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他にはこんなこともあった。
乗合馬車で移動中、とある領都から少し離れた街道を進んでしばらくした時のことだ。
街道を塞ぐように丸太が置かれ、御者が騒ぎ出した時には、既に複数の追剥の集団に取り囲まれていた。
乗り合わせた他の乗客達は、まるで生きた心地もしない様子で、青ざめた顔で賊を見ていたり、慌てて神に祈ったりしているのだが。
でも、中年の一級剣士だけはいささかも心を乱すこともなく、……ちらりちらりと、賊一人一人の配置を目視しつつ、その集団のウィークポイントを抜け目なく探っていた。
ハルコンは、心臓をバクバクさせながら、一級剣士の心に寄り添っていた。
そのNPCの心は、まさに明鏡止水の如く静まっていて、少しの乱れもない。
研ぎ澄まされた日本刀の刃のように、青白く光る両眼。
全身の筋肉に強張りはなく、程よく温かく、理想的なフォルムに血管が脈動する。
すると、追剥の頭領らしき男が、乗客達にこう叫んだ。
「オマエらぁ、この木箱に金目の物を全て寄越せっ!! 服も全てだっ!! いいかっ、命が惜しかったら、出し惜しみはするなっ! 女達も服を脱げっ!! いいからっ、早くしろっ!!」
ハルコンは犯罪現場に出くわしたことで、緊張のピークに達していた。でも、一級剣士の男は、身体を弛緩させたままだ。
若い女性客が顔を真っ白にさせて、泣きながら服を脱ぎ出している。それを見た追剥の若い衆が、血走った下衆の目で欲望を滾らせながら近づこうとしたその瞬間。
突然、……ここぞのタイミングで、一級剣士は一番近くの賊に襲いかかる。一刀の許に殺傷するや、血飛沫が舞い上がった。
「野郎っ!?」
男どもの怒声が響き渡るも、続け様に剣士は切り捨てていき、……人々の悲鳴で辺りが埋め尽くされる中、次々と残りの賊に迫っては、鮮やかに切り落としてしまうのだ。
返り血を浴びることもなく、火の点いた野獣のように追剥達を始末していくと、命乞いをする頭領の首をすらりと跳ねてしまった。
その後、人々が呆然と見守る中、……まるで何事もなかったかのように再び馬車の元の位置にストンと着席してしまった。
たちまち人々の間に歓声が沸き起こった。
「命の恩人だっ! ありがとう、ありがとうっ!」
泣いて喜ぶ乗客達。皆平和な日常を迎えることができて、心からむせび泣いていた。
「オレは疲れた。このまま寝るから、しばらく起こしてくれるなよ!」
そう言って、中年の一級剣士は、直ぐにいびきを掻き始めている。
彼は、終始一貫して心が高揚していなかった。
ただただ淡々と料理していく、……そんなルーティンワーク。
ハルコンは、己の手をじっと見た。すると、少しも震えていないことに気が付いた。
あれっ!? 一体、どういうことなんだろう!?
意外なことに、……人殺しに全く抵抗がなかったのだ。
それは前世の晴子では全くあり得ない感覚で、……非常に驚くべきことだった。
なるほど。自分はもう前世の晴子ではないんだなぁと。
だが、不思議と寂しさは少しも感じられなかった。