愛くるしい元神さまは伏し目がちに小声で語った。
「アリン……ロリコンヒーローさんは天才幼女がお嫌いですか?」
森のような濃い翠の瞳をした幼い少女の名前はファス・アモル――どう見ても5~6歳の少女にしか見えない。しかし少女はこの間まで、この世界を創った四大創生神の一柱『確定の神』の現身(うつしみ)だったのだ。いろいろな事情から少女は神の力を失って、今まで止まっていた大人への成長が始まっていた。彼女の可愛くも整った顔の中に、大きな翠色の瞳はまるでエメラルドのように輝いている。つややかな茶色の髪は、ウェーブしながら腰まで伸びていた。ただ念入りに梳かした後でも重力に逆らって天を向かって跳ねている一房の髪が、彼女の天然を現しているかのようだった。
「だからね、本当に俺はロリコンじゃないんだ。それにアムが科学に興味を持つことも、俺は悪いとは言っていない」
「じゃあ、アリンは私にどうして欲しいの?」
少女をアムと呼んだ黒髪の青年――アリニシャル・オールマンは彼女の問いに少し考え込んだ。世界中を探しても、この青年の素性を知らない者はほとんどいないだろう。アムだけは親しみを込めて彼をアリンと呼ぶが、人々は彼を敬意を込めて『
「そうだなぁ、まずは服装から変えた方がいいと思うよ」
XAはピンクのワンピース姿のアムの姿を脳裏に浮かべながら語った。きちんとさえすればアムはまるで妖精のように可愛らしいのに。
「この服、私、気に入ってるの。アルフィの研究所に相応しいと思うし」
今、アムが着ていたのはぶかぶかの白衣だった。研究所に常備していた白衣を適当に詰めただけの服のため、少女にはまるでサイズが合っていない。
「だけどそれ、アニキのお下がりじゃないか」
アルフィと呼ばれたXAの亡き兄――アルフィナル・オールマンは、エクアラの丘に建てた自宅を趣味で研究所に改造した変人だった。天才科学者でもあった兄に『魔法科学研究所』と名付けられたこの建造物は、世界連邦政府軍の司令部すら上回るとんでもないポテンシャルを秘めた基地でもあった。
「それに、何で伊達メガネまでつけているんだい?」
素通しの大きな黒縁メガネをアムは愛用している。いつもそれを掛けているため、メガネに顔が覆われて天使のような少女の美貌が台無しだ。
「……あむ、だってこれ……アルフィの形見だもの」
アムは『あむ』と言う口癖と一緒に、小さな声でつぶやいた。XAにとって双子の兄であるアルフィナルは、アムにとっては初めて出来た大切な友達だったのだ。
「そっか……」
兄の死に一番責任があるXAはその唇を強く噛みしめた。だが、もう後ろ向きにはなるまい。兄が最後に伝えた言葉を彼は脳裏に浮かべた。
――優しいお前は、私の一番の誇りだよ、アリン……
XAは強い思いを胸にして、悲しみを乗り越えて微笑んだ。
「アニキは……幸せな一生を送ったんだよ、アム」
たとえ短くとも、兄アルフィナルが妻のリーフェ、アリン、そして仲間たちと過ごした日々は絶対に不幸ではなかった。それだけはXAも確信している。
「アム……いつか俺たちは自分を許さなくてはいけないと思うんだ」
「うん、判っているの。……でも私、大切な友達を忘れたくないから」
そうつぶやいた幼い少女の頭を、XAは優しくそっと撫でながら心の中でつぶやいた。
――大丈夫。誰が忘れても、俺たちだけはアニキのことを決して忘れないから。
XAは、アムがしばらく研究所に籠って創り続けていた様々な研究成果を見渡した。中には彼らのサポーターである『ジェントルメン』たちに配布した新型ロードマシンのように、すでに実用に供されているメカニックも少なくない。やがてXAは、感心の気持ちを隠さずにアムへ語りかけた。
「それにしても、アムがアニキ以上の天才とは思わなかったな」
XAの問いに、アムが微笑みながら答えた。最近、この少女はよく微笑んでくれる。神様だった時は、『確定の神』の重責を果たそうと感情を押し殺してニコリともしなかったアム。こうしてアムが笑う度に、少女が人の未来を固定する『予告』の神力を失って本当に良かったと、XAは心から感じていた。
