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一体、何が起こったの!?
彼女は余りの痛みに視界が暗くなり、全身の肌が凍り付くように寒くなると、そのまま昏倒した。
晴子は強烈な吐き気に耐えながら、何とか恐慌する心を宥めつつ、自分の身に一体どんな災いが降りかかったのか。
科学者の端くれとして、冷静に思考を巡らせていた。
すると、そんな彼女の目の前に、強烈な悪意に満ちた、黒い異物が飛び込んできた。
それは、彼女を襲った賊だ。
その男は、全身黒尽くめで目出し帽を被っていて、陽気な調子で口笛を吹きながら室内に灯油を撒き始めていた。
コイツの口笛のフレーズ、……私がさっきまで歌っていた曲だ。
晴子は今、通い慣れた研究室で賊に不意を突かれ、意識朦朧のまま床に倒れ伏している状態にある。
頭の割れるような痛みを堪えつつ、目の前に投げ出された手に力を入れてみたのだが。
でも、指一本動かせない。
油断していた。まさか、公的な大学の構内で襲われるなんて。
賊は手慣れていて、殺しに躊躇いがない。
視線を辛うじて動かしてみると、火災報知機も防犯カメラも、案の定壊されていた。
この事態は、……おそらく、敵の雇ったプロの犯行だと想像できる。
畜生っ! この場から逃げ出したいっ! 助かりたいっ!
明日の会見の資料を、もう一度だけでいいから、……ちゃんとチェックしたいっ!!
でも、この自分の身体は、もうピクリとも動かないんだ。
「アンタも残念だったな。大人しく言うことを聞いていれば、こんな目に遭うこともなかったのにな」
「……」
むろん、返事なんてできようはずもない。喉も極度の緊張で固まってしまって、とても声が出せないのだから。
賊は、その辺りは想定の範囲内のような身のこなしで、
「まぁこれも仕事だからなぁ。だから、恨みっこなしなっ!」
賊はそう言うと、部屋の出口に立ったままマッチを擦って放り投げ、そのまま何事もなかったかのように立ち去っていった。
室内の床に横たわったままの晴子に、猛然と炎が襲いかかる。
それは瞬く間に500度の高温の炎となり、……でも、どんなに逃げ出したくても体は固まったまま。
逃げ出したいっ! 熱いっ! でも、声が出ないっ!
熱いっ! とっても熱いっ! 私の服に火が燃え移ったっ! 熱いっ! 助けてっ!
そうこうするウチに、紅蓮の炎は彼女の大好きな研究室の隅々まで焼き焦がし、大量のガスと煙でフラッシュオーバー現象が発生すると、ついに研究室の温度は1000度にまで達してしまう。
憎いっ!
研究室を焼き、成果を奪い、仲間を奪い、命すら奪ってくる敵が、ただただ憎いっ!
私は来世では地獄の鬼となり、悪党どもを根絶やしにしてくれてやるっ!
眦を決する彼女の身体を、燃え盛る炎が無情にも焼き焦がしていく。