ジャックの手がプリデールの肩を掴もうとした刹那、レッチェの放った矢がジャックの背中に命中した。
しかし液状化の力を持つジャックに対して、矢で心臓を貫いたとしてもダメージにはならない。
だが勿論というべきか、レッチェが放った矢は普通のものと違う特別製だった。
先ずカシュッ!っと炭酸飲料の蓋を開けた様な音がして、矢のシャフトが変形すると小さい噴霧孔から白い煙が勢いよく噴出した。
「チッ……!!」
危険を感じたジャックは邪魔が入った事に苛立ちながらも、冷静に自分の胸部を液状化させると、支えを失った矢はぬるりと地面に落下した。
ジャックが危惧した通り白い煙はどうやら液体窒素だったらしく、地面の血溜りを急激に凍らせ始めた。
狂気に侵されている普段のジャックだったなら、そのまま氷像になっていたのだろうが、今はたまたま理性がある時だったのがジャックにとって幸運だった。
「あわわわ……!な、なにこれ……!?」
「大丈夫だよヨン、これは液体窒素……何かを凍らせる時に使うただの煙さ」
びっくりしたヨンが慌てて矢を避けると、その拍子にプリデールの拘束が解けてしまう。
「どうやら邪魔が入ったようだな……」
プリデールの拘束も解けて新手が来たとなれば、これはもう潮時だろうとジャックは考えた。
ここで退くのは不満だったが、普段は引っ込んでいるジャックの理性が今はプラスに働いた。
こんな矢を予め準備して来てしている連中と、今事を構えるのは得策ではないという判断が出来たからだ。
しかしその心中は穏やかではなかった。
「グルル……次は殺してやる」
恨めしそうに喉を鳴らして、ジャックとヨンはマンホールの中へ飛び込んでいった。
とりあえず危険が去った事にプリデールがホッとしていると、今度は周囲を大勢のヒトに囲まれている気配を感じた。
どうやらこのまま帰る事は出来ないらしいという事を察したプリデールは再び深くため息を吐いた。
「次から次へと、はぁ……」
予定が狂う時というのは得てして連鎖反応が起こり、前後の予定も巻き込んで瓦解するみたいな事がよくある。
少なくともプリデールにとって今日という日は、そういう日だった。
「めんどうくさい……」
プリデールの予想通り、何者かの影がビルや街灯の上を飛び移りながら近づいて包囲網を狭めてきた。
動きや気配から察するに、かなり高度に訓練された統率の取れた兵士らしい。
そしてプリデールの前方30メートル先の街灯の上に何者かが降り立った。
街灯に明かりに照らされた影の正体は、このビッグスカボロウを統べるゴールドマン財団の会長、ハッピィ・ゴールドマンだった。
彼女はヒトの良さそうな笑みのまま、親しげにプリデールに話しかける。
「ほっほっほ……久しいのぅ、インビジブル」
「……?」
「……おや、やっぱり忘れておったか。ゴールドマン777と言えば思い出すかの?」
その名前を聞いてプリデールは償いの日に闘った敵の事を思い出した……のだが、当時の印象と大分違う事に少し驚いた。
当時はもっと精悍な青年将校みたいな雰囲気と顔つきだったと記憶していたが、それに比べると今は随分と気の抜けた顔になっているし、そういえば話し方もなんか変だ。
「……貴女、随分変わったわね」
プリデールが微妙な顔でそう言うのを聞いて、ハッピィは陽気に笑う。
「ほっほっほ!それはお互い様じゃ、お主も随分変わった格好をしとるしの!」
「私の趣味よ、可愛いでしょ?」
「うむうむ、わしは好きじゃぞ!」
朗らかな雰囲気のままハッピィは続けた。
「普段なら一緒に酒でも……と、誘いたい所なのじゃが……お主、こんな場所でこんな時間に何をしておるんじゃ?」
「……教える義理は無いわ」
「ほう?」
プリデールがそう答えるとハッピィは薄く目を開き、二人の周囲を取り囲んでいるバステト達の気配が一斉に殺気立った。