オ・ジガにとって、この船は檻だ。断崖の下、水が入ってくるような牢屋。自分をマイ・オッフの亡霊として規定し続けるもの。
だが、抗うことは許されない。自分で選んだ道なのだ。マナエの老人の傀儡だとしても。
「そちらの状態はどうだ」
そんな彼女は、アフェムの通信室の席に座っていた。少し低い所にある画面に映し出されるのは、左目の魔導義眼だけが赤く光る、人間らしい影。そこから聞こえてくるのは縦にも横にも大きな人間を思わせる、野太い声。
「偵察が頻繁にやってくる。奪還作戦が実行される日も近いだろう」
「何としても迎撃しろ。彼奴らにヤガ地方を奪ったことの憎しみを、叩きつけてやれ」
彼女は強く、膝の上で手を握った。
「ヤガ地方に、戦略的な価値があるとは思えない。あるのは時代遅れな要塞ではないか」
「これは政治だ。政治なのだ。帝国の版図を、臭い猿どもが我が物顔で支配しているという現実。それを振り払い、あるべき姿に戻すことが、ポリティカルに意味のあることなのだ」
「そのために、皇国の人間を何人も殺してでも、か」
「奴らに同情する余地はない」
違う。何かが、違う。そのズレを感じながら、オは小さく息を吐いた。
「エスク・オッフは無事か」
「警察が秘密裏に警護しておる。皇国にバレることはあるまい」
「ならいい……」
エスクの身の安全は、オがザハッドナに加わる際に提示した条件だ。しかし、その事実はカジャナ艦長とて知らない。
「貴様とてわかっているだろう」
俯いていた彼女に、声が降りかかる。
「皇国は非道な人体実験を行う国だ……その存在を許容するわけにはいかない。徹底的に叩き、悪しき天子の血族を絶やすのだ」
かつてマイに保護された子供たちは、周囲の子供から酷く軽蔑されたという。中にはまともに言葉も喋れない子もいたが、そのような子に対しては『伝染る』と言われて、露骨に距離が置かれた。畢竟、人間はどこに行っても変わらないということを、オは知っていた。
「よく覚えておけ。帝室七百年の歴史を守るには、皇国という猿の国を滅ぼさねばならんのだ」
その猿に負けた事実、という指摘はできるはずもなく、
「ああ、承知している」
とだけ返した。表情を隠す仮面がなければ、きっと言っていただろう。
「オ・ジガよ。貴様は、迷っているのではないか?」
「迷う? 今更? 面白いことを言うものだな」
「そうだろう。部下に、略奪を控えるよう命令したと聞いたぞ」
誰の告げ口か。それを気にしても仕方のないことを、彼女は知っていた。
「いいか、皇国の芥から全てを奪うのだ。徹底的に破壊せねばならん。そのためには、どのような手段でも取る。それもわからんのか」
「正しさが必要だろう」
「正しさ? 皇国を打ち倒す神聖なる戦いだぞ、最初からこれは正しい」
確かに、彼女とて敵を恨んでいないわけではない。芽吹には個人的な因縁もある。だが、民間人を一方的に殺して、それが正解なのかとも思っている。血涙も枯れて、猶。
「貴様がどう思おうが、私の言うことには従ってもらう。それが、亡霊としての役目だろう」
「……そうだな」
「ではな。私も暇ではない」
プツン、映像は途切れる。拳を握り締めた彼女は、奥歯を食いしばった彼女は、狭い通信室で静かに震えていた。
十分ほどそうしていた。そろそろ行かねばな、と立ち上がり、緑色のスライドドアを開いた彼女は、カジャナと出くわした。
「どのようなお話を?」
「些末なことだ」
サーベルを揺らしながらその横を通り過ぎた。
カジャナから見れば、この指導者は娘のような年齢だ。若者らしく大学にでも通うような、それくらいの彼女を前に、カジャナは申し訳なさを抱く。戦争に子供同然の人間を巻き込んでいる、罪悪感だ。
「ふと、思うのです」
その一声に、オは振り向いた。
「この戦いに、終わりはあるのかと」
「皇国が大人しくヤガ地方を返せば、それでいい」
