ニザラ島に帰還したマイ・オッフ隊は、祝賀ムードの中にあった。隊長たるマイとエスクとの結婚を祝ってのことだった。
深紅に金の刺繍が入った礼服を着た軍人たちは、基地の中にあるホールで披露宴に出席している。しかし主役の二人は、少しばかり控室に戻っていた。
「退役するのかい?」
礼服のマイが問う。エスクも彼と同じスタイルだが、下がスカートだった。
「戦況が落ち着いたら、ですが。今は貴方がメブキやトウヤに専念できるよう、他を抑えるパイロットが必要でしょう」
「無理をさせるね」
「無理? していませんよ。容易いことです」
エスクは眉一つ動かさずに言ってみせる。椅子に座った彼女と、壁に凭れる彼。
「君をパートナーに選んでよかったよ」
「そうですか」
やおら立ち上がる。
「戻りましょう。隊員たちも、話を聞きたいでしょうし」
「そうだね、行こう」
エスク・オッフは、まだ自分の掴んだ幸せというものに実際的な質量を感じられないでいた。踏み出すことが怖いだとか、握ろうとした手がすり抜けるのが怖いだとか、そういうわけではない。ただ、自分が選ばれたという事態に対し、幸福が降って湧いたように思えて、具体性を持った感情を抱けないのだ。
だが、それは確かに存在する。
「僕としてはね、君には戦場から離れてほしいんだ」
ドアノブに手を掛けた時、彼はそう言った。
「君を喪いたくない」
「命令ですか」
「どうだろうね。君が望む生き方をしてほしい」
沈黙。会場の方から流れてくる穏やかな音楽。
「子を、下さい」
「……わかった」
扉を開き、廊下に出る。
「楽しもう。僕たちのための宴なんだから」
手を取って歩き出す。
(私は、親になれるだろうか)
子を儲けた時、それを愛せるのか、という疑念が付き纏う。だが、親になりたい願望もあった。二人の間に生きた証が欲しいのだ。そこに迷いはない。それでも、進まなければ得られるものも得られない。
「一度、母と会いませんか」
「顔は見せたろう?」
「直接です」
「休暇が取れたらそうしよう。すぐには無理だろうけど」
廊下の途中で、エスクが立ち止まる。
「故郷で待っていますから」
「ああ、すまないね」
「どうか、生きてください」
「僕は死なないよ。この国で一番強いのは僕だからね」
その使い古された言い回しに、彼女は不信を見せる。
「メブキと刃を交えた時、死を垣間見ました。貴方もそうではないのですか」
「痛いところだ。でも、そうだね。少し冷汗をかいたかな」
「なら──」
「わかってる。僕は変わるよ。戦うために戦うんじゃなく、君の下へ帰るために戦う。待たせてしまうけど、必ず生きるよ」
彼はエスクを抱き寄せ、熱く抱擁した。
「君に会えてよかった」
その言葉は、確かな熱を持ってエスクの心に浸透した。
「私もです。貴方がいるから、今の私がある」
確かめ合った愛情を抱いて、再び歩き出した。
◆
「あの無人機についてだが、使い魔と呼称することになった」
手狭な会議室で、冬弥が言う。
「洒落た名前だねえ」
相変わらず頬杖をついた優子は、冷笑気味な微笑みで答えた。
「こちらでも研究はしているようでな、その開発コードに由来する」
彼の背後のディスプレイに、使い魔ことムールルの映像が映し出される。
「使い魔の特徴は、無人であることと、それが可能とする高G機動にある。火力も赫灼騎兵相手には充分。今後、敵が全面的にこれを投入してきた場合……対策を考えることが必須だ」
「どんな武器が有効か、だな」
浩二の発言に、冬弥は頷いた。
「芽吹の戦闘データを解析したが、恐らく装甲は無いに等しい。継戦能力も低い。対処そのものは回避と簡単な迎撃でいいが、相手は使い魔だけではないからな。頭のリソースの配分が難しい」
「機関砲の弾を使わせられるのが頭に来るな」
「でも、戦いながら使い魔を操作できるパイロットって、どれほどいるんですかね」
芽吹が言った。
「まさにその話をしようとしていた。こちらの開発データに依るものだが、一般的なパイロットには二基が限界、という実験結果が残っている。これはシミュレータでのものであるから、実戦でまともに運用できる人間は限られるだろう」
