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想い、伝え合って

 芽吹は赫天のコックピットの中にいた。出撃が控えているわけではないが、慣熟飛行も殆どしないままの機体を、そのままにしておくことはできなかった。


「魔導式の見直しですか?」


 開いたハッチから菱形が覗き込んで、そう尋ねた。


「そう。反応速度が十分の一秒遅い気がするんだ」


 ヘルメットのディスプレイに映し出された魔導式を見ながら、思考で細かく調整していく。その辺りの勘というのは、やはり経験なくして身に付かないものだった。


 候補生の教育も、魔導式の調整にかなりウェイトが置かれている。パイロットにとって、機体のレスポンスが最適化されているかどうかは命取りになるからだ。


「手伝いましょうか?」

「いや、いい。一人でやりたい」


 赫灼騎兵はそのカスタムをされる都合上、実質的な専用機となる。他人の機体に乗れば、その細やかな違いから機体に振り回されることになるだろう。


 菱形はそういう作業に集中している芽吹に話しかけるのも悪い気がして、何も言わず立ち去った。


 憧れたと言ったその気持ちは真実だ、と思い返してみる。エリカから奪いたいというわけではないが、手を伸ばしてみたくなる。母を安心させたいのもある。父が戦死し、弟が軍学校に行っているため、母は今独りである。いいニュースの一つでも伝えてやりたいのだ。


 今、二十一。恋愛経験は人並み。十五で軍学校に入る前に、短期間交際したことがある程度。男が前線に持っていかれると、整備士の仕事は女に回ってきた。整備士の待機室に入っても、半分は女だ。


「田畑ちゃん、お疲れ様」


 年配の女が水を差し出す。


「どうも」


 それを受け取り、ソファに腰掛ける。


「ね、ね、大原少尉とはどうなの?」


 隣にいた同僚が顔を近づけてくる。


「進展なし! 多分私のことなんてこれっぽちも見てないよ」

「昇進は確実だし、今の内に攻めないと。ライバル増えちゃうよ」

「でも、遠島少尉といい感じみたいだし……」

「恋愛ってのはスピード勝負なの。早い者勝ちなんだから、どんどこ行く!」


 話しながら、この整備士というものが畢生の仕事となるか考えていた。魔導兵器に関わるのは楽しい。赫灼騎兵も。だが、結婚という現実的問題を前にした時、どこかで諦めなければならないのかもしれない、ということも脳裏に現れてくる。


