スキュラ族のシアンからエステルを取り返したスクイド。
ややあって、なんとも言えない空気のまま立ち尽くしていた二人。
コホンと先に咳払いをして間を破ったエステルが乱れた服を直しながら、
「コレ、とりあえず壊してもらってもいい?」
じゃらりと手に嵌められた怪しげな紋様の彫られた枷をエステルが突き出す。
この状態でよく見事に受け身を取れたものだと感心しながらスクイドは応えた。
「【黒水】を操ればこの程度の封印すぐに解除できる。それ以前にエステルの魔力を抑えるにこの魔道具では完全に容量不足だ」
ポカンとアホの子になっている少女は、ハッとして魔力を練り始め、
「あれ?」
エステルの魔力を制御しきれなかった手枷がボロボロと崩れ落ちた。
「エステルの魔力を封じられたとしてもこの魔道具なら一瞬が限界だろう」
真顔で受け答えするスクイドに気まずそうな表情で視線を泳がせるエステル。
「……」
「……」
再び流れる沈黙。
エステルはぐっと一瞬俯き、次には王女然とした表情を取り繕った。
「此度の働き、誠に見事でした。スクイドにはまた命を救われてしまいましたね。心からの御礼を」
ふわりとカーテシーを決めて微笑むエセ王女にスクイドは無言、無表情で応じ、
「自分は契約を遵守したにすぎない。だから、エステルにも契約通り〈王〉になってもらわなければ困る」
至って真面目に返答する。
エステルはぎこちない笑みをため息と共に一旦取り外し、スッと感情が抜け落ちたような表情でスクイドを見つめ直した。
「私の母は、【固有能力】を所持していた。ここまでは話しましたね?」
「……確かに聞いた」
エステルはただじっとスクイドを見据えたまま何の感慨も窺わせることなく語り出した。
「騎士団長として剣の道に生きた母でしたがその容姿は美しく、父……国王は母を五番目の妻として迎え、母から剣に生きる道を半ば強制的に奪いました。
それでも私を産んだ後『剣術指南役』として騎士団に席を置いていた母は、それなりに充実していたように思います」
「……」
「あ、スクイド様——っ?」
「しーっ、少しは空気を読みなよ色ボケエルフ」
「うむ、吾輩もアイリスに同意だ」
丁度スクイド達の元に追いついてきたルナの声をアイリスが遮り、リュウゼンがチラリと視線を向けたエステルに目線で話の続きを促す。
「ですが、ある日……正直理由はわかりません。ただ事実として、隠していたはずの【固有能力】保持者という母の情報が国王や貴族の耳に入り、母は不当な扱いや嫌がらせを受け始め……丁度その頃に起きた〈帝国〉の領土侵略に対し、王は何を血迷ったのか母を筆頭に数十名の【固有能力】保持者だけで構成した、部隊とは名ばかりの民間人も含む即席の集団のみを戦地に投入しました」
エステルが淡々と語る言葉。その意味を三人が理解するごとに複雑な表情で反応する。
「……そんな、それではまるで」
「死ねって言っているようなものだよね。え? フュングラムの国王ってクソなの?」
「言葉は悪いが、生贄のように吾輩は見てとった」
「……」
スクイドはただ一人、真正面からエステルと向き合い話に耳を傾ける。
「その血迷った判断がなぜか王国を救った。
王国領土へ侵略を仕掛けていた〈帝国〉は嘘のように踵を返し、ただ同時に母も、部隊の人間も誰一人として戻ってくることはなかった。————リュウゼンの言う通り、母とその部隊は生贄だった」
「「「……」」」
「……ふむ、【固有能力】が目的だったと? 王国は帝国と取引を?」
三人が息を呑み沈黙する中スクイドが問いかける。エステルは、
「わからない。でもあきらかに対応も反応も普通じゃない」
応え、ぐっと唇を噛む。
一筋の赤い血が口元を伝って溢れた。
「母が戻ったのはそれから数年後……私が十歳の誕生日を迎える日。