「……あむ、これはね、『予告』に必要だった未来を予測する計算能力を、科学分野に当てたからなの。アルフィが天才になったのと同じ理屈」
光の紋章使いでもあった兄アルフィナル――彼は光魔法に使っていたその演算能力を科学分野に振り当てることで、天才と言われる科学者になることができたのだ。今初めて知ったその事実に、XAも驚きを禁じ得ない。
「えっ? でも、それなら俺だって」
もし、アムの言葉が本当ならば、双子の弟――闇の紋章使いであったXAが兄同様に天才になっても不思議ではない。しかし、現実は……。
「アリンがおバカさんなのは……」
「何だって?」
口を滑らしたアムの言葉をXAが聞きとがめた。
「……もとい、アリンが天才になれなかったのは理由があるの」
「理由?」
アムはコクリと大きく頷いた。これは本当に大切な話だから、今、XAにはきちんと伝えなくてはならないと思った。
「……あむ、アリンの中の光と闇の紋章、消滅してないの」
「えっ?」
「今は……二つの紋章は休眠中」
「……そうなのか」
少女の言葉に、XAが複雑な表情を見せた。あらゆる光魔法とあらゆる闇魔法を最大限の力で駆使できる『
「あのね、アリン……」
何かを言いかけたアムの目の前で、XAの
「誰からの連絡?」
「世界連邦政府の事務局からの正式依頼だ。これから俺を担当する新任の特別司法官が面談を求めてきたんだ」
「……あむ、きっとニナの後任ね。アリン、そう言えば彼女の消息、判ったの?」
XAは少女の問いに首を振った。未だにニナ・デリンジャーは行方不明だと答えるために、口を開きかけたその時である、突然、室内に大きな羽音が響いたのは。次の瞬間、XAの肩が微かに揺れて見えた。見えない何者かが彼の右肩に留まったのだ。
「アリン、緊急事態だよ!」
少年のような声が、切羽詰まったようにアリンに訴えていた。
「どうしたの、フィン」
アムにフィンと呼ばれたそれは、XAをサポートするフクロウ型のAIドロイドだ。全身がメタマテリアルで覆われているため、人の目には全く見えない。しかし長く行動を共にしてきた二人にとって、フィンは単なるAIではなかった。フィンはかけがえのない友達だったのだ。
「大変なんだ、アム! ダンが……ダンがキレて、今にも暴れ出しそうなんだ」
フィンが伝えた緊急事態を聞いたXAとアムはその顔を見合わせた。二人は必要なツールを選ぶと、即座にダンが住む地下ドームに向けて走り出した。
厚い超合金の壁で覆われた魔法科学研究所にある地下ドーム。そこに住んでいたのは暗黒竜ダルムンハイト――飛行する竜では最大クラスの知性ある闇属性の巨竜だった。その体長は約30m……齢はすでに五百歳を超えている。その暗黒竜が見るからに不機嫌な様子で、炎が宿るような赤い瞳を剥いて拳で金属壁を叩き続けていた。
「ダン! 止めて!」
異種族に意思を伝達できる精神感応(サイコパス)装置を額に着けたアムが、言葉に出しながら暴れる暗黒竜に話しかけた。『ダン』とは、この個体の愛称なのだ。アムの呼びかけに、暗黒竜は壁を殴る拳を止めると少女にその首を向けた。元神さまであるアムに敬意を払っているためか、ダンも彼女の言葉だけは無視することはしなかった。
「ダンは何だって?」
アムとダンの交信をしばらく見守っていたXAが、アムに今の状況を尋ねた。
「……あむ、ダンは欲求不満みたい」
「欲求不満?」
確かに契約を交わしたとはいえ、こんなドームに閉じこめられていれば、次第にイライラは募るかもしれない。とは言え、暗黒竜を野放しに出来るはずもなかった。
「アリン、今は私に任せてくれる?」
「それはいいけど……危険な真似はしないでくれよ」
「……あむ、判ってる」
さらにダルムンハイトと交信を続けていた少女は、持ってきた金属製のリングをダンにも見えるように上に挙げた。このツールはアムがラボに籠って創っていた機器の一つだった。それを見たダンはその頭を床近くまで下げ、静止の姿勢をとった。
「ダン……いい子ね」
