碧海島基地の格納庫で、芽吹は赫天から降りた。
「調整、終わりましたか?」
菱形に問われて、彼は軽く頷く。
「後のことは頼むよ」
十年近く共に戦ってきた整備班長に、彼は全幅の信頼を置いている。悪くしないだろう、という確信を抱いている。
青い制服の状態で、軽くパイロットルームを覗いて帰るか、と思う。軽い扉を開けば、黒鷲隊の三番と四番が座っていた。
「あ、たいちょお」
甘ったるい声で呼びかけてくる玲奈と、もう一人。長身の男がいる。何の言葉も発さずに、パラシュートなどの装具をつけ、深緑の飛行服に身を包んで腕を組んでいる。
「拓海、挨拶くらいはしてくれよ」
「すみません、気付かなくて」
山崎
「敵、ここに来ると思いますか」
彼は重々しい声でそう言う。
「相手の戦力がどれくらいあるか、それが分からないことには推測のしようもない。でも、俺の勘だけで言うなら……すぐには来ない」
「なら、いいです。隊長の勘は外れませんから」
「それと、ありがとう」
唐突な謝辞に、彼は表情を動かさないまま当惑した。
「この間、玲奈の盾になってくれたんだろう? 聞いたよ」
「別に……仲間のために命を張るくらい、当たり前のことです」
「当たり前だからこそさ。本当にありがとう」
敬礼を向けられては仕方なく、拓海は立ち上がって返礼した。微笑みを向けた芽吹だが、相手はそこまでは返さない。
「そろそろ交代だろ? 一緒に食べないか」
時計を見た拓海は、頷いた。正午まであと十五分。
「構いません」
皇国軍の基地では、常に四人のパイロットが待機している。内二人は五分以内に出撃できる五分待機、残りの二人は三時間以内に出撃できる三時間待機であり、これを六時間ごとに入れ替えながら二十四時間勤務する。
そんな彼らにとって、食事の時間は何よりの癒しだった。芽吹は厨房に有線で食事を持ってこさせるよう頼み、他二人のパイロットがいる待機室の椅子に腰掛けた。
「あ、あの!」
少し緊張した声音で話しかけてきたのは、まだ少女の面影を残すパイロットだ。
「赤梟隊の……」
「そうです。
「いいよ。時間がある時にね」
テレビからは呑気なニュースが流れている。動物園のペンギンが卵を産んだらしい。
「かわいいですねぇ」
こっちは戦争をしているというのに──などという皮肉は、誰も口にしなかった。
「拓海、新型の噂聞いた?」
「いえ」
「浩二大佐から聞いたんだけど、新型のテストが終わったらしい……もう一月もすれば量産に入るんじゃないか、って」
「そうなったら、一番は隊長ですね」
おだてと受け取った芽吹は顔の前で手を振った。
「自分は本気で言っています」
「……正直、今、回されても困るよ。機種転換だって楽じゃない」
「赫天の慣らしを実戦でやったのでしょう?」
「まあ、そうだけど……」
こうも持ち上げられては、恥ずかしささえある。
「あの頃は無茶ができたし、しなきゃならなかった。でも、この状況ならゆっくり進めるべきだよ」
それはそれとしてできるんだろう? と言わんばかりの視線を受けて、彼は頭の後ろを掻いた。
「やれと言われたらやる。軍人だからね。やりたくないってだけ」
パワー不足を感じていないと言えば、嘘になる。捕虜から聞いた話では、新型の内赤いものはクーウナ、緑のものはクーウナ・ダヌイェルというらしい。どちらも赫天に匹敵する性能を有している。九一式改では太刀打ちできない。故に赫天部隊が重要になる。
しかし、赫天を起動できるパイロットは限られている。接続器の起動には、やはり抽出器を相手にする以上の魔力が必要なのだ。
そうこうしている内に食事が届く。麦飯、野菜炒め、味噌汁、漬物。それに茶と林檎。
「少し、考えたのです」
拓海が話し出す。
「パイロットを二人にすれば、接続器を起動できるんじゃないか、と。民間の採掘現場や工事現場では抽出器を起動する際に、そうした方法を使っていると聞いたことがあります」