「例えば、マイ・オッフとか?」
エリカの言葉で、ピリリとした緊張が生まれた。
「かもしれん。が、飽くまで可能性だ。彼奴がどれほどパイロットとして優秀であろうが、並列的に情報を処理できるとは限らないからな」
誰もがそうであることを願った。
「こっちはその使い魔を用意してくれないのかい?」
「魔導通信機の小型化に手間取っているようでな。実用的なものになるにはまだ時間がかかるだろう」
「通信機なら歩兵でも持ち運べるじゃないか」
「出力の問題だ。常時稼働可能な魔力効率と、思考をロスなく伝えられる出力を両立しなければならないからな」
「へえ。意外と大変なんだねえ」
優子との会話を終えた冬弥は、一同に向き直る。
「現在、一〇式を赫天に換装するパーツが配備中だ。近く、この部隊の機体は全て芽吹と同一の仕様になる」
「そうしたら、敵の新型にも優位性を得られる。そういうことか?」
「ああ。機動力は五十パーセント増しだ」
浩二がヒュウッ、と口笛を鳴らした。
「芽吹クンのを見てると、もっと速いように思えたけど?」
「通常出力では、の話です。俺は少しリミッタを引き上げてますから」
「なるほどねえ」
優子は伸びをする。
「じゃ、私もそれに倣おうかねえ。隊長もそうするんだろう?」
「そのつもりだ。性能はフルに引き出さねばな」
そう言いながら、冬弥は画面をスワイプする。ムールルの画像に、いくつか文字が添えられたものが表示される。
「使い魔の推定推力と、魔力砲の出力だ」
「最大でラウーダ並み……直撃を食らったら死んじまうな」
「それで? 有効な回避行動ってのはあるのかい?」
「わからん。データが足りんのだ」
優子の長い溜息が部屋に響いた。
「すまん。どうにか生き残ってくれ」
「ま、しょうがないことだよ。せいぜい頑張るさ」
芽吹は、無理難題を言う、という感情を殺した。生きねばならないという点に於いて、彼はそこに疑問を持たないでいる。人類全体の持つ、最もプリミティヴな欲求だ。それを踏まえた上で、彼は戦うことを願っていた。全てはマイを殺すため。
「質問はあるか?」
「一つ、いいか?」
浩二が手を挙げる。
「ムットの使い魔タイプ、アレはどうするんだ?」
「芽吹に任せたい」
「え、俺ですか」
「ムットを潰した経験があるからな。期待しているぞ」
「マイはどうするんです」
「俺がどうにかする。何だ、俺の腕では不安か?」
「そういうわけじゃ……」
「なら、決まりだ。他は?」
挙がらない。
「以上、解散とする。機体の調整は完璧にしておけよ」
踵を返して去っていく冬弥を見送る芽吹。特に意図はなかった。浩二が背中を叩いて去っていく。優子が欠伸をしながら部屋を出る。洋太は何もせず、淡々と歩く。そうして残されたのは、彼とエリカだった。
二日後、二人は基地の近くにあるしゃぶしゃぶ屋を訪れていた。秋も盛り、綺麗な星空が彼らの頭上に広がっている。
「予約していた遠島です」
店に入るとエリカは慣れた様子でそう言った。
「こちらです」
前垂れを着けた店員が案内する。奥の方にある、一等落ち着いた雰囲気のある部屋だった。
「よく来るの?」
向かい合って席に着き、芽吹が口を開いた。
「まさか。でも、気負うこともないでしょう?」
机の中央にあるコンロに、出汁の入った鍋が乗せられる。
「あなたも変わったのね」
「え?」
肉と野菜が運ばれてくる。まず肉の出汁を出すために幾らか煮るといいらしい、ということを芽吹はぼんやりと知っていた。
「だって、私と話そうともしなかったじゃない」
「それは……」
「怖い、ってやつ?」
「そうだね。壁を作って安心しようとしてた」
エリカは胡麻だれで肉を食べる。
「最初はね、同期なだけの人と一緒にやっていけるか不安だったの」
「俺もだよ」
「だけど、今はあなたと組めてよかったと思ってる。前は任せたわよ」
「言われなくたって」
笑顔を交わす。互いに緊張があった。それを解してくれることを願って笑んだ。時は、静かに過ぎていく。