痩せこけた母に以前の美しかった容姿は見る影もなく、ボロ布一枚だけ身に巻いた姿で王城の前に辿り着いた母の細い首筋には〈奴隷の首輪〉が嵌められていてっ———」
ここで堰を切ったように感情の乏しい子供のような表情からボロボロと大粒の涙がとめどなくエステルの頬を伝う。
「母はその場で息絶えた。だけど、国は、貴族共は、母を〈凱旋した英雄〉ではなく、命惜しさに帝国へと身を売った〈売国奴〉としてっ! 乱雑にっ! 無慈悲に……扱って、打ち捨てた」
涙で歪んだ表情の奥から覗くのは憤怒に彩られたスクイドが未だかつて見たこともない感情を湛えたエステルの姿。
「……言葉も、ありませんわね」
「言えないよ。何も言っちゃいけない。ボクらではエステル姫の感情を到底推し量ることなんて出来やしない」
「うむ。ただ吾輩達は共に背負うのだ。主人の怒りも業も、それが仕えるという事に他ならない」
「……ふむ」
ゴシゴシと袖で目元を拭ったエステルがその場に集ったスクイド、ルナ、アイリス、リュウゼンを見回し、決意を込めた表情で叫んだ。
「私は、国王、貴族を、絶対に許さないっ! おかしな思想に取り込まれた王国自体に反吐がでる。
皆に本当の事を言ってなかった、事、本当にごめんなさい。
私が『王戦』に正面から参加した理由、それは何の比喩もないただ復讐のため。正直に言うと『王戦』なんてどうでもいいの、ただ私が戦力を集め表立って行動するのに丁度よかったから……」
エステルはスクイドの腰に携えた剣を徐に抜き、三人の視線を集めるように天へと向けた。
「私の目的は、フュングラム王国を、壊す!!そのために、戦力を集め『王戦』に乗じてクーデターを引き起こす事っ!!」
振り下ろした剣先が空を斬り深々と地面に突き刺さる。
本心を洗いざらいぶち撒けたエステル。
三人はしかし、特に引いた様子もなく静かにエステルを見つめている。
そこで「お願いします、こんな私に皆の力を——」言いかけたエステルの前にスクイドは進み出た。
「エステルは王になる。でなければ自分の契約が不履行になってしまう。それは絶対に許容できない、またそれ以外の結果に妥協するつもりもない」
「スクイド……」
どこか信頼できる味方を得たようなエステルの表情は次の瞬間、凍りついたように固まる。
無表情なスクイドが笑みを、深くその顔に刻んだ。
それはまるで悪魔と言い表すしかない表情で、
「エステルは王になる。
それ以外の選択肢は契約に含まれない。
何年、何十年、何百年かかっても【黒水】を馴染ませたその体は老いる事なく、また簡単には死ねない。
そして自分から逃げることも出来ない。
エステルの心が砕け、魂が壊れようとも、その体を操り自分が〈王〉へと至らせる。
死も、逃走も、自失もエステルには許されない。
エステルには〈王〉になる以外の自由は与えられない」
改めて契約した存在の危険さに気がついたかのように息を呑むエステル。
だが、エステルはスクイドに負けないよう王女らしからぬ笑みを持って返す。
「上等じゃない。野望のためなら例えあなたが悪鬼羅刹の類であっても契約した事に後悔はない!
死なない? ふふ、朗報ね! ここから綴りましょう。私たちの〈戦記〉を」
「……ふむ、ならば〈ゲソ戦記〉」
「却下。百歩譲って〈美少女姫と烏賊戦記〉ね」
「……ふむ。〈烏賊戦記〉、悪くない」
王女エステルはのちに数万を超える多種多様な軍勢を組織し、巨大な触手を操る化け物を従え、フュングラム王国を滅亡へと追い込んだり。
史上最悪の混沌をもたらした『女王』として世界中に悪名を轟かせたりするかもしれない。
だが、それはまだ先のあり得るかもしれない話。
いまはただ、この恐ろしくも酷く奇怪な『勇者』の存在をただ心強く思うエステルだった。
第一部:超古代混沌烏賊 終