「俺も鉱山でお駄賃貰ってたけど、赫灼騎兵ってなると事情が違う。思考制御を混線させないための魔導式コストとかね。でも……ダヌイェルみたいに接続器そのものの出力を落として、起動に必要な魔力を減らす、ってのはアリだと思う」
オイスターソースで味付けされたキャベツや豚肉。それらをかっ食らい、彼らは手早く食事を終えた。
「低出力接続器を搭載した赫天が増えれば……我々もかなり楽になりますね」
「うん。一朝一夕に、とはいかないかもしれないけど、少しずつでも前進してほしい」
時間は過ぎていく。ただ、何もない時間が。だが、それは簡単に崩れ去ることを彼らは知っていた。
二日ほど後、パイロットたちは大きな会議室に集められた。赫天部隊だけでなく、九一式が依然配備されている部隊もだ。
「天炎島への第一次攻撃の概要が決まった」
西部諸島の地図が映し出された巨大なスクリーンの横で、義足の冬弥がいつもの起伏に乏しい声で言う。
西部諸島は無数の小島からなるが、中でも大きな四島が存在する。南東の紅潮島、南西の碧海島、北東の多然島、そして最北の天炎島だ。
「我々の役割は先鋒だ。二つの赫天部隊、四つの九一式部隊を以て急襲、三隻の艦隊を叩き、上陸するための航空優勢を確保する」
部隊の中心である赫天部隊を全て割く。ここで決めるつもりなのだろう、と芽吹は理解した。
「同時に、昇陽地方の基地からも攻撃を仕掛ける。二方向からの同時攻撃で、一気に叩くというわけだ」
パイロットらは静かに次を待つ。
「天炎島付近の海底には、赫灼石の鉱脈が存在する。我々はこれを失うわけにはいかない。何としても取り戻してもらいたい」
皆頷く。
「作戦開始は一週間後。具体的なプランを各機に送信しておく。確認するように。以上。解散」
敬礼と返礼。芽吹は、格納庫に向かった。しかし、その道中、ツーブロックの少年パイロットを見つけて声をかけた。
「
彼は一度振り向いたものの、敬礼だけして背を向けた。
「一応上官相手だぞ」
注意も敢え無く、光輝はずんずんと進んでいく。青い制服を着ている。
「余計な会話はしません」
速足の彼に芽吹は小走りで追いついて、肩を掴む。
「俺は、信頼できる人間としか話すつもりはありません」
振り解きはしないものの、猜疑の視線が隊長を射抜いている。
「そんなに、俺を疑うのか」
「前戦争の英雄なら、とっととあの青いのを墜としてくださいよ」
そう言われては反駁できず、さしもの芽吹も黙ってしまう。
「それとも、あの戦果はプロパガンダだったんですか? まあそうでしょうね、新人があんな大活躍できる筈がない」
「俺のことは好きに言ってくれていい。でも、俺の戦果は司令や昔の先輩と一緒に積み上げたものだ。それを否定するのは許せない」
睨み合い。ピリついた空気が廊下を支配し、どちらも動けない。それを打ち砕いたのは、同期だった。
「おい光輝!」
走り寄ってくる、斗真の姿。必要な筋肉がしっかりついた細身の彼は、慌てて同期と肩を組んだ。
「隊長に喧嘩売るのやめろって前も言っただろ」
と囁く。
「いいじゃん。俺はあの人を信頼できないんだ。マイ・オッフを殺したって言うなら、もっと英雄らしくあるはずだろ」
「能ある鷹は何とやら。いつだって威張ってる方が信頼できないぜ」
不服を顔に出す光輝から目を逸らし、斗真は上司に顔を向ける。
「ボクから言っときますんで、隊長、今日のところは」
「いつもありがとね」
壁際に寄った二人は、芽吹の姿が扉の向こうに消えるのを待った。
「お前も見たろ? 隊長、殆ど被弾してないんだぜ。どう考えたってあの戦果は嘘じゃない」
「避けるだけなら俺にだってできる」
光輝は友人から離れて歩き出す。
「とっとと行こう。作戦プラン見なきゃいけないだろ」
正反対な二人は、陽子と電子が引き合うように格納庫へ入った。