近藤道長はアルコールが手元にないと不安であった。
酔いつぶれるまで飲んでしまう。
紗栄子が亮太を奪い返すまでは、お手伝いさんの小松が亮太の世話をしていた。
亮太は経済的に困ることはなかった。しかし道長と一緒に暮らすことは辛かった。
亮太にとって、言動が豹変する道長は近寄りがたかった。
道長は、亮太を無理に引き寄せて、腕やお尻を
ある日、近藤家の次男の
表向きには紗栄子が一人で段取りをして、家庭裁判所の裁定を勝利したように見えたが、実は進次郎が弁護士を手配して、上手く運ぶように動いていた。
道長は、なかなか亮太を手放さなかった。自分の手元に子供を置いとけば、紗栄子とよりを戻せると思っていたのだ。
道長は、典型的な地方のドラ息子であった。社員たちは、彼を実権のない三男坊でよかったと裏で噂をした。
道長は親の財産はあるが、本人の甲斐性は皆無だった。
祖父の
会社にはたまに高級外車で出向いては、女性社員にちょっかいを出していた。
女子社員がセクハラで訴える前に、会長が可愛がっていた忠実な部下たちが、道長の女性社員に対する言動をやめさせるように会長に直訴した。
その数日後会長から「貴様の不行き届きだ」と、手痛い雷を落とされた婿養子の現社長の父親から、道長は本社に出入りすることを禁止されてしまい、女性社員が一人もいない大型施設のメンテナンス業務に回された。
ここは進次郎が任されていた。
ちなみに長男の普一郎は次期社長である。
次男も長男もこの三男坊のことはスルーしていた。黙認はしていたが、心の中では、こんな厄介な弟は、いつかデカい失敗をして失墜するだろうと思っていた。
道長は、その進次郎がいる事務所に勤務している間は、問題を起こさなかった。先輩社員の言うことを素直に聞いて、特に努力はしないが、そこそこ地味に仕事をしていた。
しかし放蕩息子の道長にとっては、昼間の真面目社員のふりを維持することに、ストレスが
風俗やキャバクラをハシゴして、周囲に仕事には何の役にも立たないパワーを見せつけた。
道長は絶倫でありニンフォマニアだった。過剰に相手の身体を求める色情症だった。彼は不特定多数の相手に快楽を求めるカサノヴァ型であった。
それが紗栄子に出会い特定の相手にこだわるドンファン型にと欲望の矛先が一点集中になった。
紗栄子の彼を受け入れた肉体も、時々曖昧に感じさせる優柔不断な心の移り変わりも、彼にとっては魅力的に映った。
道長は当時風俗嬢だった紗栄子に、身も心も骨抜きにされた。
彼は金に糸目をつけずに、紗栄子に結婚を視野に入れてアプローチしてきた。
紗栄子は、幼少期から経済的に不自由していた。生まれた時から父親はいなかった。
彼女の母親にも、父親は生まれた時から不在であり、そんなことは当時のこの母子から見たら、どうでもいいことだった。気にしている余裕はなかった。
それよりも腹一杯ご飯を食べたかった。
紗栄子はこの母親に幼少期に3日間部屋に置き去りにされた経験があった。
児童相談所に保護されてから数日間、与えられた食事を、飢えから抜け出せた嬉しさで泣きながら食べた。
そして高校まで児童養護施設で育った。
知り合ってから数週間後、道長は紗栄子の身の上話を聞きながらプロポーズをした。
彼は自信満々に、自分の肩書を披露した。
思考回路が単純な道長が考えると、茶番劇にしか見えないこの儀式は、簡単に契約成立するように見えた。
しかし紗栄子はなかなか
いつも自分の周りには差別がつきまとっていた。
幼少期から思春期にかけて、貧困への差別を受けると、それを拭い去るのに生きてきた年数の倍はかかる。いや、どんなに金持ちになっても全てを忘れることなんて出来ない。
彼女は小さい頃に母親から買ってもらったウサギの縫いぐるみを今だに持っている。
黒く薄汚れた人形を、なぜ捨てずに持っているのか?
貧困を共に生きてきたからだ。同時に良いことも悪いことも共に全てを見てきた。
思い出は捨てられないから。
これからの新しい人生が始まるからといって、過去を忘れるほど、人間は単純ではない。表面だけを生かして、裏面だけを書き換えることなんて、心理的には無理なのだ。
道長から「俺が、それを忘れさせてやるよ」と言われて嬉しい反面、そんなことを平気で言える男が怖くもあった。
紗栄子は問題を真剣に考えれば考えるほど、きっぱりとした答えを出せずに、考えが相反することで心情が曖昧になった。
数か月後、紗栄子は妊娠した。