齢五百歳の暗黒竜を小さな子供のように頭を撫でるのは、人となる前のアムが創生神の現身だったからに違いない。アムは暗黒竜の鋼鉄のように硬い鱗で覆われた首に触れて、正しい位置を確かめてその金属リングをカチッとはめた。さらに竜の右耳に巻貝に似た電子装置を取り付ける。
「これでいいわ。試してみてダン」
額から精神感応(サイコパス)装置を外して、アムが竜に普通に語りかけた。
「某(それがし)の言葉が届くかーっ!」
突然、耳を聾するような大音響で竜から言葉が発せられた。思わず耳を抑えるXA。急いで翻訳器のボリュームが調整された。
「私の言葉も判る?」
「もちろん判るとも」
暗黒竜は首を縦に振りながら答えた。どうやら双方向性の翻訳には成功したようだ。これで話したいことを直接伝えられる。ダンのストレスも大きく減るに違いなかった。
「俺が判るか、ダン?」
ダンはXAをチラリと見ると、ことも無げに答えた。
「アルフィナルの出来の悪い弟だろう? 自他ともに認めるロリコンで、不遜にも元創生神のファス様を狙っている変質者だ」
ずいぶんな言われ方に言葉が出ないXA。自分自身だけは本当だと知っている事実を、遠慮なくズバリ指摘されて、彼は無性に腹が立ってきた。
「……あむ、アリンはロリコン……じゃないと思う。たぶん……だけど」
――俺はロリコンじゃない。アムもそこはきっぱりと否定してくれてもいいのに。
アムに自分の口から今はロリコンだとはっきり伝えた過去を忘れて、XAは憮然とした面持ちで立ち尽くしていた。
「それに、お前の肩にいるのは、あのクソ生意気な頭でっかちのメカフクロウだ」
ダンの暴言にフィンが憤然として言い返す。
「脳筋のダンなんかに、頭でっかちなんて言われたくないな!」
脳筋という言葉はあまり暗黒竜には正しくないかもしれない。もちろん量子コンピューター並の演算能力を誇るフィンとは比較できないが、竜族でも知的な一族のダルムンハイトは、人間かそれ以上の知能を有していたからだ。それ故にプライドが高い一面もある。
「某らダルムンハイトの一族を脳筋呼ばわりするとは、本当にいい度胸だ」
その言葉と同時にダンの口に紅蓮の炎が宿った。この場で火炎のブレスを放つつもりなのだろうか。刹那、XAがアムを庇って彼女の前に出た。左腕のプロテクターを全開にすると、いつでも抜けるようにプラズマ・ソードの柄に右手を置く。
「止めなさい、ダン!」
アムが凛とした声で暗黒竜を制した。さすがのダルムンハイトも、元創生神の言葉を無視することはできない。少女は後を振り向くと言葉を続けた。
「アリンもフィンも止めて」
もちろんXAにはダンと闘う意志はなかった。ただ、大切なアムに危害が及ばないように、想定される攻撃に対して備えていただけだった。
「……悪かった……ついイライラしてしまって」
ダンが素直に頭を下げた。XAも武装を解くと冷静な声で暗黒竜に語りかけた。
「良ければイライラの原因を話してくれないか」
暗黒竜はその赤い瞳を閉じると、彼が交わした契約についてXAたちに確認するように語り始めた。
そもそもダンを捉えたのはXAの兄――アルフィナルだった。そしてあの時、強く感じた闇の力に惹かれて、彼の住いを一方的に襲撃してきたのはダンの方だった。だからアルフィナルがとった行動は正当防衛と言えなくもない。そう、暗黒竜のダンをしてもケンカを売った相手が悪かったのだ。疑似光魔法を駆使した力によって、暗黒竜は手もなく魔法科学研究所に拉致されてしまった。
「アルフィナルと某が交わした契約は、某の開放と引き換えに闇魔法の力を魔装弾に提供することだった」
それを聞いたXAは自分の頭をポリポリと掻いた。銃弾に魔法を装填した魔装弾は、魔法を使えなかったXAのために兄が開発したものだったからだ。アルフィナルは自分に戦いを絡んできた闇の眷属を無傷で捉えては、自由と引き換えに闇魔法を提供させていたと聞いたことがある。
「……ダンは知っているはずだ、アニキが死んだことを」
兄の死を思い出す度に、今でもXAの心は激しく痛む。
「もちろん知っている。契約は既にご破算になったことも」
