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第21話:烏賊と美人教師の個別授業

 ここは教員専用寮の女性教員フロア。


〈学園〉に就職している教員は結婚などして所帯を持たない限り寮暮らしが基本となる。


 授業が終わった後も遅くまで模擬試験の採点や教材の作成、生徒の情報管理などを行なっている教員たちからすると〈学園〉の敷地内、歩いて数分の距離に部屋があると言うのは効率的で、しかし、その分精神的には休まらない。


 昨今教員のオーバーワークが学園内で問題視される中、そんな環境でも好んで身を寄せる者もいた。


「ぁあぁ〜バレたぁああっ、バレちゃったぁああっ! せっかくこんな高待遇の職場に就職できたのにぃ〜、なんなのよあの化け物はぁああっ!! もぅ、思い出しただけで……」


 エステルやルナの所属するクラスの担当教員であるジャネット。


 彼女はスクイドと出会ったことで〈魔族〉の〈サキュバス〉と言われる種族であることが露見したと考えているが、スクイドは当然口外などしていないため誰にも秘密はバレていない。


「って、何を思い出しているのよ!? はぁ……どうしよっかなぁ〜、サキュバスのあたしに今のご時世、安定した所得と1LDKの綺麗な寮完備なんて職場、他に見つからないわよ〜」


 〈世界評議会〉が締結後、〈評議会〉に所属した国家には国土を超えた経済的支援や労働力、物資、農作物などの輸入に出荷、〈評議会〉に加盟するだけで戦争を行うことなく国の垣根を超えて公平に恩恵を受けることが出来るとあって世界全体の大凡八割近い国々や種族が加盟している。


 その中には〈魔族の国〉もあるのだが、未だ評議会に加盟せずテロ活動を続けている〈異形種魔族〉の存在と、何百年経とうとも過去『魔王』を生み出し世界に破壊をもたらした種族というレッテルはそう簡単に払拭できるものではない。


 特にジャネットのような〈サキュバス〉は偏見を持たれていることも多く、公的な教育の場に採用されることはまずないのが現実である。


「はぁ〜〜〜、他の先生たちにバレたらクビだよなぁ〜。

 あいつが言いふらすのも時間の問題だよね……クビかぁ。また『色町』に戻る? 

 いや、もう無理絶対無理!! 若さ溢れるフレッシュな精気をここで覚えちゃったんだよ? 疲れたオヤジどもの精気なんてもう無理」


〈サキュバス〉と聞いて『精気』なら誰彼構わず喜んで尻尾を振る、という偏見と誤解は未だに蔓延している。


 ジャネットからすれば「食べたくもないゲロマズな食事を強制的に笑顔で食べ続ける仕事したい? 拷問だよね?」というのが偏見に対する偽りない答えである。


 それはそれとしてジャネットの言う若さ溢れる学生のパッションを頂く行為が〈学園〉でまかり通るかと言われれば当然、クビどころか即牢獄行き案件だ。


 しかしそこはパッションを持て余した健全な男子。


『夜な夜な男子寮に現れる美人サキュバス』という〈学園七不思議〉はむしろ男子寮に住まう生徒にとって密かに待ち焦がれるイベントであり、噂以上の広がりは今の所みせていない。


「はぁあ〜、どちらにせよこのまま引きこもる訳にもいかないし。明日はいつも通り」


 その時、コンコンッと窓をノックする音が響き、ジャネットは肩を跳ねさせた。


「コンコンって……ここ五階なんだけど? え? なに、誰よ!?」


 得体の知れない来訪者をカーテンの閉じた窓越しに感じながら警戒を露わに、しかし、思い切ってカーテンを開く。


「は?」


 そこには一人の少年が空中に浮遊し、なぜか礼儀正しく会釈していた。


 驚きに硬直するジャネット。


 だが、少年の顔を確認するなり直ぐにその表情を険しいものへと変える。


「あ、あんたは昼間の化け物編入生っ!? 一体何しにっ、て、そもそもどう言う状況!? なんで浮いてんのっ!?」


 その後も執拗にコンコンと真顔で窓をノックする異様な圧と恐怖に負けて大人しく窓から編入生の少年を室内へと迎え入れた。


「……夜分遅くに失礼する」


「あ、ええ。そんなに遅い時間でもないけど……じゃなくて、一体何の用? というかその手に持っている歪な回転する物体はナニッ!?」


 窓から来訪された割に丁寧な挨拶を返され思わず畏まるジャネットだが、ひとまず少年の手の中で不気味に回転を続けている『触手のようなナニカ』の正体を理解せずには会話を進められる自信がなかった。


