっと撫でた。それから、竪琴のごとき声ではっきりとした和語を話した。


「愚かな鳥、首があるうちに聞きなさい。幕府は今起こっている島原の乱を押さえて鎖国政策をとるつもりだが、我々はそれを阻止したい」


「幕府の鎖国を阻止する?」


鸚鵡おうむ返しは鸚鵡の仕事よ。愚かな鳥、其方は火喰鳥。己の本分を弁えて」


「えっと……つまり、基督教の叛乱を支援したい、と?」


「愚かな鳥よ。其方が鳥になるに相応しい莫迦だということはよくわかった。叛乱の支援まではしない。基督教は我々にとっても大切な宗教だが、郷に入りては郷に従えという。制圧するならすればいい。だが、完全な鎖国は困る。商売にならないからな」


 女の横柄な物云いは気に入らない。だが、美しい。とにかく美しい女だ。南蛮の女は皆これほど美しいのか。それとも彼女が特別なのか。然しよりによって何故この状況で自分は火喰鳥なんかになっているのだ? 意味がわからない。


「つまり、金のために鎖国を止めたい、と?」


「愚かな鳥ではなく鳥なる愚かか? 鳥なる愚か。私は商売と云ったのだ。金などと、汚い言葉を直接口に出すでない。まあ、鳥なる愚かでは仕方がないが」


 カロンは金色の髪をふわりと撫でた。微かな風が、いい香りを運ぶ。恐らく阿蘭陀の香料であろう。


「……つまり」


「まとめなくてよい。さっきから其方の〈つまり〉は全然つまらぬ。とにかく、この国は金になる」


「とうとう自分で〈金〉って云った」


「鳥なる愚か。何か云ったか?」


 ムッとした顔になると、美人はより美人になるということがはっきりしただけでも意味はあった。紙月はあるはずの肩をすくめてみせた。


「いえべつに」


「とにかく、そのために其方を江戸城に献上する」


「ちょっと意味がわからないな」


「それは其方が鳥だからだ。気にするな」


「いやそういうことではなく。俺がどうやら鳥であるのは百歩ゆずって認めるとして、なぜこの鳥である俺を献上することが島原の乱を収めることになるのだ?」


「徳川家は鳥が好きらしい。何でも世界中から珍しい鳥を集めている様子。それもただの鳥好きではない。何か裏がある。何しろ徳川家の鳥への執着は、神仏への執着にも似たものを感じる。よほど重要な意味を持っているのに違いない」


「それは初耳だ」


「こんな片田舎では、噂も入ってくるまい。つまり、火喰鳥を献上することで、少なくとも阿蘭陀と商いをすることは得策と知れば、島原の乱の措置も穏便に済もうというもの」


 すると、重信がその言葉を補足した。


「無論、貿易の粗利が入る平戸藩とて、阿蘭陀の試みを阻止する謂われはない。つまりは、藩の政策の犠牲としておまえを妖術で火喰鳥にしたのだ」


「なるほど。米粒を糊としたわけですね?」


 カロンがすぐさま割って入った。


「藩主、此奴は火喰鳥になる前から莫迦なのか? たとえがおかしい」


 カロンはこの国の民よりよほど言葉に五月蠅うるさいようだ。


 紙月は、とにかく自分の置かれた立場だけはぼんやりと理解できた。


果心居士かしんこじさま……といいましたか、俺はもう人間に戻れないのでしょうか?」


 すると、果心居士が答える。


「戻れるとも。〈金卵〉を奪ってこれたらな」


 🐔


「……きんらん?」


「鸚鵡返しは鸚鵡の仕事のはずだと何回云わせる?」とカロンがすかさず入ってくる。


 それから、果心居士と重信が顔を揃えてにたりと笑った。


「つまり、火喰鳥献上は、建前だ」


「え? 建前? だってさっきは……」


「建前の説明をした」とカロンがため息まじりに云う。そんなこともわからないのか、と云いたげだった。「鳥なる愚かにはそれ以上の説明は不要と思った。だが、知っておいても損はないから教えてやる。鸚鵡返しをやめるなら、だが」


「やめる」


「よろしい。では教えよう。我々の真の狙いは──徳川家の至宝〈金卵〉の強奪にある」


「徳川家の至宝、きんらんの強奪!?」


「おい其処の火喰鳥、いよいよ首を刎ねられたいのか?」


「失礼。然し〈きんらん〉とは何だ? それが分からぬうちは強奪も出来なかろう」


「読んで字の如し。純金で出来た卵だ。然し、一説によると、ただの金塊ではない。本物の卵と同様に生命が宿っているのだとか」


「鶏が出てくるのか?」


「種類はわからぬが、天下布武の概念を、呪術にて擬態した鳥の卵らしい。古くは織田信長が所有し、秀吉の手に渡り、ついに家康のもとに渡ったと噂されている。いわば、天下布武のための必須条項なのだ。家康は、その孵化に成功し一羽の天下布武を育てた。天下布武は、それが実現した時、すなわち幕府開幕と同時に天寿を全うしたが、同時に大量の卵を産み落とした。その卵の数だけ天下泰平の世が永続する。一つなら一年。百個なら百年。然し、天下人が天下への興味を失えば、いつでもそれを食べることができる」