それを聞いたフィンが横から口を挟んだ。言葉に何となく棘がある。
「……だったら、さっさとここから出て行けばいいじゃないか」
科学の結晶であるフィンと魔法の申し子であるダンは、お互い馬が合わないのだ。
「某もそうしようと考えた。しかし某は、ここにある闇の神器が欲しかったのだ」
XAには思い当たる闇のアイテムがあった。死の短剣デス・ダガー――創生神の一柱、闇と死の神が創った神器。誰にでも一回だけ使える。そして生あるものならば何であれ死す必殺の武器なのだ。苦い気持ちがXAの心一杯に広がった。
「後悔するアリニシャルの姿に心を痛め、デス・ダガーを人の手が届かない場所に隠したいと望んでいたファス様と、某の利害は一致した」
思えばダンとの意思の疎通はアムに任せきりだった。アムとダンの間で、そんな取り決めが成されていたことをXAは初めて知らされた。
「某はデス・ダガーを引き受け、代わりに闇魔法を提供する契約を交わしたのだ」
それを聞いて、XAは直接ダンに尋ねずにはいられなかった。
「一応聞くが、ダンはデス・ダガーをどうするつもりだ」
「あれは人間には過ぎた代物だ。某の手で一族の巣窟の奥に密かに封印するつもりだ」
それが本当ならば世界連邦政府に預けるより安全かもしれない。
「俺に文句はない。……だが、それでも俺にはダンが不満な理由が判らない」
それは正直に語った言葉だった。それに対するダンの返事も意外だった。
「迂闊にも、我が身の自由を条件に付けていなかったのだ。これでは契約の終了前だと、某がドームから出ることもできないじゃないか」
律儀にも暗黒竜は契約を厳しく守ろうとしていた。しかし外にも出られない不自由さが大きなストレスとなり、ダンを次第に不機嫌にさせていたのである。
「アリン。犬だって毎日散歩させないとイライラするだろ?」
フィンが余計な例えをしてダンの神経を逆なでした。竜は吠えるように大声で叫んだ。
「何だと、このポンコツドロイドが!」
「齢五百歳のジジイの竜にポンコツなんて言われたくないな」
再び険悪になるダンとフィンの関係に、アムが仲裁に入った。
「ケンカはダメ。判ったわ、ダン……外に出たいのね?」
暗黒竜は素直に首を縦に振った。ダンの要求は単純だった。しかしそれを叶えるのは、考えてみるとそれほど容易ではないかもしれない。
「だけど、アム。ダンが外に出たら、見た人が卒倒するかもしれないぞ」
XAが状況を想像してアムにそれを指摘した。すると少女はニコニコしながら、その小さな胸を張って答えた。
「……あむ、任せておいて、アリン。私に考えがあるから」
XAは今、デジャヴのような感覚がすることに気が付いた。天才ではあったが変人の兄に、かつて感じていた漠然とした不安を、今のアムにも感じ取っていたからである。
その数日後――新任の特別司法官に招かれたXAが世界連邦政府本部事務局があるケントルムシティに向かう日のことである。この日、アムはXAに世界に類ない特別製の飛空艇を用意すると宣言していた。少女の言葉を信じて家の外を見回したXAは、丘の中腹に漆黒の飛空艇があることに気付いた。全長約30メートル……個人用にしてはかなり大きい。それに空中戦にも対応できそうな形状をしていた。それが購入品でないことは明らかだった。カスタムメイド……いや、アムが研究所内工場で自作したものに違いない。
「いつの間にこんなものを作ったんだい?」
XAは、驚きを隠さずにアムに尋ねた。上機嫌でアムが答える。
「今日の朝、シュバルツ・ファイターは出来たばかり。……でもね、驚くのはまだ早いのよ、アリン」
そう言いながら、少女は両手を挙げて合図を送った。次の瞬間、彼女にシュバルツ・ファイターと呼ばれた飛空艇は、目前でみるみる変形を始めていく。そして、二人の目の前に現れたものは……。
「ええっ?」
唖然とするXAの瞳に、超合金の鎧を全身に纏った暗黒竜の姿が映った。今まで飛空艇だと思っていたモノは、アーマード・ダルムンハイトだったのだ。
「驚いたろう、アリニシャル!」
