天子という存在は、赫神と呼ばれる最高神が人の形をとったもの──というのが皇国に於ける基本的な世界観だ。その言葉は絶対であるが故に重すぎ、普段は政治に関わることはない。しかし、帝国の侵攻に当たっては詔勅を発し、以降三十年に渡る戦を始めた。
だが、芽吹は天子を特別に信奉しているわけではなかった。結局は個人だ。
その考えを、表に出してはならないことを彼は知っていた。この軍は天子の軍であり、その宸意に逆らうことは許されない。わかっていても、やりきれない。
(天子様と俺は、何が違うんだろう)
蓋し、本当に神というものがいるのなら、たった一人にそんな重責を負わせるものではないだろう。もっと効率的な支配システムを構築するのであろうし、事実それは人間の手によって成し遂げられて、皇国は立憲君主制という体制を成立させた。
現在、天子は象徴としての意味合いが強い。国民を一つに纏め、同じ方向を向かせる。そういう役割を果たしていた。
だが、皇道派と呼ばれる派閥はそれが気に入らないらしい、と芽吹は遠いことのように聞いていた。天子による親政を行い、官僚制を破壊するというのが目的だ、という風に言われる。
出世すればそういうところにも関わるのだろうか、と遠い未来を空想してみる。エース部隊、黒鷲隊。その身の振り方が小さくない影響を与え得ることを、彼自身自覚していた。
ふと、自分が政治をやっている様子を思い浮かべる。駄目だった。何も思いつかない。灯の消えた部屋では、呼気さえも酷く響く。
「俺は俺だ」
個室でそんなことを口走る。
学校にいた頃は、天子様の軍隊であるということを繰り返し叩き込まれた。徹底的な従属。個の殺戮。それが軍隊。だが、実戦ではそんなことを言っていられなくなった。むしろ個の重要性は際立っている。今、彼がここにいるのも、その個故だ。
習ったことが浮かび上がってくる。この戦争は、皇国と帝国の間にある古い確執が引き起こしたものだという。世界観の違い、という言葉が一番しっくりくる。現人神を頂点に戴く多神教の皇国と、唯一神に選ばれし皇帝が支配する一神教の帝国。相容れるはずもなかった。
そこに、赫灼石という資源の存在が加わってくる。皇国の西部諸島には大量の赫灼石が眠っている。かつての魔導大戦で崩壊した陸地の欠片と言われるそこには、惑星の魔力が噴出しており、それが結晶化した赫灼石が無数に得られるのだ。
帝国としては、その点を見過ごせなかった。ヴォウ共和国及びスバ王国との間に緊張関係が存在し、且、国内に異教徒という不穏分子を抱えている帝国は、急速な軍拡が必要であり、そのためには赫灼石が求められていた。
だが、開戦から二十五年間、帝国は積極的な本土侵攻に踏み切れないでいた。内乱の鎮圧にかなりの戦力を割かなければならなかったのだ。それが落ち着いた、五年前。芽吹の故郷を焼いた。
(そうだ)
故郷を焼き返してやらねばならない。それが、無抵抗な市民の命を踏み躙った者達への報いだ。
復讐に意味はない、と言う者もいる。だが、意味がなくとも進むよりないのだ。自分の過去という巨大な山を乗り越えるためには、復讐という原動力が不可欠だった。
「やるんだろ」
木霊の中で、闇に沈んだ。
◆
「これが、例の?」
大望地方最大の基地、龍昇の格納庫で、マイがある機体を見上げながら言った。
「ええ。ムットのオットガムールル試験型です。イメージとしては、こういう感じになるかと」
女整備士が一枚の写真を見せる。
「周りに飛んでいるのがムールルかい?」
「はい。一つ一つがラウーダの魔力砲並みの破壊力を有しています。これは試験用ですからオミットされていますが、今開発中のモデルでは障壁の展開も可能らしいです」
「らしい、ね」
確定的な言い方を避ける技術屋の癖だな、と彼は感じる。
「それで、パイロットは?」
「こちらに!」
彼の背後で元気よくそう言ったのは、一組の男女。三十手前くらいだ。
「自分は、ブルガ・ラハン中尉であります」
男はそう名乗った。
「私はルルツ・ノブル少尉です。ムールルの制御を担当しています」
女も名乗った。
「複座? 珍しいね」
面倒が増えたな、という本心は見せない。
「それで、君たちも薬頼りのパイロットなのかい?」
