「触手はなし、あなたはその剣だけで私と戦わなければいけません。良いですね?」
スクイドの手にはフュングラム王国軍に支給されるやや細身の両刃剣が握られている。
エステルがスクイドのために『本館』からこっそりと拝借しておいたものだ。
「ふむ、人種の武器か。興味深い」
まじまじと抜き身の剣を見つめるスクイドへと愛剣を向けエステルは闘気を滾らせる。
「念の為言っておきますが互いに殺傷に至る攻撃はなし。まずは私から軽く攻めてみますので、感覚で受けてみてください——では、剣姫エステル! 推して参りますっ!!」
エステルが口上を述べ、力強く踏み込む。
勢いに土は抉れ、草が舞う。
上段からの斬り下ろし、と見せかけ視線の動きや足捌きに相手を誘導するための技術を織り交ぜつつ現在の姿勢を囮に四手、五手先まで見据えながらフェイント——。
エステルはスクイドに肉薄する数瞬の合間に練り上げた日々の訓練で身につけ染みついたプランを実行しようとして、しかし、逡巡を余儀なくされた。
(確かに、上段で構えてはいるけど。アレはなに? 剣の柄と剣先を両手で持って私の剣を受け止めようとしているあの姿勢は一体)
冗談だろうか、とエステルは思った。
確かにわかりやすく大振りに構えてエステルは向かっていっているが、どう考えても罠。
むしろ、その後の選択肢を絞るためにあえて隙を晒しながらエステルはスクイドの元へ向かっているに過ぎない。
(真上から剣を振り下ろされると考えてあんな滑稽かつわかりやすいガードを? いやいや、仮にも相手は伝説級の魔獣を体に宿した
いいわ! 剣姫の異名が伊達ではないという事を、思い知らせてあげます!)
ふっと意味深な笑みを浮かべたエステルは考えを振り払い、一条の刃となってスクイドの懐へと飛び込む。
上段から振り下ろす勢いはそのまま、トンと地を蹴って軽やかに舞ったエステルは回転するように体を丸めて中空へと舞う。
頭上を軽やかに超えてスクイドの背後へと回り込み、背中を下段から天に昇るかの如く斬りあげた。
「【飛翔回転斬り】——隙の大きな技なのであまり多用はできませんが、初見では防ぐのがやっと、だったのではないですか?」
着地したエステルはスクイドに背を見せたままちょっと格好いい自分を装って問いかけた。
この技は隙も大きく対応されやすい。
エステルの放った初撃は大抵の場合振り向きざまに防がれてしまう。
当然、スクイドも辛うじて防いでいるに違いない。
だが同時にこの技で意表を突かれた相手は体制を崩しやすい。
そこから舞い踊るように連撃へと繋げていくのがこの剣技の極意。
だが今回はスクイドの意表をつけた事と大技を繰り出して実力を見せつけたかったというエステルの自尊心、どちらも満たせたため満足げなエステル。
したり顔を浮かべながらくるりと驚愕に目を剥いているはずのスクイドの方へと振り返る。
「いくらあなたの力が規格外とはいえ、私の剣技も負けてはぁああああ!?」
ドクドクと背中から夥しい血液の川を形成しながら相変わらず滑稽な構えのまま立ち尽くすスクイド。
やがて伝説の勇者は前のめりに倒れ込んだ。
「スクイドっ!? いやなんで!? 実戦経験のある戦士ならあのくらい誰だって——それよりも傷!!