ダンの声が周囲に轟いた。慌ててアムが静かにするようにジェスチャーを送る。暗黒竜の姿は周囲の村々の住民には刺激的過ぎるからだ。しぶしぶダンは元の飛空艇の姿に戻った。彼はもう少し羽を伸ばしたかったのだ、言葉通りの意味で。
「……説明してくれないか、アム」
ようやく気を取り直したXAが少女に説明を求めた。
「ダン、外に出たがっていたから。でもそのままの姿じゃ、いけないでしょ」
「それは……そうだが」
確かにそれはそうだと思う。うん、それはそうなんだけど……。
「だから、彼を飛空艇に擬態させることにしたの。ジェットブーストを使わなくても、ダンは飛空艇よりも早く飛べるから、実用的にも優秀なのよ」
彼女の説明にXAは聞き返さずにはいられなかった。
「すると俺はこれからダンに乗るのか?」
「……あむ、私たち、よ。ダンはA&Aソリューションズ専用機になってくれたの」
「A&Aソリューションズって」
聞きなれない言葉を聞いて、思わずXAが問い返す。
「アム&アリン・ソリューションズの略。私の頭脳とアリンの力があれば、きっとどんな問題でも解決できるもの」
――アムの頭脳と俺の力だって??
「……また、俺を脳筋みたいに言って」
不満そうなXAに、アムがクスクス笑いながら語り続けた。
「今日はA&Aソリューションズの初仕事……皆でケントルムシティに行こうね」
アムの楽しそうな顔を見てしまってはダメとは言えない。XAに選択の余地はなかった。
――そう言えば、アニキも巨大ロボットに興味を持っていたな。今のアム、本当にアニキと発想がよく似ている。アムが将来、本当に科学オタクのマッド・サイエンティストにならないと良いのだが……。
アムの将来を憂うXAの心も知らずに、少女は残念そうに付け加えた。
「もっと時間があれば、スティンガーミサイルと空対空ミサイルをシュバルツ・ファイターに実装できたのにな」
「ミサイルは止めてくれ。だいたい世界連邦政府の特別司法官と面会に行くのに、何で武装する必要があるんだい?」
「今のアリンは攻撃力不足だから何か保険が必要かなって。だってアリンの行くところ、必ずトラブルがあるもの」
「……また人をトラブルメ―カーみたいに言って」
……とは言ったものの、確かにXAの仕事には常に危険がつきものだった。アムが不測の事態に備えたくなる気持ちも判らないでもない。ただ、誰より大切なアムが兄アルフィナルのような変人科学者になったらと考えると、XAとしては今の状況を素直に喜べなかったのだ。
「……判った、今回はアムの意見に従って皆でダンに乗っていこう。その代わりにアムはきちんと正装すること」
XAは今、シュバルツ・ファイターこそが一番早い移動手段なのだと自分に言い聞かせていた。そしてアムが白衣から彼女に相応しい服に着替えることを条件に、暗黒竜の背に搭乗することを承諾したのである。
XAはケントルムシティの郊外にシュバルツ・ファイターを着陸させた。さすがに世界連邦政府本部がある一千万都市――ケントルムシティのエアポートにシュバルツ・ファイターを着陸させるほど無謀ではなかったのだ。万一、ダンが暗黒竜ダルムンハイトの姿に戻ったなら、空港はそれだけで想像を絶するパニックになるからだ。法に縛られないXAでも、必要もない危険は冒せなかった。
「それにしても本当に早かったな」
XAとお揃いのバトルスーツを着用してご満悦のアムが、小さな胸を張って答える。
「ジェットブースト使えば音速を超えられるもの。ダンがマッハ波の衝撃にも耐えられるように、超合金製の特殊アーマーを付けたからできたのよ」
すると、フィンもシュバルツ・ファイターに乗った感想を述べた。
「うん、乗り心地は今一だけど、早いことは早いね」
「ふん、ならばお前だけ一人で飛んでくればよかろうに」
含みのあるフィンの言葉に、ダンが即座に言い返した。彼らの間に言い争いが始まる前に、XAは今後の予定について語り始めた。
「では、ここからはサイドカーで行く。アムはダンと留守番でいいね?」
ありがたいことにアムも暗黒竜を一匹で放置することを選ばなかった。ただその理由は街の人々への配慮ではなく、どうやらダンへの思いやりらしい。
