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第9話:烏賊の衝撃

 スクイドが〈学園都市機構バベルディア〉にあるフュングラム王家の屋敷の広大な庭の片隅にひっそりと佇む木造平屋の民家に身を寄せて数日。


 エステルは〈学園〉が『夏季休暇』である現状、特にすることはない為スクイドにまずは人種の生活に慣れろという指示を出し、現在は『夏休みギリギリまで溜め込んだレポート』という試練と向き合うべく自室にこもっている。


「スクイドく〜ん、そっちにある洗濯カゴ、もってきてくれないかなぁ〜」


 この家で衝撃的な出会いを果たし、今では焼き方まで完璧にマスターした『お手製クッキー』を無心でサクサクしていたスクイドの下へ柔和な呼び声が届く。


「了承した」


 スクイドは端的に応え、衣服の入ったカゴを手に声の主、エステル唯一の従者にして彼女の身の回りの世話をする妙齢の巨乳メイド美少女イザベラがいる庭先へと向かった。


「ありがとう〜。今日は量が多いから手伝ってくれるとお姉さん助かっちゃうんだけどな?」


 エステルの倍はありそうな胸元をたっぷたっぷと揺らしながら甘い声をかけるイザベラにスクイドは特段表情を変えることなく手伝いを始めた。


 洗濯。

 これもスクイドにとっては未知との遭遇である。


 もちろん素体の知識から衣服を洗う行為であることは理解しているのだが、もともと『衣服』という概念に対し『脆弱な人種の皮膚を有害物から保護するための簡易的な被膜』程度にしか考えていなかったスクイドにとって、毎日違う物を身につけてはわざわざ洗うという行為をいまいち理解できなかった。


「とくにこの『下着』という物にどのような意味があるのか自分にはわからない」


 スクイドがカゴの中から手にしたのは薄くひらひらとした頼りない布。


 形状と素体情報から人種の女性が下半身を保護するために身につけるものだということは理解できるが、臀部を覆う布地はか細い生地を網目上に細かく合わせたもので、布越しにスクイドの手が透けてしまっている。


 はっきり言って素肌を保護する『布』という機能を一切果たしていない。


 無駄に凝った花柄の刺繍も、百歩譲って上着であれば理解もできるが衣服の内側に身につける物に装飾を施す意味がわからない。


 それにこの布面積で一体何を保護するというのか。


「ん? あら、わたしったらちゃんと分けていたつもりだったのに……あら、あらあらあら」


 小さな逆三角を広げジッと見つめていたスクイドを熱の籠った視線で見つめるイザベラ。


「特異な能力をもった伝説の勇者様も、中身は健全な男の子なのねぇ」


「ふむ、確かに素体の性別は男だが『健全な』とは何を意味して」


 そこでスクイドはイザベラの視線の先。自分の身体に起きている変化を自覚した。


「これは……ここ百年で初めての経験だ」


「んふぅ〜、恥ずかしがらなくてもいいのに? ——ねぇ、スクイドくん? 手に持っているわたしのソレ返してもらってもいいかしら?」


 スクイドは素体の身体に起きた変化に興味深さを覚えながらイザベラへと下着を手渡し、


「ふむ? なぜ自分の手を掴む?」


 渡した下着をひらひらと揺らしながらイザベラはスクイドの腕を引いてグッとその顔を耳元へと引き寄せた。


「もしかして、経験ない?」


「経験? とは?」


 純粋に聞き返すスクイドの瞳を見返しながら「ふふふ」と意味深な笑みを湛えるイザベラは手にしていた下着をチラつかせ吐息を吹きかけるようにスクイドの耳元に囁いた。


「コレの、使……教えてあげましょうか」


「ふむ……新しい知識を得るのは自分の所望するところ。よろしく頼む」


「んんっ……いいわぁ〜、こっちへいらっしゃい?」


 上機嫌に頬を染めたイザベラはスクイドの手を引きながら家の中へと入っていった。



 ***




 エステルの自室。


 夏季休暇中の課題として提出しなければならない『魔法的事象と固有能力についての概念的術理の差異について』のレポート課題を前に遡ること十四時間あまり、エステルは只管に硬直していた。


 正確には机に突っ伏して寝る。起きる。硬直する。寝る。のサイクルを永遠と繰り返していた。


「はぁ〜、【固有能力】は人だと勇者やその血統に限る。

 エルフや竜人族みたいな種族はごく稀だけど先天的に持っていることも有り……あとは一部の強力な魔獣や伝説的な神獣が所持している、と。


 そんなのは誰でも知ってるってぇ〜、大事なのは能力の発動が魔法的段階を経て発動しているのか全く別の要素なのか、魔力の消費量は、そもそも魔力を使用しているのか〜、わかるわけないじゃん! 

 そもそも、私の周りに【固有能力】使える人なんていない——ぁ」


 そこでエステルは数日前から居候中の第七王女近衛軍暫定隊長筆頭の存在を思い出した。


「いるじゃん。【固有能力】所持者! んーっはぁ! 体も鈍っちゃいそうだし、運動もかねてスクイドの稽古でもしてあげるかなっ! その時に【固有能力】の発動とか見せて貰えば効率的よねっ! 流石、王女で美少女の私っ!!」


 ぐぅっと背伸びをして立ち上がったエステルは机から解放される妙案を得たとばかりに朗らかな表情を浮かべ自室から飛び出した。




 ***




「スクイド〜、気晴らしに前言ってた人族の戦い方を教えてあげ、る……って、スクイド?」


 王族が住むにはあまりにも庶民的なリビングにある至って普通なソファーに腰掛けていた元エンシェント・カオス・クラーケンという伝説的な魔獣の少年は、どこか無気力に見える瞳でボーっと虚空を見据えていた。


「……ふむ? なんだ、エステルか」


「えぇ、どういう感情なのそれ。あれ? イザベラは?」


「……シャワーを浴びている」


「へ? こんな昼間から?」


「……」


 微妙な空気と返答になんとなく変な汗が流れたエステルは、本能的に話題を自分の目的へと方向転換した。


「とりあえず、庭にでましょう! 模擬戦をやりますよっ!!」


「了承した」


 エステルの言葉に了承で返したスクイドをともなってエステルは愛剣を手に庭の裏手へと向かう。


 途中、半端に放り出された洗濯物に訝しんだエステルだが、すぐに気持ちを切り替えてスクイドと対峙したのだった。

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