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第二章:鮮度の壁

市場での寿司屋台で大きな驚きを受けた翔は、その後も江戸の街を歩き回り、魚の流通や保存の現状を観察した。市場の端では、魚を井戸水で冷やしながら運ぶ商人たちが忙しなく動いている。魚を扱う職人たちは、少しでも鮮度を保とうと腐心しているようだった。


「井戸水で冷やす方法か……。効果的ではあるけど、限界がある。」

翔は現代の冷蔵技術を知っているがゆえに、もどかしさを覚えた。江戸の人々が鮮度の重要性を理解しているのは明らかだったが、それを補う手段が限られているのが問題だった。


屋台の職人に話を聞いてみると、こんな話が返ってきた。

「氷室の氷が使えたら、もっと長く新鮮な魚を提供できるんだがな。だが、あれは藩や幕府のもので、俺たち庶民が簡単に手を出せる代物じゃねえ。」

翔は、氷室の氷がいかに貴重で、庶民の手には届きにくい存在かを初めて知った。


「じゃあ、どうしてるんですか?」

「そりゃ、茹でたり酢で締めたり、保存の工夫をするしかねえよ。生の魚なんて、せいぜい朝獲れを昼までに売るくらいさ。」

その言葉に、翔の胸がざわついた。

「でも、もしその生の魚を新鮮なまま、もっと多くの人に届けられるようになったら……?」

職人は一瞬目を丸くしたが、すぐに苦笑した。

「そりゃ夢の話だな。でも、兄さん、面白いこと言うな。もしそんなことができたら、江戸中の屋台がひっくり返るぜ。」


翔はその言葉を胸に刻みつけ、市場を後にした。自分の知識をこの時代に活かすことで、現代では当たり前の「新鮮な寿司」を提供する可能性が見えてきた。しかし、氷室の氷を使えないとなると、自分で新しい保存技術を生み出すしかない。


その夜、借りている長屋で試作に取り掛かった。材料は市場で仕入れた木桶、井戸水、そして商人から手に入れた薄い銅板。

「井戸水を通気のいい箱で冷却する仕組みを作れば、多少は温度を下げられるはずだ……!」

翔は現代での研究で学んだ基礎知識を思い出しながら、何度も失敗を重ね、工夫を凝らしていった。


数日後、彼の元を訪ねてきた屋台の主人が目にしたのは、翔が試作した「簡易冷却装置」だった。

「これで本当に魚が新鮮なまま保てるのか?」

「効果がどのくらい続くかはまだわからないけど、試してみましょう。」

翔は自信と不安が入り混じった表情で答えた。


こうして、江戸時代の環境と現代の知識が交差する挑戦が始まった。



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