「……あむ、ダンの装備を整備して待ってるから、早く帰ってきてね」
にこやかに答えるアム。笑顔の少女を残し、XAは超高層ビルが林立するケントルムシティ中心部に向けて、愛車を走らせた。
世界連邦政府の重要機関――安全保障委員会は本部ビル内に事務所があった。そこでXAを待っていたのは新任の特別司法官だった。ヴァニアス・ダングマン――白い髪、黒き瞳が印象的な逞しい男だ。歳は40を少し超えた頃だろうか。身体は鍛えられているが、穏やかな表情をした紳士である。落ち着いた雰囲気を身に纏う司法官に好印象を持ったXAは、彼と固く握手を交わした。
「初めまして、XA。私がヴァニアス・ダングマン、君の新しい担当者だ」
自分の良心のみに従って自由に動く権利を得た『クロス』には、担当する特別司法官が裏方として協力していた。特別司法官――それは警察官と検察官と裁判官を兼任した権限を持ち、法に違反した者を拘束して暫定的に裁くことができる上級官僚だ。もちろん正式な裁判で裁きを覆すことは可能だが、決定が覆ることはほとんどない。また緊急事態においては、地域行政に代わって現場の指揮をとる権限も持っていた。
「これからはよろしく、ダングマン司法官」
「ヴァニアスでいい。いや、君を見て安心した。失踪した前任者が君をロリコンの変質者みたいに言っていたので、私はどんな変態が来るかと実はビクビクしていたんだ」
思わず絶句するXA。
――ニナは俺について何を言ったのだろう? ヴァニアスの口調では、俺がアムのパンツを頭に被って現れるとでも思っていたようにも聞こえる。いやいや、そもそも俺はロリコンじゃないんだ。
複雑な表情をするXAに特別司法官は語り続けた。
「君には迷惑をかけて済まない。前任者が行方不明なのだ。未だに生死不明と言ってもいい」
「いや……彼女のことですから、きっと元気にしていますよ」
実を言えば、XAは前任者――ニナ・デリンジャーが失踪した理由を誰よりも詳しく知っていた。そして、混沌(カオス)の紋章使いだった彼女が、二度と彼の前に現れることはないということも。しかし、長く特別司法官として実績を積んできた彼女の名誉のために、XAは永遠にその真実を語らないと心に決めている。
「さて、要件に移ろう」
ヴァニアスはきびきびとした動作でモニターに世界地図を映した。地図上で数多の赤い光が点灯している。その場所を見てピンときたXAが小声でつぶやいた。
「……古代遺跡の場所か」
XAの言葉にヴァニアスが重々しく頷いた。先史時代に建造された謎の多い遺跡――判っていることは、そこに奉られているモノは古代神や異世界の魔王であるということだけだった。伝承を信じるならば、いずれの神が復活したとしても世界の存続が危うくなるほどだ。そう、古代神の凄まじい力は、彼らと戦った者にしか想像がつかないだろう。
「観光名所になっているものから、秘境や奥地にあるものまで……いろいろな形で古代遺跡はこの世界に残っている」
「そうすると今回の依頼は古代遺跡の調査ですか? その依頼ならば、
XAの提案にヴァニアスが言い澱んだ。世界を救った五人組――
「……それなんだが」
言い澱んでいたヴァニアスは、やがて意を決して言葉を繋いだ。
「……君も
創生使――それは創生神が自らの属性を世界に広めるために星の命から創った
「もちろん知っています」
ヴァニアスは重々しく頷いた。そしてXAの顔を見つめながら、ゆっくりと語り続ける。
「……彼ら創生使が、いくつかの古代遺跡に出没しているとの報告があった」
ヴァニアスの言葉にXAは眉を上げた。ヴァニアスの次の操作で、遺跡の位置を示す点灯は四ヵ所に絞られていた。
「もしもの話だが、彼らが古代神の復活を狙っているならば連邦政府は彼らを『ソーシャル・イシュー』クラスSに指定しなくてはならない」