「我々は表向きにはテロリストです。天光条約で守られる立場でもない。帝国が私たちを庇ってくれなければ……たとえ勝っても、一生逃げ続けることになる」
「信じていないのか?」
同じ恐れだった。オにも、そのような不安がずっとあった。
「信じたい、ですね。それでも、艦長という立場故に敏感になるのですよ」
自虐的に微笑んだ艦長を見ながら、彼女は剣の柄に手を置いた。
「老人が何を考えているのか、私にもその全貌は把握できていない。一つ言えるのは、皇国に対して情け容赦ない攻撃を仕掛け、その体制を崩さんという信念があるということ。万事うまくいくさ」
本心通りに話せば、この組織は崩れる。そうなれば、復讐も果たせない。多くの屍の上に立っていることを自覚した上で、オは聞こえの良いことばかりを並べていた。
「大原芽吹は、殺せそうですか」
仮面の下、彼女は困った笑みを浮かべる。
「少なくとも、釘付けにはできる。私としても殺したいがな、中々どうして、彼奴はしぶといよ」
赤く染めた髪も、顔を隠す仮面も、全てはヤツを殺すための道化芝居をやってやろうという覚悟の証だ。決して戦いの中に己の本質を見出したからではない……と、願っていた。
「マイ・オッフは、戦場を好んだといいます。あなたは、どうですか?」
「これからさ。私がどういう存在になるかは」
仮面がそこにあることを確かめて、彼女は銀髪の艦長に背を向ける。
「機体の調整をやってくる。対空監視を厳にするよう、伝えておいてくれ」
「了解」
敬礼に返すこともなく、格納庫への道を進んだ。
◆
天炎島への第一次攻撃が始まった。芽吹率いる黒鷲隊は先鋒として、敵の支配する空域に飛び込んだ。
「訓練通りだ。ツーマンセルを崩すなよ! 散開!」
その一声の後、一番機と二番機は、誰より前を飛んだ。ブルガザルノからの射撃を容易く躱し、コックピットを刀で貫く。落ちていくそれの腰背部バインダに魔力砲を撃ち、爆散させる。
彼の直感が叫ぶ。スラスタユニットの方向を変え、急降下。今しがた過ぎ去った場所を、デッセムールルが過ぎて行った。
「クーウナは、やる!」
上空に浮かぶ赤い機体へ最大速度で接近する。全身に掛かるG。身体強化と耐Gスーツの合わせ技を以てしても、未だに苦しい。
数射、魔力砲。撃ち合いはすぐに終わって、剣戟の間合いだ。ムールルを動かす余裕を失ったセオは、それらを機体に戻し、推進器として利用する。
そうやって行われる変則的な機動にも、芽吹は対応し続けていた。装着したムールルのスラスタで加速した腕が、剣を打ち下ろす。受け止めて、赫天はクーウナの胸を蹴り飛ばした。
そこに追撃を仕掛けよう、と彼は思うが、一機の赫天がダヌイェルに襲われているのが見えた。一旦クーウナからは目を逸らし、魔力砲の一撃でその脅威を取り去る。
「そこの! 無事だね⁉」
「……問題ありません」
光輝の声だった。
「余裕かよ、芽吹!」
デッセムールルの襲来。斬撃に次ぐ斬撃を避け続けるも、一撃脚のスラスタに貰う。推力バランスの補正をOSに任せ、芽吹は前進した。
左腕部の砲で動きを封じつつ、右手の太刀でコックピットを狙う。胸部拡散魔力砲を宙返りで躱して、刀を逆手に。その勢いのまま急所を狙ったが、仰向けになったクーウナの、装甲の表面を多少削ることしかできなかった。
本当は、ハミンナの方に向かいたかった。並みのパイロットではムールルには対応できない。黒鷲隊の新人への不安がある。しかし、目の前の赤はそれを許さない。
そんな彼に、ある種の幸運が訪れる。魔力探知機に小さな反応が四つ映ったのだ。そこから発せられる魔力の流れを高Gマヌーバで全てすり抜け、頭を回せば、青いハミンナが斬りかかってきていた。
「大原芽吹、討ち取る!」
二振りの剣を受け流し、左の方を弾き飛ばす。回し蹴りで距離を置き、横槍のブルガザルノを消し飛ばす。二対一。それでも、彼は勝利を信じていた。