その日の晩、聖徳晴子はとっても気分が良かった。
ここ数年の間ずっと携わってきた新薬開発に漸く目途が立ち、明日13時に記者団を前に会見を行うことになっているからだ。
大学の研究所の小会議室にて、前祝いと称して細やかな内輪だけの飲み会が開かれていた。
晴子は、最後まで自分を支えてくれた仲間達に感謝を述べ、これまでの苦労が報われて、嬉しい気持ちでいっぱいだった。
そんな彼女を、かつての指導教官や同僚、後輩達が温かく見守っている。
「ありがとうございます。皆様のお力のお陰で、私は開発にまで着手することができました。心よりお礼を申し上げます」
そう言って深々と頭を下げる晴子に、チームの仲間達は拍手を以て応じてくれた。
すると、堪えていた涙が、思わずこぼれてしまった。
「おい、どうした晴子クン。明日はキミの晴れ舞台なんだぞっ! 晴れ女のキミが泣いてしまったら、雨でも降ってきそうだ。ワハハ、言い過ぎたかな?」
「そうですよぉ~、晴子先輩。泣いちゃったら、美人が台無しですよぉ」
「もぉ~っ、そんなこと言われたら、涙が止まらないよぉ~っ!」
晴子の嬉しい悲鳴に、仲間達は笑い出してしまった。
「もぉ~っ、ホンとにありがとっ!」
晴子はハンカチで涙を拭きながら、深々と一礼した。
それを見て、仲間達からの温かい拍手。
晴子は、全人類にとっての偉業を成し遂げるその瀬戸際に、……穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
とりあえず、研究室に戻って、もう一度だけ明日の会見のおさらいをやっておこう。
飲み会を終えた晴子は、久々のアルコールに頬を上気させていた。
夜の大学の研究室棟の廊下を、たった一人、考えを巡らせながら歩いていた。
思い返してみると、これまでにホンといろんなことがあった。
学内政治だけではなく、学者の世界では依然として存在する男尊女卑の問題とか、研究内容を盗用する国内外の研究所の動きとか。
「あぁっ、ホンッと腹立たしいったらありゃしないっ!」
そう呟くと、晴子は整った顔をくしゃっと顰めた。
彼女は、助けてくれる先輩や仲間達と共に、その全ての理不尽に対し、毅然と抗してきた。
だからこそ、……今の自分がある。
「まぁ、仲間の裏切りや失踪もあったしなぁ、……ホンと、何度心が折れそうになってきたことか」
でも、もう明日の会見で全てのことが決着する。
辺りは、とても静かだ。夜の校内に人はおらず、晴子の足音だけが木霊する。
晴子はガッツポーズをとって、鼻腔からアルコールを含んだ息を吹き出すと、
「ララララァ~ッ、思えばぁ~っ、遠くにきたものさぁ~っ、見るものぉ~、聞くものぉ~っ、お初の世界ぃ~っ、ララララァ~ッ、それはぁ~、皆のぉ憧れぇ~っ、レッツゴー ニューワールドッ、キャハッ!!」
彼女は学生時代に流行っていた流行歌を口ずさみながら、軽い足取りで研究室のドアノブに手をかけた。
誰もいないはずの、暗い室内。
電気を点け、使い慣れたデスクの方に数歩進んだところ、……。
突然、ボクッという鈍い音と共に、……晴子の後頭部目がけて、鋭い痛みが稲妻のように走ったのだっ!