スゥとプリデールがケテルを出発にしてからは、特に大きなトラブルも無く旅は順調に続いていた。
ケテルを出て山を下り、今度は一転してネオパンゲア大陸の沿岸部へと車を走らせる。
今日中に沿岸部まで到着は無理そうなので、ならば陽が出ている比較的安全な内に宿を確保して中継地点とする事になった。
道路の勾配がだいぶ緩やかになってきた頃、二人は小さい宿場町へと到着した。
その日はスゥが予約していたモーテルへ一泊し、翌日の午前中に出発という事で解散した。
・・・
償いの日以降、全世界的な治安の悪化に伴って、街と街を陸路で繋ぐ中継点である宿場町の存在は重要度を増した。
街の外で物資を輸送するトラックなんてものは当然野盗共の恰好の獲物であり、それが奪われて物資が滞れば都市圏の市民達は生活に支障を来たす。
そんな訳である程度の治安の維持と危険に遭遇した時の駆け込み寺、車両の点検修理やドライバーの休憩所等々……宿場町の持つ役割は重要かつ多岐に渡る。
今の世界に於いて陸海空の運送の関する全ては七大都市の一つ『海運都市ルルイエ』が管理しており、輸送の中継地点である宿場町もその勢力圏に属している。
ネオパンゲア大陸に街が無いルルイエは、こうして小さい中継地点をいくつも支配下に置く事によって網の様な領地を大陸中に持っているという訳だ。
そして宿場町の治安はルルイエが同じく七大都市の一つ『傭兵都市グラングレイ』の傭兵達に外部委託する事によって守られている。
・・・
夜も更けて、月が丁度真上に来たかなといった頃。
深夜のモーテルの屋上にスゥが一人で居た。
スゥは特に何をする訳でも無く、屋上に置いてある簡素なベンチに腰掛けて、ホットの缶コーヒーを飲みながら煙草をふかしていた。
「…………」
静かな夜で、緩やかな夜風の音と煙草の煙を吐く音、缶をベンチに置く音の他に聞こえる音も無い。
どれくらいそうしていたか、スゥが不意に虚空に向かって呟いた。
「……いるんだろ?そこに」
独り言のみたいな問いかけに応える様に、虚空が波打つように揺らめくと、中からプリデールが姿を現した。
「……姿を消した私を看破するなんて、大したものね?キチンと気配も消していた筈だけど」
「うおっ、言ってみただけだったっつーのにマジで居るのかよ!?ビックリしたぁ!」
驚いたスゥの反応に虚を突かれ、プリデールは呆れた様子だった。
「えぇー……もしかして貴女、いつもそんな事してるの?」
「いやー、まあ、今なら誰も居ねえし?もし誰も居なくても別に損はしねえからいいかなと思って……」
「……出てきて損したわ」
「まぁそう言うなって……アンタが今ここに居るって事は、おおかた裏切らない様に見張ってたって所か?」
プリデールは一人分距離を開けてスゥと同じベンチに腰掛けると、スゥの質問に若干おざなり気味に答えた。
「……まぁ、そんなところよ。どうやら杞憂だったみたいだけど」
「安心しなよ、金は前金で貰ってるんだ、そう簡単には裏切ったりしないさ」
スゥは薄く紫がかった煙草の煙を大きく吐きながら続ける。
「だけどいいと思うぜ、そういうの……相手を疑うのは当然の権利だと思うし、あまり手放しで信頼されても気持ちが悪い」
「そう……邪魔したわね」
プリデールは一言だけそう言って、屋内へのドアへと手を掛けた。
ドアを開けようとした瞬間、プリデールの背後から何かが飛来した。
プリデールが振り返ってそれをキャッチすると、飛んできた何かは温かい缶コーヒーだった。
「一本どうだい?せっかくだし、ちょっと話し相手になってくれよ」
「この缶コーヒーは?」
「依頼料さ」
「安いわね」
そう言いつつもプリデールは再びスゥの隣に座り、缶コーヒーのふたを開けた。
「アタシがここで何をしてたかわかるかい?」
「さあ……?特に何もしてなかった様に見えたけど?」
「月を見てたんだよ」
「あら……案外ロマンチックなのね」
「別にいいだろ……たまにはさ。煙草、吸ってもいいか?」
プリデールが頷くと、スゥは新しい煙草に火を点けながら続けた。
「昔の話になるんだが……アタシ新月街の下層のスラム出身なんだよ。当然親の顔なんて知らないし、物心付いた頃には他人から盗んだり奪ったりして、どうにか食いつないで生きていた」
「……ふぅん」
缶コーヒーを一口飲む。
安物だけど、ひんやりとした夜の空気や静かな月明かりの手伝ってか、不思議と普段とは違う味わいがある様に思えた。
そしてスゥの話に耳を傾ける。
「…………それでアタシの涙ぐましい努力の甲斐あって、なんとか上の方まで出てこれる身分になれたんだが……『上』で始めて夜を迎えた時は驚いたね」
「どうして?」
「今みたいに月と星を初めて見たのさ、夜に空が光ってるなんて、それまでは考え付かなかったからな」
「初めて見た星空はどう感じたの?」
「……すげえ、かな?」
「綺麗とかじゃなくて?」
「あの頃は綺麗なモンなんてわかっちゃいなかったしなぁ……とにかく、月を見れるってのはアタシにとって自由の象徴なのさ」
「なるほどね……それで初心を忘れない様に今もこうしてるって事?」
「月並みだけど、そうだな」
話が一段落した所で、スゥは三本目の煙草に火を点けた。
プリデールが何故かハッとした表情をしながら言った。
「……月だけに?」
「アンタって案外ノリがいいよな」
この時、生まれて初めてプリデールはギャグでスベッた。