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ハルコンは知っていた。その水路の水深はかなり深く、流れも急で、街の人々が警戒して滅多に近づかない場所だということを。
そして、ハルコンはあまりの吐き気に襲われてもなお、その男の心身に介入を続けた。
ついに、男はたたらを踏みながら、自らの意志に背くように水路に向けて真っ逆さまに落ちていった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、……」
馬車に乗るハルコンは、肩で荒い息を繰り返していた。
額からは止めどもなく汗が噴き出し、その瞳は爛々と怪しく光を放っていた。
「どうしたのっ、ハルコンッ!?」
心配したソフィアが、ひどく当惑した様子で両肩を掴んできた。
「いえっ、何でもありません!」
ハルコンは咄嗟に否定するのだが、……でも、母親は力強く抱き締めてきた。
「落ち着くまで、……こうしていなさいっ!」
「……」
まだ、息が荒い。心臓は早鐘を打ち、全身汗みどろだ。
幸いなことに母親は、これ以上何も訊ねてこなかった。
それだけで、どれ程救われたことかとハルコンは思った。
「もう大丈夫です、……母上!」
ハルコンがニッコリ笑うと、ソフィアも紅潮した頬でニッコリと笑う。その目には涙を湛えていた。
「あまり、心配かけさせてはいけませんよ、ハルコン!」
「はいっ、母上。もうご心配には及びません!」
「よろしいっ!」
そうこうするウチに馬車は領都を離れ、何事もなかったかのように郊外にあるセイントークの屋敷に戻っていく。
ハルコンの鋭敏な感性は、ここでいくつかの疑問に思い至っていた。
前世の晴子を殺した者は、悪意を予めインストールされたNPCだった。
なら、私が殺害されるまでの帰趨を、予め女神様は知っていたのではないだろうかと。
そして今回、何故殺し屋のNPCが平穏なセイントーク領にいたのだろう?
しかも、あの凄腕の女盗賊達の監視の目を抜ける程の実力者がね。
もしかして、何者かを暗殺する任務でもあったのだろうか? それとも、たまたまか?
今回の件は、帰ったら直ぐに女盗賊に「天啓」で報告しておこう。
セイントーク領が何者かに襲撃される前に、こちらも先手を打っておく。
酒好きの彼女には、今度お礼にセイントーク領産の高級ブランデーを持っていくことにしよう。
ハルコンは女盗賊のように信頼のおける人物が周囲にいることを、大変心強く思った。