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好きという才能

さぁ…ここまでこの自分語り本を読んでいる読者様なら思い出すだろう…

いつぞや私が【すべて才能に置き換えられる】と語ったことを…


そしたら今回【好きというのは才能なのか?】という議題をいただき、面白そうなので書きながら考えてみたいと思います。


まず、【好き】という感情がわからないと才能かどうかわかりませんね。

でも、何かを【好きになる】という行為自体は皆さんきっと経験したことあると思います。


え?経験したことないって?

自覚がないだけですよきっと。


自覚してない人が多いのでね!【好き】という感情って最も身近にあるものだと私は思っています。

ぶっちゃけ何かに挑戦したいと思うなら、そのきっかけには必ずと言っていいほど【好き】という感情が絡んでいます。


実は私も【好き】なアニメでやってることを経験してみたくなり、【好き】なキャラが食べているものに興味を持ち、【好き】になった人の趣味をまねる…


何をやるにしても【好き】ではないと楽しくないですし…そういった身近なものに言える好きという感情をたとえ話にしてみると、やはり【好き=適正を直感的に判断する感覚】だと私はもいます。


適性を直感的に理解する…つまり、自分の才能の有無を直感的に理解できる感覚というイメージです。

嫌いなものに挑戦し合っているな、楽しいなと感じたことできらいが好きになるかもしれません。


ですが嫌いなものをいくらやったところでそれは苦痛にしかなりませんし、上達も遅いと思います。


それらを踏まえて好きという直感で理解できる部分はありがたくもあり、めんどくさくもあるといえるでしょう。


まぁやはり、モノを好きになるのも才能…嫌うのも才能といえてしまいます。

好きの反対は無関心といわれるように、すべての物事に対して無関心の人もいますからね。


そういう人にとってはうらやましい才能なのかもしれません。


私は結構いろいろなもの好きになるタイプなので、多趣味ではあったりします。

と、最後にどうでもいい話をしたところで今回はここまで!


では!明日の自分もよろしくお願いします!

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