「食べると──どうなるのだ?」


「不老不死になる──飽くまで噂だ。家康公が、亡くなる直前に卵ごはんを所望したとか。結局それを食べたのかどうかは記録に残っていない。とにかく家康亡き後も、〈金卵〉は大切に守られ、現在も一羽の鶏に保管させているのだとか」


「それは──不用心を通り越して愚かなのでは?」


 さすがに財宝の管理として杜撰ずさんが過ぎるだろう。何処の主であっても、己の宝を鶏に管理させたりはしない。それはもはや正気の沙汰ではない。


「無論、ただの鶏ではなかろう。何か裏がある。それが何なのかは分からぬが、一説によれば、家康が武田軍から逃亡していた折、身を隠した寺で鶏に命を救われ、天下を取った暁には国の半分を鶏にやると約束したことと関係があるとかないとか」


「鶏との約束を守るのは、さすがに律儀を通り越して滑稽ではないか? それとも鶏ゆえに滑稽国庫コッケーコッコという戯言か。それくらいなら民の苦しまぬ世を約束してほしいものだ」


「鶏をラクにしてやるほうが簡単だからだ。難易度が低い約束なら、人間はいくらでも交わすことができる」


「そういうものか」


「我々阿蘭陀人の貿易の際の信条は、〈難しい約束をするな、容易い約束はいくらでもせよ〉。約束の数が多ければ、ある程度人間は満足する。所詮は数に弱いのだ」


「そういうものか」


「其方、先刻からそればかりだな。脳髄まで鳥になったか」


「そういうものか」


「おい……」


「戯言だ。然し御恩があるとは云え、鶏に財宝を管理させるのは危ない。糞をされるぞ」


「だから、奪うのだ。其方を献上して、ね。城外の我々には近づけなくとも、場内で飼われる鳥ならば近づける」


 そんな簡単にいくだろうか? 眉唾くさい…と紙月は考える。


 天下統一の必須条項だと? 食べれば、不老不死の効能まである?


 然し、ひとまず紙月は、一枚ずつ薄い紙をめくるように状況を理解しはじめていた。自分は火喰鳥として江戸城に献上されるが、それは建前で実際には〈金卵〉を強奪するために此処にいる。


 無茶な任務ではあるが、市元太に虐められるばかりで出世の見込みもない毎日よりはいくらかマシだ。それに、〈金卵〉を奪ってくれば、人の姿に戻り、重信の信用を得ることにもなるかもしれぬ。それは父母の仇へと一歩近づくことにもなろう。


「わかりました。ありがたくはありませんが、お引き受け致します。ただし──」


 紙月はその刹那、果心居士が手綱を緩めたのを見逃さずに飛び上がり、市元太に蹴りを食らわせた。市元太は悲鳴を上げて倒れた。紙月はその上に片脚をかけた。


「殿、この者の心臓を一突きしてもよろしいでしょうか? それを報酬の一部としていただけるのならば」


 重信は引きつった笑いを浮かべた。


「此奴、早くも人の心を失いつつあるわ……頼もしい。よし。市元太の命はくれてやる」


「ひぃ…ひぃいいい! 殿! 殿ぉおおお!」


 市元太が青ざめながら足元でばたばたと動き回った。


 紙月は、その市元太の眼球めがけて、鉤爪を深く刺した。


「やはり命は要らぬ。お主の眼球は蝸牛より美味か、試してみよう」


 市元太の眼球が爪に刺さって持ち上がる。顔の一点、穴の開いた箇所から、血が吹き荒れると、もう一方の目が大きく見開かれた。


 市元太はぬわああああと叫び続けていた。それが五月蠅かったのか、城主の重信が刀を抜いて一突きし、黙らせた。


 紙月は、鉤爪かぎづめに刺した眼球を、くちばしで啄んだ。


 ねっとりとしていて、濃厚な味わい。


 思っていた以上に美味だった。これは蝸牛に勝るとも劣らぬ。


 嬉しさのあまりに恵恵恵恵恵恵恵と一声啼いた。


 その声は、鳥屋敷全体に轟き、いっせいに屋敷内の鳥たちを興奮させたのだった。


 カロンが欠伸交じりに云った。


「呆れた鳥だ。先が思いやられるな。まあいい。旅立ちは明朝だ。しっかり英気を養っておけ」


 江戸城──武士の家に生まれた者ならば、一度はその中に足を踏み入れることを夢見る。それが自分のような下級藩士に叶えられる時がこようとは。


 紙月は興奮した。と、同時に思った。江戸城ともあらば、この小さな藩の城の何倍も厳重な警護であるはず。そのような中から、何かを盗み出すようなことが可能なのであろうか?


 まあいいか。


 今はとにかく、一つ美味な好物を覚えた。そのことに全身が喜んでいた。


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