手当しなきゃっ! 止血!? まさか、じ、人工呼吸とか必要ですか!?」
狼狽えるエステルの目の前でスクイドの【固有能力:無限再生】が発動し跡形もなく傷口が塞がった。
その様子にエステルが時を忘れて唖然としていると、
「ふむ。素体の体で戦うというのはどうにも勝手がわからない。そもそも自分は攻撃を防ぐ、という発想自体がなかったな」
むくり、と起き上がったスクイドは無表情な視線をエステルに固定しながら応えた。
「そうでした。スクイドには物理的なダメージは無いに等しいのでしたね。それにしても凄まじい【固有能力】です」
僅かに流れる冷や汗を拭い、エステルは冷静さを取り繕った。
そこで、ふとエステルは率直に今抱える課題と疑問をぶつけてみることにした。
もちろんこんな調子のスクイドからまともな回答が得られるとは考えていないが、何か課題に対してレポート作成の糸口でも見つかればと思い至ったのだ。
「スクイド、【固有能力】とは一体何なのですか? その構造は? 魔法との違いはなんです?」
ド直球。
全く考える気のないエステルの質問にスクイドはジッと瞳を見返し唐突に口を開く。
「……ふむ。結論から言えば【固有能力】とは【固有の魔法】という概念で間違いない」
「へ?」
即答。
間の抜けた返事を返したエステルを畳み掛けるようにスクイドの口から情報が垂れ流されはじめる。
「自分が【固有能力:鑑定】から得た情報によれば、【固有能力】とは先天的に、人種の場合、魂に、魔獣の場合、魔核へと刻まれた術理。その使用過程は今根本的に【魔法】と変わらない。しかし、ここで違ってくるのは魂、魔核の一部として刻まれている術理を用いる事と——」
「ちょ、っと待った!メモ、メモるからちょっとだけ待って!?」
慌てふためくエステル。しかし、スクイドの口撃は淡々と続けられる。
「——魂、魔核の一部として刻まれている術理を用いる事と外的に術理を構築することは大きく異なる。体の内側に構築されている術理はその存在さえ知覚すれば呼吸でも行うように魔力を流すだけで使用できるが、体の外側に術理を構築する場合魔法式を描き現象の効果を定め、明確にイメージすることで魔力を現象そのものに変換、行使している」
無表情の口元から垂れ流される情報量に目眩を覚えるエステル。
だがスクイドの口は止まらない。
「え、ええ、え? 待ってください! 先天的に刻まれた魔法? つまり固有……」
「人種が魔法構築の段階で『詠唱』を行ったりもするがアレはイメージを補完するための要素に過ぎず、理を解しさえすれば必要のない過程といえる。その点を鑑みれば完璧に理解している術理から構成される【魔法】の発動と【固有能力】は同様のもの、と結論づけることができる。しかし、大きな違いとして通常【魔法】に属性という自然界の法則が事象の発動に関係してくるが【固有能力】にはそれが無い。自然界に存在する法則を超えた魔法的事象の発現。その結論は【固有能力】の別名であり真の名前に帰結する」
エステルは情報量の多さに胸焼けを覚えながら、メモの準備を許されなかったため、必死に脳内へとスクイドの言葉を刻み込んでいた。
「も、もうそろそろ、お腹いっぱい。それで、真の名前って、なんです? 世界がひっくり返りそうな情報をこんな感じで聞いてもいいのか疑問ではありますけど……」
「【神域魔法】これが【固有能力】の別名であり【通常魔法】との決定的な違い。つまりこの二つは魔法的事象において次元的な違いを持っている」
エステルはゴクリと息を飲み「神域、魔法……」とスクイドの言葉を咀嚼しきれないまま口の中に転がし、ふと思い立ったように真剣な眼差しを向けた。
「神の領域に至る魔法……それがなぜ、【固有能力】などという言葉で世界に広まったのでしょうか?」
そこには強大なナニカの意思が介入しているのでは。
エステルはそんな壮大な考えを膨らませてスクイドを見つめる。
やがてスクイドはゆっくりとその口を開いた。
「ふむ? 自分には見当もつかない」
「ええっ、ええぇ〜」
肩透かしをくらったエステルは気が抜けたようにヘナヘナとその場に座り込んだ。
「……程度の違いはあれど、そう珍しい『力』でもないと思うのだが」
エステルをジッと感情の読めない瞳で見つめるスクイドがボソボソと何事かを呟いていたが、この世界の重大な神秘に触れたような昂りから一変、一気に感情の方向性を見失ったエステルは「とりあえずレポートはまとめられそうなので良しとしますかね〜」と、一人納得した。