活気のある港町、多くの商人や観光客。多種多様な種族が往来を行き交っている。
水揚げされたばかりの新鮮な魚介類を求めて声を張り合う男達の威勢が日常的な朝の光景。
ここ〈キルクルス共和国〉は今から一〇〇年前、『勇者動乱事変』の後に人族、獣人族、竜人族、エルフ族、ドワーフ族、魔族により建国された和平を象徴する最も若い国だ。
東西南北を海によって分たれた四つの大陸のほぼ中央に位置し、各大陸の中継地、貿易の要として栄えていた。
一〇〇年前に滅びたゴドソラム王国の跡地としても有名なのだが、忘れ去るべき亡国の名を口にする者などほとんどいない。
そんな〈キルクルス共和国〉の変わらない平和な日常に突如として異変が訪れた。
大小無数の帆船が行き交う船着場の一画から一柱の水飛沫が突如として宙に吹き上がる。
何事かと足を止めた人々の視線が注がれる中、一人の少年が海岸遊びの帰りのような気軽さでその地に降り立った。
「ふむ。念願の地上……素体の記憶と感情、言語を完全理解するまでに随分手間取ってしまった。深海に引きこもって何年だろうか? 素体の感覚でいえば一〇〇年ほどか。
だが、自分は完璧に人種へと生まれ変わった——これで、出会える。
新たな未知とまだ見ぬ自分の知らない景色……まずは素体の記憶にあった様々な情報を、この身で持って体験したい」
突如として海から現れた少年は烏賊墨でも浴びたような真っ黒の髪色と瞳だがその瞳孔は金色の光を宿していた。
突然現れては抑揚のない声色でつらつらと何事かを喋り続ける少年に奇異の目を向ける人々の間を縫って複数人の男達がいつの間にか少年を取り囲む。
「まずは何から……やはりここは素体の記憶にあった自分の長所を最大限活かせるアレを——」
「あ〜うん、君? 自分の世界に入り込んでいるとこ悪いんだけどね、ちょっと詰所まできてもらおうか?」
少年を囲む男達は全員が統一された服装に一見厳つい顔つきだが努めて平和的に見えなくもない、幼子や女性がみれば即号泣してしまいそうな笑顔を向けていた。
「自分に用事? ふむ……これが『会話』というものか。自分は人種と会話できている」
「君がとてつもなく悲しい生い立ちと環境なのは今のでわかったから……でもね、おじさん達も『保安局員』って仕事柄、全裸でぶつぶつ言っている思春期の少年を放置できないんだわ。まずは名前、聞かせてもらえる?」
おじさんと名乗った人種の言葉に少年はひとしきり考えたあと口を開いた。
「名か、種族名ではなく名……素体の名は確か、ほ、ホオズキ……スクイド?」
少年——スクイドは自分の意識が覚醒した瞬間に聞いた音と素体である少年の記憶から掬い上げた音を組み合わせ、それを名として認識する。
「スクイド、ホオズキ君ね、変わった名前だけど孤児ってわけじゃなさそうだ……じゃあ詳しい話は詰所で聞くから——」
おじさんという人種は無造作にスクイドの腕をぐっと掴み、
「?」
違和感を覚えたおじさんは目を開いて驚愕した。
「へ、う、腕? なんで君が俺の腕をもって? ————っぁああぁ!?」
おじさんがその視界に捉えたのはスクイドの周囲の空間からウゾウゾと飛び出してきた黒と灰色の表皮に覆われた無数の触手。それが半ばから絶たれた自身の腕を弄んでいる異様な光景。
「き、きぃやぁああああああああっ」
「化け物っ! 化け物が出たっ!」
「みなさん落ち着いて! 保安局員の指示にっ」
「総員抜剣! 魔法の使用も許可するっ」
誰が発したのか甲高い金切り声を合図に周囲が突如として混乱の渦中へと至り、戦意を宿した保安局の面々は片刃のサーベルをスクイドに向け剣先に魔法の光を灯し始める。
「ふむ、ここで争うのは本意ではない。なぜなら自分には目的がある」
言うなりスクイドの周囲の空間から一際巨大な触腕が二本。
保安局員達を恐怖でのけぞらせると、勢いよく地面を叩きその反動を利用するようにスクイドは高く飛び上がる。
まるで自身の手足のように触腕と無数の触手を操り何もない中空へ向けて虚空から勢いよく水を吹き出し、水圧の勢いで空を泳ぐ烏賊のようにその場から姿を消した。
後にこの港で乱獲されていた烏賊種の呪いや災だと人々が口々に言い始めた事で烏賊を崇める風習が出来上がり、その後片腕の教祖が誕生したという。
***
スクイドは全裸のまま空中を背後に向かって滑空していた。
「素体の感覚からして、一時間? 程度は飛んだだろうか。む?」
スクイドは定期的に地上へ向けて高圧力の水を射出することで空中に一時静止。視界がとらえた存在を上から見据える。
それは竜車と呼ばれる地竜の亜種に車輪付きの箱を引かせる人種の乗り物が地上の〈魔獣〉に追い詰められている瞬間だった。
「ふむ……自分は知っている。アレは、『テンプレ』というヤツだ」
素体の記憶から状況を推察したスクイドは期待に胸を踊らせる。情報が間違いなければあの箱から『美少女』と呼ばれる人種の雌が出てくるはずだと。
スクイドは高度を落とし、竜車が追い詰められている岩壁の上に下り立ちそっと様子を伺う。
竜車の周りには四足歩行の魔獣——〈ダークウルフ〉によって噛み殺された地竜と血溜まりに沈んでいる数人の男達。
やがて箱から決死の形相で飛び出してきたのは、
「ダークウルフっ!? ——っ、よりによって一番嫌いなタイプの魔獣ですか……」
ヒラヒラとしたドレス姿に不釣り合いな両刃の剣を手にピンクブロンドの長い髪を風に靡かせながら、飛び出したのは所謂『美少女』だった。
「——っ!! ふむ!」
スクイドは情報通りの展開に思わず目を輝かせるが、特に何かをしようと言うつもりはなく果敢に立ち向かう美少女を静観し続けた。