 子育てをしながら働ける環境になるには、まずは戦争を終わらせねばならないだろう。そのためにも、パイロットを支える必要がある。


「でも、大原少尉って凄いよね」


 同僚が前傾姿勢を戻しながら言う。


「あんな新しい機体だってすぐ乗り熟しちゃうんだもの。ああいうのを天才って言うんだろうね」

「わかる」

「それを整備できるアンタも凄いよ。かくてん、だっけ?」

「基本構造は九一式と変わらないから、そんな大変じゃないよ。接続器の点検はまだ慣れないけどさ」

「OSの魔導式は七三式から発展してないって聞くけど、そうなの?」

「そう、中身見てびっくりしちゃった。接続器の管理をする部分が足されてるだけで、大体は出力を向上させてるだけなの」


 同僚は推進器の専門家だ。


「強化スラスタがうちの部隊にも導入されたけど、魔導式にかなり手が入っててもう無理」

「パーツ構成自体は単純化してるから、ハードの面倒を見る分には楽かな」

「やっぱりパイロットって凄いよ。大原少尉だって自分の機体のスラスタに手を入れてるんでしょ?」

「そう。今も調整してるみたい」


 立ち上がった同僚は、自分の尻を叩いて気合を入れる。


「じゃ、私行ってくる。アンタもしゃっきりしなさいよ」


 立ち去っていくその背中を見つめながら、菱形は、自分の将来を改めて考えていた。





「それで、マイを倒す算段はついた?」


 赫天のコックピットを覗きながら、エリカが問うた。


「性能でいえばこっちが上なんだから、正面から当たれば撤退に追い込むことはできるはず。撃墜は難しいと思うけど」

「そうね、それは正しいわ」


 彼女はヌルリと、まるで猫のような動きで中に入ると、芽吹の膝に座った。


「あなた、学生時代どんなことしてたの?」

「別に……普通に勉強して、普通に訓練してたよ」

「具体的には?」

「近接戦闘なら六位、射撃なら下から数えたほうが速い」

「私と真逆ね。でも、今なら射撃の方もいい順位なんじゃない?」

「かもね」


 素っ気ない態度に、彼女は頬を膨らませる。


「俺としては、マイが絡んでくるおかげで鍛えられたのかな、と思ってる」

「あら、意外ね。そういうの認めないタイプだとばっかり」

「後は運だね。ぎりぎりのところでいつも助けてもらってた」

「運、か。私も運がいい方だわ」

「そうなの?」

「あなたがいなければ私はとっくの昔に死んでたわ」


 芽吹は調整を終え、ヘルメットを外す。すると、目の前に金色の髪があることに驚いた。


「近くない?」

「今更でしょ」


 軽いんだな、と彼は口に出さない。その程度のデリカシーはある。褒めにしろ貶しにしろ、体重に言及して良いことはない。


「何か用?」

「用もなしに会いに来ちゃダメ?」

「……そういうわけじゃないけどさ」


 彼女はそっと体重を預ける。


「ハッチ、閉じて」

「はいはい」


 暗くなる。赤いランプが点いて、照らされる。


「私、虐められてたの」

「……そっか」

「トイレでご飯食べてたら上から水掛けられたり、下着を盗まれたり。軍学校に入っても、大して変わらなかった。でも、一人の教官が止めてくれた。覚えてる? 二木島教官」

「殴らない人だから、覚えてる」

「あの人が口を出したら、そういうの全部なくなったの。本当に感謝してる」


 呼気が、無音の中に消えていく。沈黙に味をつけるなら、その時は甘かった。


「配属されてからは、隊長に守られてた。黒鷲隊って言えば誰もが黙る。本当に、ありがたかった」


 芽吹は続きを促しはしない。小さく啜り泣く声を聞きながら、黙って待った。


「私、守られてばっかり」

「そんなことないよ。君がいなければ俺も死んでた」

「もっと上手に慰めて」

「困ったな……」


 人間関係をあまり知らない彼に、それは難題だった。結果、触れていいかもわからない肩の近くで指を動かすだけだった。


「抱き締めて」

「いいの?」

「キスしたのに抱くのが駄目なんて、道理が通らないわ」

「そりゃそうだけど……」

「早く」


 言われるがままに、彼はエリカの前に腕を回した。


「もっと強く」


 骨が折れんばかりに力を入れて、体全体で彼女を包む。


「私のこと、好き?」

「……まだ怖い」

「意気地なし」


 返答に窮する。


「ホントはね、私も怖いの」


 少し小さな声だ。


「でも、口にしないと、言い出す前に死んじゃうかもしれないから。だから、あなたも言って」


 死の影。戦場に立つ以上、それは常に背後に付き纏っている。逃げ続けるしかない。


「……好きだ」


 ぽつり、自分に言い聞かせるような口調だった。


「好きなんだ、君が」


 返事が来ない。だが、求めている訳でもなかった。ただ、淡々と流れる時の中で温もりを感じていれば、芽吹はそれでよかった。


「時間、ある?」


 震える声でエリカが尋ねる。


「あるよ」

「なら、暫くこうしてて」

「わかった」


 そうして、時間が過ぎていった。





 基地でのランニングを終えたエスクが水を飲んでいると、そこにカムルが現れた。


「あの、マイさんは……」

「さあ」


 冷たい答えだ。


「格納庫にいないなら、私は知らないわ」


 硝子のボトルを机に置き、感情の読めない目でカムルを見た。


「でも……そうね。いずれにせよここに来るだろうから、時間潰しには付き合ってあげるわ」


 ここはパイロットルーム。特別な地位であるパイロットの休憩、談話に供される場所である。そこに立ち入りできるカムルもまた、特殊な存在だった。


「座りなさい」


 ソファに腰掛けた彼女は、隣を叩く。そこにカムルが着いた。


「あの人の子供になるって話、貴方はどう考えているの?」

「よくわからないですけど……そうしようかなって」


 あれから、情報部がカムルの親について調べていた。既に消息不明。収容所のデータベースには、名前がなかった。なら、最早生きてはいないだろう。


「そう」

「……もしかして、怒らせてしまいましたか?」

「いえ。何と言えばいいのかしらね、貴方の母になるということに、実感が湧かないだけよ」

「え? お母さん?」

「聞いていないの? 私はあの人と結婚するのよ」


 カムルは返事のしようがなかった。親元から引き剥がされて、結婚というもののイメージがとんと湧かないのだ。


「そしたら退役かしらね。静かに暮らすのも悪くないでしょう」


 エスクは蓴羹鱸膾という心持だった。本土に帰って、戦場とは無縁の穏やかな生活を送る。時折実家に帰って、苦労をさせた母と食事をする。そういう生き方をしたかった。


「お母さん、って呼んでいいですか?」

「好きにしなさい」


 ちらり、少女の方を見る。色素の薄い顔を赤くして、俯いていた。


「お母さん」


 悪くない心地だった。少し綻んだ顔を見せないようにして、


「何?」


 と問うた。

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