『ソーシャル・イシュー』とは、極めて反社会的であるため排除対象となった問題であり、危険度からS、A、B、Cの4クラスに分類されている。問題解決すれば世界政府からクラスに応じた多額の報奨金も出る。ちなみに『クラスB』とは、地域・地方行政組織では対応が困難なレベルの課題を意味する。『クラスA』では、国家単独では対応が困難なレベルの重要課題である。数少ない『クラスS』になると、世界連邦政府ですら問題解決に手を焼く程の最重要課題を意味していた。
「XIが信用できないと言うならば、俺はこの話を断らせてもらいます」
毅然とした表情でXAが特別司法官に宣言する。政府の高官であろうと、自分の良心にしか縛られない『クロス』の彼を止めることはできなかった。
「それは誤解だ。私はXIを信じている。……しかし、本当に創生使たちが不穏なことを企んでいるなら、彼は同族と戦うことになるかもしれない。君はそれでもいいのかね?」
ヴァニアスにXAに依頼をするのはXIへの配慮だと諭されて、彼は司法官に素直に詫びた。この男には経験を積み重ねた厚みが感じられる。
「ヴァニアス、貴方の配慮にも気付かずに申し訳ありませんでした。判りました、俺が本件を引き受けましょう」
「判ってくれればいい。それで……どこから手を付ける?」
「まず一番近い東の遺跡に向かいます」
特別司法官に最初の行く先を告げると、XAはオフィスを後にした。廊下に出ると、XAは独り言のようにつぶやいた。
「彼をどう思う、フィン?」
それまでXAの右肩の上に留まり、無言で通していたフィンが彼に答えた。
「アリンを変態と思っていたことは別にして、とても優秀そうだね。それに……」
少し考えていたかのように、フィンは少し間をおいてから語り続けた。
「アリンが彼に好意を持ったことは判ったよ。……彼に、理想の父親を見ていたのかな」
「まさか、それはない」
XAは一言の下にフィンの言葉を否定した。しかし全く両親の記憶がない彼が、頼りにできそうな年配者――ヴァニアス・ダングマンに理想の父親のイメージを重ねたとしても、不自然ではなかったのだろう。
目立たないその小部屋は、誰も使っていないと思われていた。部屋の中央に大きな正方形のテーブルが一台、そして東西南北を向いた各辺に一脚ずつ粗末な椅子が用意されている。あとは部屋の奥にカーテンで仕切られた小さな演壇があるだけだった。
今、この簡素な部屋で椅子に座っているのは二人だけ……北と南の席にローブを目深に被った性別も判らない人物が座っていた。やがてカーテンが微かに揺れ、奥のドアから演壇に誰かが上ったことが椅子に佇む二人にも判った。
「……それでは、今から
登壇した男は、落ち着いた口調で会議開催を宣言した。
「
議長と呼ばれた男は、何も問題なしという様子で北の席に座る人物に即答した。
「二人には私から緊急の特命を与えた。したがって本日は出席者三名を予定している」
南の席に座した人物が、議長の回答を聞いて独り言のようにつぶやいた。
「二人に特命? あのレイとテネブレスに協力なんてできるんですかね?」
議長(は咳払いをして注意を促した。
「気を付けたまえ、
南の席と呼ばれた人物は、失言を注意されてその口を閉じた。創生委員会で決めたルールは誰であろうと破ってはならないのだ。
「納得してくれたようだね、
議長に水を向けられて、南の席が立ち上がった。北の席は配布された資料を手にして、無言でその中身を確認する。
「本日の議題は各員が担当するタスクの進捗状況報告と、我々のスケジュールを遅延させうる要因に関してだ」
タスクの進捗は概して順調だった。平均して2パーセント程度、前倒しで進んでいる。現時点では特に問題はなかった。問題はこれからなのだ。
「資料に記載があるように、創生委員会にとって邪魔となりうる不確定要素が見られる」
南の席の言葉に北の席が懐疑的に質問した。
「不確定要素、ですか? 南の席はXAを少し軽く見ているのではないでしょうか?」
南の席は考えもせずに即答した。
「たかが人間だぞ。戦うことになっても我々には恐るに足りない」
北の席がその場に立ち上がり、南の席の意見に異議を挟む。
「でも我々の目的達成には、戦うだけが方法ではないと思います」
その言葉に南の席も席から立ち上がる。
