ジャックが鎌を捨てて向かって来た時、既にプリデールは詰みの状態にあった。
外部からの助けを期待出来ない以上、目の前の状況を独力だけでなんとかしなければならないのだが、動きを封じられた上に攻撃が通じないとあっては打てる手が無い。
自分の足を切断して拘束から抜け出せばとも考えたが、どうやら片足だけで逃げ切れる程甘い相手でもなさそうだ。
(……もしかして私、ここで死んじゃうのかしら?)
こんな段階になってもまだ、イマイチ危機感の無い頭でそんなことをぼんやり考えてみる。
限界まで戦って、適当な頃合いに死ぬ事を前提をして設計されているプリデールの遺伝子は、常識では考えられない程『命』というものに対して乾いた考え方しか出来ない。
プリデールに限らず自身の存在意義が希薄なのはフラスコ生まれのキメラ達によく見られる特徴である。
・・・
ジャックが深く腰を落として、その必要も無いのに用心深く機を伺っている。
既にプリデールの足はヨンが拘束してるし、斬撃を無効化できる体を持って尚そうしてしまうのは、心身共にヒトだった頃の名残か。
「ガァァウ!」
ジャックが姿勢を低くして両手足の筋肉を全てフル稼働させ、獣の様に吼えながら走り出してタックルを仕掛ける。
プリデールは無駄とは判っていながらも、迫り来るジャックの両手と頭を斬り落とした。
バシャンと派手な水音を立てて足元に広がる血溜まりに落ちた両手と頭は、そのまま血溜まりと混ざって溶けたが、しかし残ったジャックの身体の勢いは止められない。
もうすでにプリデールを掴める位置まで肉迫したジャックの胴体から、今度は両足を斬り飛ばされた。
支えを失った胴体が転倒し最後に血溜まりに落ちたが、なんと血溜まりからジャックの腕が次々と生えてきて、腕の一本一本がプリデールの身体を掴み、下から踝、脹脛、腿、腰と順に掴む部分を徐々に上体の方へと移動させて行く。
「つかまえたぞ……!!」
最後に生えてきたジャックの頭がいつもの嗤い声とは全く違う、まるで地獄の底から響く様な、低い唸り声で言った。
・・・
プリデールとジャックがやりあってる場所から、200メートル程離れた場所にあるビルの屋上に二つの人影が見える。
一人は金髪で糸目の小柄な女性で、貴族風の白いシャツと小豆色のブリーチズを履いている。
彼女の名はハッピィ・ゴールドマン。
服のセンスはともかくとして、着ている服はどれも一目で分かる程の高級品である事から、富裕層である事が窺い知れる。
ハッピィは興味深そうにプリデールとジャックの戦いを観察している。
その傍らでゴソゴソ何か準備をしているのがもう一人……従者の猫耳メイド、レッチェだ。
「ほっほっほ……殺人鬼が居るというから、狩りに来てみれば……懐かしい顔に出会ったもんじゃ」
レッチェはそれを聞いて意外そうな顔をした。
ハッピィの知り合いならば従者であるレッチェも、そのほとんどを把握している。
しかし今回ハッピィの言う『知り合い』にレッチェの心当たりは無かった。
「私が知らない方となりますと……戦時中からのお知り合いですか?」
「そうじゃのぅ……なんせ戦場で、一回戦ったきりの仲じゃからのぅ……向こうは忘れてるかもしれんのぅ」
「それは只の敵で、知り合いと言わないのでは?」
「そうかのぅ~」
ハッピィは昔を懐かしむ様に夜空を見上げてみるが、生憎今夜は曇っていて月は見えなかった。
一方、レッチェは耳に付けた通信端末に入った部下からの連絡に耳を傾けている。
「ハッピィ様、特殊部隊(バステト)の配置が全て完了致しました」
「ふむ……じゃあぼちぼちはじめるとするかの……よっこいしょ」
「了解しました……サジタリウス01、測定領域展開」
そう言ってレッチェはキャスターから大きめのアーチェリーを取り出して矢をつがえる。
かなり引くのに力が要りそうな大きさと、アーチェリーに取り付けられたスタビライザーがその威圧的で仰々しい見た目をさらに際立たせていた。
暫くの間、弓を絞る弦の音と微かな風の音だけが場を支配し、たっぷりと時間を使って丁寧に狙いを付けてからレッチェは矢を放った。
シュ!という矢が風を切る音が一瞬にして二人の下から遠ざかると、放たれた矢は背面を向けているジャックの背中へと吸い込まれていった。
「……作戦を開始して下さい」
レッチェはいつも通りの冷静な声でバステト達に号令を出した。
それに反応してバステト達が霧深い闇の中で蠢き始める。
・・・
バステト
ビッグスカボロウの治めるゴールドマン財団が所有する私設軍隊。
厳しい試験があり、選りすぐりのエリートしかなる事が出来ない。
財団の施設の警備、ビッグスカボロウ全体の治安維持、財団の敵の排除等で財団を支えている。
皆一様に猫の顔に似た特殊な万能ゴーグルで顔を隠し、任務中にそれを外す事は無い。