エステルは有頂天だった。
はっきり言って業腹ではあるが、ルナという存在が破格の逸材であることは確かで、影響力も武力も兼ね備えた彼女が自陣営に加わる効果は計り知れない。
(逆に、ルナほど力を持った生徒を誘拐できるなんて……異形魔族はともかくあのチンピラ、ただものじゃない?)
エステルの脳裏によぎるのは異形魔族と取引をしていた鼻にゴツいピアスを付けたドレッドヘアーのチンピラ。スクイドが取り逃した事からも相当な手練であることは間違いない。
席に戻る間そんなことを思案しつつ少し離れたルナの席に視線を送り自分の席へと辿り着いた瞬間。
「ね、ねぇ! エステル。あの編入生ってエステルの護衛さん? なんだよね?」
「おまえみたいな剣バカがどうやってルナ嬢を口説いたんだよっ! 俺にも口説き方を教えろ」
「エステルは編入生、推してないよね? 護衛だもんね? 私の一人推しだよね」
「うち、編入生くん推すことにしたからヨロ」
「はぁ?」
「あぁ?」
エステルの周りにワラワラと寄り集まってくるクラスメイト。
苦笑いを讃えながらもエステルは気さくな態度で持って彼らに対応していく。
この学園においてエステルを取り巻く対応は主に二通り。
仮にも『王女』なエステルではあるが、王族とは思えない物腰と気さくさから親しみを覚えた『平民や比較的身分の低い層』と、
「……無能王女が近衛ですって? 他の王子、王女様はしっているのかしら?」
「剣だけが取り柄の野蛮な王女ですもの、『王戦』を戦争やなにかと勘違いしているのではなくて?」
「……っち、大人しく俺たちに尻尾を振っておけば側室の末席にくらい加えてやったのにな」
「顔はいいんだよなぁ〜、スタイルもわるくねぇし。その『王戦』ってやつに他勢力として参加して負かせたら俺の嫁にできねぇかな〜」
自国の貴族階級、他国の王族や大商人の息子。
所謂『高貴な身分』に身を置くものにとってエステルは嘲笑、侮蔑の対象と見られることが常。
一部過激な発言に苛立ちを覚えながらも華麗にスルーを決めるエステル。
化粧の厚い令嬢どもはヒソヒソと陰口を言い合い。大貴族のバカ息子どもは、仮にも王族のエステルを娼婦でも相手にしているかのような口ぶりだ。
(正面からは私に手も脚も出ない輩の低俗な揶揄なんて、聞く耳をもちません。
ふふ、形はどうあれ〈世界評議会〉の中枢と言っても過言ではない〈学園〉、その最高責任者である学園長の一人娘が私の陣営に降った意味は大きい)
今考えれば、ルナという腹黒七光のエルフ少女は性格こそ救い難いほど捻くれてはいるが、エステルに対して唯一面と向かって啖呵を切ることのできる稀有な人物の一人だった。
(たしか、前にもっと陰険な陰口とか嫌がらせがあっていた時、あの子が正々堂々喧嘩を売ってくれたから、周りが一歩引いて嫌がらせも落ち着いたのよね……)
そんなことを考えながらフッとルナの席へ視線を向ける。
ルナも近くの生徒から質問攻めにあっていたが、
「わたくしのスクイド様です。メスども、スクイド様に発情したらコロス」
と、よくわからない殺意を周囲に撒き散らしていた。
正直エステルからすれば、超古代の伝説的な烏賊の魔獣に恋する乙女の気持ちは、ちょっと理解し難い。
ただ、事実を知らない以上それも仕方のない事なのだろうかと改めて教壇へと視線を向けた瞬間。
「え?」
時間にして三秒くらいだっただろうか。
スクイドとジャネット先生の姿が忽然と消え、再びその姿を現したように見えた。
ほとんどの生徒は雑談に夢中でその現象に気がついていないが、偶然エステルのようにその光景を目撃したであろう生徒が目を擦ったりして驚きの表情を浮かべている事からエステルの見間違いではないと思われた。
そして何より、姿が消える前と今とではジャネット先生の様子が明らかに違っている。
いつもはボサボサの髪に丸いメガネをかけた鈍臭い印象の先生。
だが今のジャネット先生はボサボサというより何故か妖艶さを感じさせる乱れた髪に、普段はメガネで隠れていた黒紫の大きな瞳に涙を滲ませ……どことなく前傾姿勢で生まれての子鹿のようにピクピクと足を痙攣させている気がしなくもない。
その様子をいつもの感情の乏しい瞳でじっと見つめるスクイド。
(……アイツ、先生になにした?)
エステルもバカではない。
どう考えても元凶はスクイドだと理解できる。
出来るのだが、具体的にジャネット先生が『あんな感じ』になる理由には思い至らない。
やがてフラフラの足でスクイドへと向き直ったジャネット先生は一瞬その視線を鋭くし、
「よ、よくも、〈サキュバス〉のあたしに、あんな、あんなっ——忘れられなく、なっちゃうじゃないっ」
ジャネット先生は言いながら勢いよく教室を飛び出して行った。
去り際に「自習っ!!」と捨て台詞を残して。
騒然とする教室。
だが、エステルは去り際のジャネット先生を見て一つだけわかった事がある。
アレは、女の顔だったと。