「論外だな、創生使が人間に協力を求めるなど。それも重度のロリコンと噂されるヤツなど、全くの問題外だ」
南の席(サウスシート)が不快を隠さずに答えた。どうやらXAの性癖に関する風聞は、事実を確認することもなく世界中に流布されているらしい。平行線のまま続く二人の意見の対立に、議長は仲裁をするように語りかけた。
「落ち着きたまえ、二人共。私の目から見れば、北の席は人を信じすぎている。南の席は人を舐めすぎている」
議長の言葉を聞いた二人は気を静めると、それぞれの椅子に座り直した。
「……これは事後報告になるが、XAの件には私が独断で手を打たせてもらった」
意外な発言に、北の席と南の席が議長に尋ね返した。
「手を打ったって?」
「事後報告……なのですか?」
議長は再び立ち上がったメンバー二人をゆっくりと見回すと、再び口を開いた。
「まもなく飛空艇の墜落事故が起きる。万人に尊敬された世界の英雄XAは、ロリコンの噂を否定することもなく、海の藻屑となって消えるだろう」
まるで『確定の神』が未来の『予告』をするかのように、議長はそう語り、低い静かな声で笑い始めた。
超音速で飛行中のシュバルツ・ファイターのコックピットにて、最初に異常を察知したのはフィンだった。その鋭いセンシング能力は遥か成層圏にある巨大なエナジーの動きを感知したのである。
「アリン、大変だよ!」
フィンが、今起こりつつある異常事態について声をあげた。シュバルツ・ファイターの遥か上空の成層圏……そこでは輝く光球と暗黒の渦が離れて対峙していたのだ。それらは光と闇のエナジーの塊であり、徐々に距離を縮めているようだった。
「成層圏に『
『対消滅)』――それは光魔法でも闇魔法でも到達できない威力を放出する、極限の大魔法だった。消滅魔法として直接攻撃するだけではなく、それを成層圏で発動することにより電離層を激震させ、凄まじい電磁嵐を広範囲に引き起こすことができるのだ。さすがにXAも驚きを隠せなかった。
「バカな。あの『対消滅』を放つには、大魔導士以上の魔力を持つ光と闇の魔法使いが必要なはずだ」
XAが知る限り、それ程の力を持つ魔法能力者は世界でも両手で数えられるほどしかいないはずだった。――それなのに、なぜ今、ここで?
「もうすぐ、光と闇が激突するよ!」
フィンの発した警告にアムが即座に反応した。
「フィン、自分の電子回路をすぐ切って!」
刹那にフィンが停止モードへと移行した。これで何とか電磁嵐による被害を最低限に抑えられるはずだった。次の瞬間、大空が太陽よりも激しく光った。
――カッ!!――
光でも闇でもない強い振動を感じた。遥か上空の成層圏で光の球と暗黒の渦が激突して、両者が対消滅したのだ。対消滅した光と闇のエナジーが周囲の電離層を震撼させ、直下に向けて強烈な電磁嵐が津波のように押し寄せる。そして瞬時に、全ての電子機器を例外なくダウンさせていった。
「……まずい」
突然、前ぶれもなく生じた緊急事態に、アムがXAに振り返って語りかけた。
「ね、アリンの行くところ、やっぱり何かが起きるでしょ?」
確かにアムの言った通りになったが、今はそれを認めるどころではなかった。
「そんなことを言っている時じゃない。今の状況は?」
「うん、完全なシステムダウン……かな」
アムは落ち着いた声で正確に現状を伝えた。厳然たる事実である以上、それを否定しても始まらない。これは間違いなく『対消滅』によるハイテクキラーの攻撃だった。そしてシュバルツ・ファイターの電子回路も例外ではなかった。数秒のうちにジェットブーストが完全にロックアウトした。直後、超音速で飛んでいたシュバルツ・ファイターは、まるで見えない壁に激突したかのように失速した。
「アム! 衝撃に備えろ!」
そう叫びながら、XAは隣のアムをクッションで覆ってそのまま抱きしめた。たとえこのまま大地に激突したとしても、何とかこの少女の命だけは守りたかった。
「アリン?」
シュバルツ・ファイターはそのまま錐もみ状態になって地上に向かって落下していく。完全にアウト・オブ・コントロール……まさに絶体絶命の危機に陥っていた。