「信綱殿、お耳に入れたきことが」
仕事終わりの晩酌も尽き、そろそろ各々の屋敷へ引き上げて続きを愉しむかと思っていたところへ、老中・阿部忠秋が現れて耳打ちする。同じく老中の松平信綱は酔った頭に水をかけられたみたいで気分が良くない。
「忠秋殿、仕事の話は仕事をしている時にしましょうぞ」
「在城時これ即ちお勤めにございましょう」
「固いことを申すな」
「固い柔いの話ではござらぬ」
「
松平信綱の左右には、
「──火急の
忠秋が目を覗き込んで云う。信綱は
念には念を、と懐より筆と紙をとり、忠秋に「此処に要件を書かれよ」と伝えた。忠秋は筆と紙をとると、すぐにこう
家康公が亡くなられた? 忠秋は信綱が読んだことを確かめると、すぐさま囲炉裏にその紙をくべて燃やした。
「酔いの醒める戯言だな。今後は酔い醒ましにはこの手の知らせを使うか」
「戯言では御座らぬ」
「わかっている。戯言を云ったのは我のほうだ。それで何処へ向かえばよい?」
「
「千鳥足ゆえ、手を引いてもらうぞ」
「え……?」
忠秋が露骨に顔をしかめる。信綱は忠秋が潔癖症だったことを思い出す。一日に手を洗う回数五十を超える。そのうち皮膚が半透明になるのではないかと思われるほどだ。
「戯言重ねだ。案ずるな。自分で立てる」
松平信綱は、立ち上がり、宣言どおりの千鳥足で阿部忠秋のあとに続いた。二人は、政務を司る中枢にいる。その上には大老がいるが、大老は実質名誉職。まずは大事あらば、老中である自分たちで処理するのが肝要という考えでは、二人とも合致していた。
まして──家康公の死などという天下を揺るがす一大事となれば、できるだけ最小人数でことに当たらねばならない。
ちなみに──時は寛永十四年(1637年)。
徳川家康が亡くなったのは、元和二年(1616年)ゆえ二十年の歳月が流れている。ただしそれは人間の家康公の話。
彼らがいま問題としているのは──鶏の家康公のことである。
🐔
阿部忠秋が向かった先は〈
それにしても──と松平信綱は訝しんだ。
「
「百聞は一見に何とやらで御座る」
「そこまで云ったのなら〈如かず〉と云えば良い。然し、真であれば、由々しき事態には違いないぞ」
と云っても、べつだん信綱が鶏の家康公を、本物の家康公の如く信奉しているわけではない。それは忠秋にしても同じだろう。たかが鶏だ。
だが──その鶏を、家康公の生まれ変わりと信じているのが現将軍とあってはそう軽んじてばかりいるわけにもいかない。
何しろ、三代目家光公は、家督を継がれてなお、この家康公のご意見を最重視している。その存在のいかがわしさはともかく、それが亡くなったとあらば、結果的に御国の柱が揺らぐにも等しい。
家康公の座敷に着くと、忠秋はその前にいた鳥見役を平手打ちした。
「其方がついていながら何故
理不尽な怒りをぶつけたのは建前だろう。此処でこう責めないことには成り立たない。武家社会は、かくも因果なからくりでできている。
「滅相も御座いません! この門左衛門、決して此処を離れてはおりませぬ。一秒たりとも、で御座います! どうか信じていただきたく……」
この時代に一秒という単位があったかどうか、と時代物うるさ型は云うかもしれないが、そんなことは
厳密にいえば、江戸に和時計の概念が入ってくるのはもっと後であるし、それとて現在の時間単位とは異なる。此処は潔く、この世界では秒、分、時間、という現在と共通の感覚があるものとして、あるいは作者がそのように翻訳したものとして進めばよろしい。
「笑止! もしお主の云うことが本当であれば、何ゆえに家康公が亡くなるのか!」
信綱は欠伸をかみ殺した。
「やれやれ、忠秋殿は芝居が下手だな」
そう指摘すると、忠秋は少し慌てたようだった。
「な、何を申される」
「本心では、こんな建前の叱責は終わりにして、早いところ平手打ちした手を早く洗いたいに決まっているであろうに。お主の潔癖はよく存じておる」
図星だったようで、忠秋はムッとした様子で押し黙った。
と、
「門左衛門の申すことに相違は御座いません。その者は三十分おきに私のもとに家康公の無事を知らせることになっておりまして、三十分前にも家康公の無事を知らせに参りました」
鳥見役頭の部屋は、〈鳥奥〉に隣接しており、〈鳥奥〉から離れることなく報告ができる。廊下より障子越しに「家康公、ご無事」と伝え「ご苦労」と返されるだけの簡素な管理だが、それでもこれは門左衛門が持ち場を離れなかった一定の証明にはなりそうだ。