「いえ。このムット・オットガムールル試験型は砲撃戦用の機体であります。オットガムールルを展開し、遠距離から攻撃を仕掛けますから、素のムットのように人体の限界を超えたGは掛からない、とされております」
「長いからムールルでいい」
「畏まりました」
ブルガは馬鹿真面目に敬礼をする。
「試験型と言ったね。実戦に堪え得るものなのかい?」
「本機の目的は、実戦データの収集であります。その分の改良は為されていると存じております」
マイからのブルガへの評価は、話し辛いな、というものだった。緊張しているのか、模範的な軍人そのままという態度が気に入らない。
そんな折、アラートが鳴った。
「まあ、いい。ムールルという新兵器、見せてもらうよ」
◆
「黒鷲一番から各機へ。龍昇を落せば我々は一気に前進できる。抜かるなよ」
欠員を出した状態での出撃に、エリカは不安を抱えていた。マイは冬弥が抑えてくれるとして、エスクはどうなるのか。浩二が回ってくれるのを祈るしかない。
後方を飛んで、僚機を援護する。射線の通る敵に魔力砲を浴びせ、撃墜。この感覚にも慣れた。一機墜とした程度では、もう喜ばない。
急接近する、ブルガザルノの反応。エスクだ。
「メブキがいないようだな!」
「だからって!」
女の戦いだ。機関砲で牽制しつつ、距離を取る。だが、射撃戦においても一〇式とブルガザルノは互角だった。火力では前者、連射性では後者。
エスクは近接の間合いに持ち込もうとするものの、エリカも機敏に動いてそれを拒絶する。機動性に差がない以上、逃げる者と追う者の距離はそうそう縮まらなかった。
浩二と冬弥は二人係でマイを食い止めている。優子と洋太は先鋒として後続の道を切り拓いている。ならば、単独で対処しなければならない。
魔力探知機の索敵範囲を縮めるか、逡巡する。精度は上がるが、横槍を予測できなくなる。一方で、射撃を正確に避けるならそのデメリットを被ってでもやる価値はある。
結果、彼女は縮めないことを選んだ。そして、それはプラスに働いた。
小さな反応が、四つ。赫灼騎兵にしては魔力量が低いが、人間にしては高い。カメラがその機影を捉える。推進器を搭載した砲台、というのが彼女の認識だった。
(何……?)
味方にあのようなものが存在するとは聞いていない。ならば敵か。ならば撃つか。逡巡は一瞬。引鉄を引いた。が、あまりにも速い。それもそうだ、大きさにしてみれば赫灼騎兵の前腕部程度。それが魔導スラスタを搭載しているのだから、速力だけで見れば一〇式にも並ぶはず。
そういう推測をしながら、逃げようとする。しかし、すぐさま追いついてくる。カクン、カクンと鋭角的な機動。
(だから無人機って怖いのよ!)
パイロットというもっとも脆弱な部品がなくなれば、兵器はもっと速くなれる──そんな理論を思い起こす。
ムールル。遠隔攻撃端末。それの一つが、赤い魔力を吐き出す。右腕を奪い、滞空。残りの三つが取り囲んで、連続攻撃を繰り出す。
エリカは回避に全神経を集中させ、高速で機動する。奥歯が砕けんばかりのG。魔力の奔流が後数ミリというところを通り過ぎ、装甲の表面を灼く。
数秒間の逃避。その終わりは突然に訪れた。ムールルたちは撤退していく。だが、危険が去ったわけではない。直後に砲撃が来る。それも躱せば、今度はエスクが斬りかかってきた。
不思議なものだが、エリカは殺意というものを目の前の敵からはあまり感じなかった。
(マイ・オッフの邪魔をさせないための、時間稼ぎ。なら耐えてみせる!)
機関砲を撃ちながら間合いを取り、榴散弾を撃つ。無数のベアリングがエスク機に降り注いだが、彼女は腕でカメラを覆って損壊を防いだ。
それを狙っていた。エリカは躊躇わず魔力砲のトリガーを引く。それでも、エスクの勘は鋭かった。見えないながらも大胆な回避行動に入り、左足の損失のみに被害を抑えた。
またムールルが来る。どうにか一基を破壊したが、残る三基が一斉に火を吹く。左腕が吹き飛ぶ。
「終わりだな!」
エスク。閃く剣。死に追いつかれる時が来たのか。
(芽吹……!)
そう願った、その時。上空から飛来した赤い光が、エスク機の左腕を奪った。
「六番から五番へ。遅くなった」
その眼前に、見慣れない機体。