「ふむ、これは『ゲソコプター』という。素体の記憶を元に最新の魔導技術と『ゲソ』によって作り出した一定時間滞空することができるオリジナル魔道具だ。

 ただ、難点としては頭に装着できないことと『ゲソ』に付与した滞空魔法を発動するための魔力コストが途方も無い点だ。先端が回転している事に意味はないが、ここは譲れないポイントでもある」


「いきなりめっちゃ喋るわね……」


 なぜ『ゲソ』なのか、などちょっと怖くてジャネットは聞けなかった。


「そ、それで? あたしに何の用? サキュバスだって事がバレた挙句あんたに良いように弄ばれたあたしを笑いにきた? ふん、あたしをあの程度……で屈服させたと思ったら大間違い。弱みでも握っているつもりなら、お生憎さま。周りにバラしたければ好きになさい? 

 ……こんな場所、あたしにとってはただの狩場でしかないんだから」


 途中昼間の映像が鮮明にフラッシュバックして言い淀んだジャネット。


 顔中が沸騰するような感覚に襲われながらも気丈に振る舞ってみせる。


(コイツに隙なんか絶対みせないわよっ! ただ、もう少し……この場所で、学びたかったな)


 サキュバスはその性質から淫行のイメージが先行しがちだが、魔法適正が非常に高く、魔力の操作に限っては他の追従を許さない。


 何よりジャネットは魔法という学問が大好きだった。


「……ふむ。昼間の出来事に関して自分は『敵意』を向けられた事に対する報復は済んでいる。ジャネット先生が人種の魔族である事を隠したいのなら自分は口外しない事を約束する」


 ジャネットは予想外の言葉に一瞬間を置いて、


「べ、べつに言いふらしたってあたしは平気だし……要求は? どうせ裏があるんでしょ?」


 少年は訝しむジャネットを掴みどころのない表情でジッと見据えながら言った。


「今から〈学武祭〉までの期間、自分に人種の学問を教育してもらえないだろうか? 授業とは別の時間で、出来れば毎日が望ましい」


 またも予想外の回答にジャネットはポカンと口を開けて応じる。


「は? 学問って、勉強を教えて欲しいってこと?」


 ジャネットは無言で頷く少年を前に逡巡する。


 教師という職業に対して環境と福利厚生以外にもそれなりにやり甲斐を感じていた。


 教え導く事に責任と誇りを抱いていたジャネットにとって、編入したてとはいえ生徒である少年の要望は無碍に出来るものではなかった。


「たしか、あんたはエステル王女の……だとしたら、まあ、理由はわからなくもないけど」


 あの王女は非常に難しい立場に立たされているとジャネットも理解していた。


 一度はどうにか教師として手助け出来ないものかとジャネットも考えた事がある。


「協力してあげたいけど、教師が一人の生徒に肩入れしすぎるのも……」


 こと目の前の少年に限っては今更だと感じなくもないが、ジャネットの教師としての矜持が判断を思い悩ませ、


「報酬はこれで如何だろうか」


「いっ!?」


 突如少年は虚空より巨大な蠢く触手のような〈ナニカ〉を取り出し、ジャネットは恐怖と本能的な嫌悪感に叫び声を上げそうになるのを寸前で堪えた。


「これは、自分——いや、〈エンシェント・カオス・クラーケン〉という魔獣の『ゲソ』だ」


「え? ええぇええ!? それって、大昔【勇者】に討伐された厄災級の伝説的な魔獣? え? 流石に嘘でしょ? で、でも、内包する魔力量の凄まじさ……もし本物なら魔法触媒として有用なだけでなくあらゆる武具の素材としても——。

 まって、これ売ったらいくらになるの? 数百、いえ数千……もしかしたら億の価値も」


 未だヌメリの残る新鮮な『ゲソ』にジャネットは目を輝かせ、


「ゲソは、まだまだある。これを毎日献上しようと思うのだが」


「その話のったぁあ!!」


 ジャネットは考えることを放棄して懐柔された。


「ふむ……やはり『ゲソ』はあらゆる状況において万能だ」


 少年は静かに、ゲソを手に狂喜乱舞するジャネットを見下ろしていた。


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