「まあまあ忠秋殿、弥助の証言もあることであるし、門左衛門が役目を果たしたと仮定して考えたほうが合理的ではないか? そうであろう? 門左衛門」
門左衛門は思わぬ助太刀に安堵の表情を浮かべている。話を聞けば、門左衛門は文字通り寝ずの番をしていたようだ。その証拠として、門左衛門の腕には針でできた新しい傷が無数にあった。眠気に襲われるたびに針で自らの腕を刺していたのであろう。
「忠秋殿、まずは中を慥かめるのが先決。話はその後に」
信綱に酒臭い息を吹きかけられて、忠秋は顔をしかめつつ怒りを収めた。
家康公がいるのは、〈鳥奥〉の最奥にある〈御長の間〉と呼ばれる小さな部屋である。〈御長の間〉は、〈鳥奥〉における〈正鳥〉、尾長鶏が住まう〈尾長の舎〉とは一線を画している。
〈鳥奥〉には〈正鳥〉と〈側鳥〉がいる。
正室と側室のようなもので、〈正鳥〉に属するのは尾長鶏たちだ。その他の鶏群も〈側鳥〉のなかでは上位にあるが、〈正鳥〉は別格である。その〈正鳥〉が住まうのが〈尾長の舎〉であり、さらにその中の最高位にある者のために用意された部屋が、〈御長の間〉というわけだ。
障子戸はすぅっと開いた。出入口は此処一つ。あとの三面は土壁に囲われている。さらに〈御長の間〉の外周はぐるりと鉄柵で張り巡らされてもいる。そして、たった一つの障子戸の前には寝ずの番の鳥見役がいた。
となれば、これはつまり──密室は密室である。
信綱はそんなことを考えつつ、障子戸を開く。
家康公は、首無しの
「これは……慥かに家康公なのだな?」
首がなくては見分けがつかぬ。首があれば、たかが鶏の分際でいささか威圧的な目をしたあの小癪な尾長鶏だとすぐにわかるのだが──。
信綱は、初代将軍・家康公の生まれ変わり云々は全くの眉唾と思っていた。が、一方でその尾長鶏自体が醸す妙な人間臭さは、ほかの尾長鶏と一線を画すことも慥かだ、と考えていた。
だが、その首がないとあっては──。
「これではただの鶏だ」
「然様、こうなっては単なる鶏で御座る」と忠秋は云いつつ顔をしかめる。亡骸のある空間すなわち不衛生と考えていて、一刻も早く此処から立ち去りたいのだろう。
家光公に云わせれば、家康公は、単に〈家康〉と名付けられた尾長鶏にあらず、正真正銘、初代将軍の徳川家康公が尾長鶏になられたのだそうだ。少なくとも、家光公はそう仰せられている。その言を腹から信じている家臣などいるわけもないが、表向きは皆家光公の仰せのとおり、その尾長鶏を家康公として丁重に扱ってきた。
だが、それも斯様な姿になっては終わりだ。
「このことはゆめゆめ家光公の耳に入れてはなりませんぞ」
だが、信綱のこの言葉に、忠秋は顔を顰める。
「然し、家光公は、毎日家康公にご面会なされます」
あの稚気と狂気のせめぎ合った三代目は、いまだに家康公の言葉なくしては何も出来ぬ。その家康公の首が刎ねられたと知れば、如何ほど動揺することか知れたものではない。
「すぐに影武者を立てればよろしい。なに、家康公といえば影武者ではないか。尾長鶏など、注意深く見なければ、いずれも同じよ」
信綱は云いながら、生前の家康公のあの鶏とも思えぬ人間臭い目つきを思い返す。いずれも同じ──とはゆかぬか。
「……おそれながら、
「慥かに。では目を隠すのはどうか? 医者を呼び口裏を合わせよう。今宵、家康公はお目を患った。そういうことでよいではないか」
「家光公は、家康公の御言葉がわかると宣うておられますが?」
「戯言を……でもないか」
あの狂気じみた御仁は、本当に鶏の言葉を理解していると思い込んでいる。最初は直接己の意見を口にするのを恥じらうがゆえの方便かと思った。
だが、あまりにいちいち家康公に尋ねてから決断をするので、家臣たちは段々家光公が妄想と現実の区別がついていないのでは、と考えるようになった。
「うむ……では、戻ってもう一度今後の方針を話し合おう。夜明け前には妙案も浮かんでこよう。だが、その前にまずは影武者の選定をする」
信綱は座敷の中を見渡した。まったく、鶏風情には勿体ないような豪勢な部屋であるが、その代わり周囲には鉄格子が嵌められており、抜け出すことも侵入することも難しい。信綱は内心で首を傾げた。
それにしても──一体、誰がどうやって〈密室殺鳥〉を行なったというのだろうか?