翔は、氷室の氷を使った冷却技術を試すため、藩との交渉を模索していた。しかし、氷室の氷は江戸の権力構造における象徴的な資源であり、藩主や上級武士の特権品だった。「庶民が手を出せるものではない」と、冷たく現実が突きつけられるたびに、翔の焦りは募った。
そんなある日、市場で魚を調べている翔に、ひとりの男が話しかけた。「あんた、氷室の氷を狙ってるらしいな。そりゃあ、相当に無謀な話だ。」声の主は、歳のころ四十代後半の堂々とした商人風の男だった。
「俺は伊兵衛。この市場の魚問屋を仕切ってる。氷室の氷を商売に使おうなんて、大胆すぎるが、あんたの話には興味が湧いた。俺もいい魚をいい値で売りたいからな。」伊兵衛の言葉に、翔は思わず胸が高鳴った。
伊兵衛は翔の計画を聞き、協力を申し出た。「役所への口添えぐらいならしてやる。だが、向こうが首を縦に振るかどうかは、あんた次第だ。」
数日後、伊兵衛の引き立てで、翔は藩役所の門をくぐった。冷たい視線を向ける門番に頭を下げ、伊兵衛の人脈を駆使して役人との面会が叶った。しかし、待ち構えていたのは厳しい現実だった。
「氷室の氷は藩主のためのものだ。商いに使うなど論外だ。」役人たちは翔の説明を一蹴した。
伊兵衛が割って入る。「確かにそうかもしれない。しかし、この男の計画が成功すれば、江戸の寿司文化は一変する。結果として藩の名声も高まるだろう。」
翔も続けた。「鮮魚を冷やす新しい方法を試し、実現できれば、この町の市場に革命が起きます。そして、それは藩の利益に直結するはずです。」
一瞬、部屋に静寂が訪れた。やがてひとりの役人が口を開いた。「ならば、試験的に少量の氷を提供しよう。ただし、結果が出なければ、今後の協力は断る。」
伊兵衛は満足げに笑みを浮かべた。「上出来だ。これであんたの腕前を試せるぞ。」
氷室から運び出された氷を見た翔の胸に、新たな決意が湧いた。「これでやっと、一歩踏み出せる……さあ、次は実行だ。」